3月23日東京芸術劇場シアターイーストで、ペーター・ハントケ作「カスパー」を見た(演出:ウィル・タケット)。
突然我々の世界に送り込まれてしまった一人の人間。名はカスパー。自分の意思をもったことがなかった人間がことばを手にした時・・・。
それは自由への扉なのか、それとも悪夢の始まりなのか・・・。
外界と遮断されたまま成長した謎多き孤児カスパーの物語(チラシより)。
カスパー・ハウザーとは、19世紀の始め、ニュルンベルクの路上に突如として出現した16歳位の青年のこと。
人々が話しかけても、いくつかの意味不明の言葉しかしゃべれない。
交互に足を動かして歩くことすらできない。
人々は不思議がり、気の毒に思って食べ物を与えるが、パンと水以外は受けつけない。
どうも、生まれた時から地下牢のようなところに閉じ込められていたようだ。
人々は彼を、貴族の血を引く子供で、生後間もなく誘拐されたのではないか、と想像するが・・・。
以上は、評者がフォイエルバッハ著「カスパー・ハウザー」などから知っていた情報。
カスパーについて、これまで数多くの書物が世に出されてきた。
ノーベル文学賞作家、ペーター・ハントケは、果たしてどんな戯曲を書いたのか。
カスパー(寛一郎)が床に横たわっている。
下手に3人の男たち(プロンプター)が席についており、カスパーと言葉との関係について口々に切れ切れの言葉を語る。
その言葉は繰り返しが多く、あまりにも抽象的。
3人の黒衣の男たちが彼の体を起こし、手と足を一つひとつ動かして歩かせる。
彼は操り人形のように、されるがまま。だが途中で倒れてしまう。
すると3人はプロンプターたちに指示を仰ぎ、再びカスパーを起こして歩かせ始める。
彼は次第に言葉を学び、語彙が増えていく。
かつての自分がわずかな言葉によって何を言いたかったのか、しきりに説明しようとする・・。
詩人でもある作者ハントケの興味は、もっぱらカスパーと言葉の関係にある。
ひいては人間にとって言葉とは何か、という問題であり、その手法は前衛的だ。
作家・山下武氏が書いているように、主人公カスパーは、この難解な前衛劇の素材であるに過ぎない。
だが評者は(ごく普通のミーハーなので)、彼の出自と、彼を誘拐した者の動機や、監禁した者、育てた者について、興味がある。
たとえば、バーデン大公国の王位継承権をめぐる宮廷内の陰謀の犠牲者ではないか、と推理する人もいて、好奇心をそそられる。
生後間もなく死んだとされた第一王子ではないか、というのだ。
何しろ彼は、社会復帰後5年目に暗殺されてしまうのだ。
その日、現場近くで立派な服装の紳士が目撃されている。
その頃には、彼はちゃんとした文章を書けるようになっていたので、秘密がばれるのを恐れた人々がいたということではないだろうか。
この芝居は、そういう評者には、あまりにも難解で前衛的だった。
ただ、主演の寛一郎は熱演。
彼の「プロンプター」役の首藤康之、下総源太朗、萩原亮介も、抽象的な言葉を緻密に重ねていき、好演。
突然我々の世界に送り込まれてしまった一人の人間。名はカスパー。自分の意思をもったことがなかった人間がことばを手にした時・・・。
それは自由への扉なのか、それとも悪夢の始まりなのか・・・。
外界と遮断されたまま成長した謎多き孤児カスパーの物語(チラシより)。
カスパー・ハウザーとは、19世紀の始め、ニュルンベルクの路上に突如として出現した16歳位の青年のこと。
人々が話しかけても、いくつかの意味不明の言葉しかしゃべれない。
交互に足を動かして歩くことすらできない。
人々は不思議がり、気の毒に思って食べ物を与えるが、パンと水以外は受けつけない。
どうも、生まれた時から地下牢のようなところに閉じ込められていたようだ。
人々は彼を、貴族の血を引く子供で、生後間もなく誘拐されたのではないか、と想像するが・・・。
以上は、評者がフォイエルバッハ著「カスパー・ハウザー」などから知っていた情報。
カスパーについて、これまで数多くの書物が世に出されてきた。
ノーベル文学賞作家、ペーター・ハントケは、果たしてどんな戯曲を書いたのか。
カスパー(寛一郎)が床に横たわっている。
下手に3人の男たち(プロンプター)が席についており、カスパーと言葉との関係について口々に切れ切れの言葉を語る。
その言葉は繰り返しが多く、あまりにも抽象的。
3人の黒衣の男たちが彼の体を起こし、手と足を一つひとつ動かして歩かせる。
彼は操り人形のように、されるがまま。だが途中で倒れてしまう。
すると3人はプロンプターたちに指示を仰ぎ、再びカスパーを起こして歩かせ始める。
彼は次第に言葉を学び、語彙が増えていく。
かつての自分がわずかな言葉によって何を言いたかったのか、しきりに説明しようとする・・。
詩人でもある作者ハントケの興味は、もっぱらカスパーと言葉の関係にある。
ひいては人間にとって言葉とは何か、という問題であり、その手法は前衛的だ。
作家・山下武氏が書いているように、主人公カスパーは、この難解な前衛劇の素材であるに過ぎない。
だが評者は(ごく普通のミーハーなので)、彼の出自と、彼を誘拐した者の動機や、監禁した者、育てた者について、興味がある。
たとえば、バーデン大公国の王位継承権をめぐる宮廷内の陰謀の犠牲者ではないか、と推理する人もいて、好奇心をそそられる。
生後間もなく死んだとされた第一王子ではないか、というのだ。
何しろ彼は、社会復帰後5年目に暗殺されてしまうのだ。
その日、現場近くで立派な服装の紳士が目撃されている。
その頃には、彼はちゃんとした文章を書けるようになっていたので、秘密がばれるのを恐れた人々がいたということではないだろうか。
この芝居は、そういう評者には、あまりにも難解で前衛的だった。
ただ、主演の寛一郎は熱演。
彼の「プロンプター」役の首藤康之、下総源太朗、萩原亮介も、抽象的な言葉を緻密に重ねていき、好演。