令和3年1月28日(木)
名古屋城
16世紀、三河・尾張を支配する今川氏から、尾張の
織田信秀(信長の父)が奪取し、那古野城と改名した。
嫡男の信長が城主となるが、後に清州に移り廃城となる。
1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いで勝利した、徳川
家康は、1609年(慶長14年)に名古屋に築城を命じ
加藤清正等の諸大名が石垣工事を負担、大久保長安他の
以上10の諸大名が建築を担い、1612年に完成した。
近年、明治維新以降の1870年(明治3年)時の城主
徳川慶喜は新政府に返上を申し出た。
この後、姫路城と共に保存が決定された。
1872年(明治5年)城内に、東京鎮台第三分営が置か
れ名古屋鎮台となる。此処に「乃木倉庫」が設置される。
(第二次世界大戦の頃、倉庫内に名古屋城の襖絵、絵画等
を移し保管し、名古屋空襲の折りの火災から免れた)
消失前の天守閣と本丸御殿
1945年(昭和20年)5月14日の空襲により、大小
の天守閣、本丸御殿、東北隅櫓、金鯱等が消失した。
僅かに西北隅櫓のみが消失を免れた。
1959年(昭和34年)、地元商店主や全国からの寄付
を募り再建された。
2018年(平成30年)本丸御殿が完成し、一般公開さ
れた。
2013年に河村名古屋市長が、名古屋城の木造化を宣言、
鉄筋コンクリート、エレベーターを無くす事を発表したが、
文化庁の許可が下りず、未定となって居る。
現在、名古屋城天守閣は耐震性が低いとして、天守閣への
登城は禁止されている。 名古屋城への入場は可能である。
久しぶりに名古屋城へ出かける。
地下鉄名城線の名古屋市役所駅で下車、北へ進み直ぐに、
「金シャチ横丁」(伊勢のおかげ横丁を模した)の前を
通り左折、名古屋城東門へ出る。
入場料(高齢者100円、65歳以上)を払い、検温と
消毒を済ませ入場、
二の丸庭園を散策、加藤清正像(築城に貢献した)を眺め
二の丸東門を入ると直ぐに一際大きな石垣を目にする。
「清正石」とある。こんな大きな石をどうやって切り出し
運んで来たのだろうか、、、
西北隅櫓
左手奥に進むと「西北隅櫓」が現れる。小学生の頃の遠足
で名古屋綬に来た頃はこの建物しか無く、うす暗い階段を
恐々上った記憶が在る。ステップが高く昇り辛かった。
直ぐ傍に、真新しい「本丸御殿」、ここへは再建当時から
二度程拝観(一度は、地元出身の落語家の独演会)した。
天守閣の仰ぎながら、「不明門」を抜け、御深井丸へ、、
不明門
此処には、何故か「乃木倉庫」(乃木大将所縁の倉庫)が
在る。先の大戦中に、城内に在った。襖絵、絵画等をこの
倉庫に写し、空襲による火災消失を免れた様だ、、、
コロナ過の中、冬の名古屋城は閑散として人も疎ら、、
ゆっくりと史跡を巡ることが出来た。
今日の1句
外濠の水涸れ居たり黙(もだ)の中 ヤギ爺