6合目から見る頂上はすぐそこにあって、2時間もあれば登れそうに見える。
ところが、予定では3時間ほどかけて7合目の山小屋まで行き、そこで3時間ほどの仮眠をとった後、御来光に間に合うように夜中の12時前に出発して4時ころ頂上に到着する予定である。
歩く速度といったら、いちばん遅い人のペースに合わすから実にゆっくりしたものである。6合目から7合目の登山道はまだすいていた。後からせっつかれる心配もないからマイペースで歩ける。
それでもかなり遅れる人がでる。おばあちゃんと2人の子連れの一団である。6合目に着くまでにも、おばあちゃんはゆっくりした本体からかなりと遅れ始める。見かねてYさんが荷物を持とうかと気遣う。それを聴いて息子(婿?)夫婦も「荷物を持とう」と言いかけるが、おばあちゃんは聞き入れない。
グループの先頭には、イケメンの「強力」。最後尾には添乗員で、話を聞くと山登りは今回が初めてという独身風(アルバイト風)の女性。先頭がペースをとってゆっくりと進むのだが、そんな影響もあって、かなりゆっくりしている。
登山道は、熔岩が風化した砂地の緩い傾斜道。6合目からは下山道とは別に登り専用になっている。
日もだいぶ傾いてきた。振り返ると西の方向には、黒い御坂山塊の向こうに八ヶ岳が見える。北は奥秩父の山々が連なり、東は丹沢山塊。正面は山中湖。
見とれといると本体から遅れる。ぼくらは、後も気になりながら本体からあまり離れまいと中間を行く。ジグザグに登る先頭の方から声がかかる。やっぱりこのペースでは遅すぎるのだ。本体が後の一団にあわせていたら、途中の小屋での仮眠時間が削られるどころか、頂上に着けなくなる心配があるという。
さすがに、これではいけないと思ったのか、イケメンは添乗員をその遅すぎる一団につけて、本体の最後尾を別の若者ふたりにゆだねて、様子を見ることに。かばいあいながら、少しでもペースが回復すればと期待して。
しかし、間隔は広がるばかりである。一時荷物を息子に託していたおばあちゃんの背中には、いつの間にか元と同じようにリュックが。
たまりかねて、イケメンは、家族に重ねて下山を勧める。そこで誰がおばあちゃんに付き添い下山するかが問題となる。おばあちゃんの他に子ども一人も危うい。
添乗員とイケメンは、おばあちゃん一人で居させるわけにはいかないから、長男か嫁のどちらかが一緒に残れないかというが、二人ともせっかく来たから頂上まで登りたいと言い張る。「じゃー、わたし一緒に登るわ。」とおばあちゃん。
それが出来ないと思うから何とかしないといけないと思っているのに、埒があかない。
夫婦は、「添乗員をつけられないか。」という。「グループの添乗員なので、一人のために残せません。」、「これ以上遅れるとグループ全員が頂上に行けなくなります。」イケメンは、きっぱり決断する。
結局、7合目の宿に着く前にリタイーヤーしたようだ。
仮眠は、2時間しかとれなかった。11時に起きた、頂上目指して再出発である。小屋の直前はステッキが邪魔なくらい急登の岩場の登りが続いたが、8合目から先はまた砂地の緩やかな登りが続く。
空には満天の星が輝く。天の川をはっきり見たのは何年ぶりだろうか。カシオペアも北斗七星もすぐ見つけられる。
その夜空の下を、ヘッドランプの明かりが切れ目なくジグザグに連なる。しばらく進んではとまり、進んでは止まる。
頂上小屋の明かりがだいぶ近くなってきた。東の空を見るとかすかに明るい。30分もすると陽こそ昇っていないがあたりがヘッドランプが要らないほど明るくなる。
もう頂上は近い。最期の折り返しを曲がると、誰かが「頂上に着いたぞーっ。」と叫ぶ。夕方5時から登り始めて、途中の仮眠時間を挟んで、約11時間の行程である。
その場でいったん自由行動になって、その先の鳥居まですすみ、小屋で休息する。外は寒すぎる。Yさんはあまり食欲がないようで、わたしだけ暖かい物を食べる。
御来光を写真に収めたあと、4時半の集合時間に解散した場所まで行き、下山を開始する。
9時に痛めかけた足を引きずりながら5合目の駐車場に到着。Yさんとビールで乾杯!
○ ○ ○
富士山というところは、本当に回りの景色も登山道も変化のないところである。
斜面を登ったら景色が少しズームアウトし、下ったら多少ズームインするくらいだ。一つの尾根を越えたら予想もしなかった新しい景色が飛び込んでくることもない。下に見える山中湖の形は、どこまで登っても山中湖の形である。
しかも、登るときは登りっぱなしで、下りはひたすら下るだけである。アップダウンというものがない。滑落の心配もなければ迷う心配もない。
ただそれが延々と続く。
【ジグザグに延々と続く登山者の列】
だから北アルプスの山のように、山頂だと思ってようやくピークにたどり着いたと思ったら、もっと高いピークがあり、そのピークも実は頂上でなくがっくりするということもない。ひたすら単調さに耐えることである。
遠くから見ると、なだらかな曲線を裾野に伸ばし優美に映る富士山は、登ってみると、実はそんな山である。
富士山は、《観る山であって、登る山ではない》。
山中湖の近くの温泉で汗を流し、帰りのバスの中から見た富士山の姿はやっぱり立派だった。すっと聳え立つ姿はやはり神々しい。
立山や剱、穂高よりもずっとはるかに高い、その峰の頂上に立ったということはやはりすごいことだと思う。
足は痛いし膝は壊れる寸前で疲れ果てたけど、・・・来て良かった。
もう一度登るかと言われたら、「30年に1度くらいなら」と答えることにしようか。
その時は、いったい何歳になっているのだろう。
(おわり)
ところが、予定では3時間ほどかけて7合目の山小屋まで行き、そこで3時間ほどの仮眠をとった後、御来光に間に合うように夜中の12時前に出発して4時ころ頂上に到着する予定である。
歩く速度といったら、いちばん遅い人のペースに合わすから実にゆっくりしたものである。6合目から7合目の登山道はまだすいていた。後からせっつかれる心配もないからマイペースで歩ける。
それでもかなり遅れる人がでる。おばあちゃんと2人の子連れの一団である。6合目に着くまでにも、おばあちゃんはゆっくりした本体からかなりと遅れ始める。見かねてYさんが荷物を持とうかと気遣う。それを聴いて息子(婿?)夫婦も「荷物を持とう」と言いかけるが、おばあちゃんは聞き入れない。
グループの先頭には、イケメンの「強力」。最後尾には添乗員で、話を聞くと山登りは今回が初めてという独身風(アルバイト風)の女性。先頭がペースをとってゆっくりと進むのだが、そんな影響もあって、かなりゆっくりしている。
登山道は、熔岩が風化した砂地の緩い傾斜道。6合目からは下山道とは別に登り専用になっている。
日もだいぶ傾いてきた。振り返ると西の方向には、黒い御坂山塊の向こうに八ヶ岳が見える。北は奥秩父の山々が連なり、東は丹沢山塊。正面は山中湖。
見とれといると本体から遅れる。ぼくらは、後も気になりながら本体からあまり離れまいと中間を行く。ジグザグに登る先頭の方から声がかかる。やっぱりこのペースでは遅すぎるのだ。本体が後の一団にあわせていたら、途中の小屋での仮眠時間が削られるどころか、頂上に着けなくなる心配があるという。
さすがに、これではいけないと思ったのか、イケメンは添乗員をその遅すぎる一団につけて、本体の最後尾を別の若者ふたりにゆだねて、様子を見ることに。かばいあいながら、少しでもペースが回復すればと期待して。
しかし、間隔は広がるばかりである。一時荷物を息子に託していたおばあちゃんの背中には、いつの間にか元と同じようにリュックが。
たまりかねて、イケメンは、家族に重ねて下山を勧める。そこで誰がおばあちゃんに付き添い下山するかが問題となる。おばあちゃんの他に子ども一人も危うい。
添乗員とイケメンは、おばあちゃん一人で居させるわけにはいかないから、長男か嫁のどちらかが一緒に残れないかというが、二人ともせっかく来たから頂上まで登りたいと言い張る。「じゃー、わたし一緒に登るわ。」とおばあちゃん。
それが出来ないと思うから何とかしないといけないと思っているのに、埒があかない。
夫婦は、「添乗員をつけられないか。」という。「グループの添乗員なので、一人のために残せません。」、「これ以上遅れるとグループ全員が頂上に行けなくなります。」イケメンは、きっぱり決断する。
結局、7合目の宿に着く前にリタイーヤーしたようだ。
仮眠は、2時間しかとれなかった。11時に起きた、頂上目指して再出発である。小屋の直前はステッキが邪魔なくらい急登の岩場の登りが続いたが、8合目から先はまた砂地の緩やかな登りが続く。
空には満天の星が輝く。天の川をはっきり見たのは何年ぶりだろうか。カシオペアも北斗七星もすぐ見つけられる。
その夜空の下を、ヘッドランプの明かりが切れ目なくジグザグに連なる。しばらく進んではとまり、進んでは止まる。
頂上小屋の明かりがだいぶ近くなってきた。東の空を見るとかすかに明るい。30分もすると陽こそ昇っていないがあたりがヘッドランプが要らないほど明るくなる。
もう頂上は近い。最期の折り返しを曲がると、誰かが「頂上に着いたぞーっ。」と叫ぶ。夕方5時から登り始めて、途中の仮眠時間を挟んで、約11時間の行程である。
その場でいったん自由行動になって、その先の鳥居まですすみ、小屋で休息する。外は寒すぎる。Yさんはあまり食欲がないようで、わたしだけ暖かい物を食べる。
御来光を写真に収めたあと、4時半の集合時間に解散した場所まで行き、下山を開始する。
9時に痛めかけた足を引きずりながら5合目の駐車場に到着。Yさんとビールで乾杯!
○ ○ ○
富士山というところは、本当に回りの景色も登山道も変化のないところである。
斜面を登ったら景色が少しズームアウトし、下ったら多少ズームインするくらいだ。一つの尾根を越えたら予想もしなかった新しい景色が飛び込んでくることもない。下に見える山中湖の形は、どこまで登っても山中湖の形である。
しかも、登るときは登りっぱなしで、下りはひたすら下るだけである。アップダウンというものがない。滑落の心配もなければ迷う心配もない。
ただそれが延々と続く。
【ジグザグに延々と続く登山者の列】
だから北アルプスの山のように、山頂だと思ってようやくピークにたどり着いたと思ったら、もっと高いピークがあり、そのピークも実は頂上でなくがっくりするということもない。ひたすら単調さに耐えることである。
遠くから見ると、なだらかな曲線を裾野に伸ばし優美に映る富士山は、登ってみると、実はそんな山である。
富士山は、《観る山であって、登る山ではない》。
山中湖の近くの温泉で汗を流し、帰りのバスの中から見た富士山の姿はやっぱり立派だった。すっと聳え立つ姿はやはり神々しい。
立山や剱、穂高よりもずっとはるかに高い、その峰の頂上に立ったということはやはりすごいことだと思う。
足は痛いし膝は壊れる寸前で疲れ果てたけど、・・・来て良かった。
もう一度登るかと言われたら、「30年に1度くらいなら」と答えることにしようか。
その時は、いったい何歳になっているのだろう。
(おわり)