建仁寺の塔頭寺院で、閻魔大王像を祭る閻魔堂もある。毎年8月7~10日には六道詣りが行われ、盆に帰ってくる精霊を迎える鐘を撞こうと多くの人が訪れる。山門の碑には六道の辻と刻まれている。六道の辻は現世とあの世の境と云われ、実際の辻は石碑の西側に位置する辻になる。
六道珍皇寺は、永暦年間(782~806)に慶俊の開基といわれているが、空海説や小野篁説はじめ諸説があり、本尊は最澄作の薬師如来で臨済宗建仁寺派の寺。
この付近はかつて死者を鳥辺野(とりのべ)へ葬送する際の野辺送りの場所で、六道の辻と呼ばれ、この世とあの世の境といわれていた。
平安時代、この地域一帯は、埋葬地となっていた、飢饉や天災で死んだ人々の死体が捨てられ、地獄のような光景が広がっていたという。そのような人々の魂がこの場所に渦巻いていると考えられ、昔の人はあまり近寄らなかったようだ。
本堂の後に有名な井戸があり、平安初期の学者・歌人としても名高い小野篁(おののたかむら・802~52年)が、死んだ母親に会うために、あの世に通じるというこの井戸を利用し、夜になると井戸から冥土(あの世)に通い、閻魔王庁で裁判を手伝って、夜が明けると娑婆(この世)に戻ってきたと伝えられている。
閻魔堂には小野篁作と伝わる閻魔大王像と等身大の小野篁像が合祀されている。重文の本尊薬師如来や地獄絵等の寺宝の拝観には事前申込みが必要。
(六道とは仏教用語で、「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天」という、6つの世界を指す。)
「泣く涙雨と降らなむ渡り川 水まさりなば帰りくるがに」(悲しみにたえきれず泣く私の涙よ、雨となって降っておくれ。あの世との境の渡り川の水かさが増したら、妹は渡ることができなくなる。そして再び、この世に帰ってくるように<京都産業大学小林一彦教授(国文学)>)
■「迎え鐘」
一般的な梵鐘ではなく、ここの鐘は建物の中に封印されています。しかも「押す」のではなく「引く」ことで音を出させる。一説に、梵鐘の下は地中深く(=地獄まで)続いているといい、ややこもったような音色が、「はるか冥土」まで達しているような雰囲気を抱かせる。
■「幽霊飴」
昔、六道珍皇寺の門前に一軒の飴屋があった。
ある夜表の戸を叩く音で出てみると青白い女が1人。「えらい夜分にすみませんが、飴を1つ売っていただけませんか」と一文銭を出して言う。次の日もまたその次の日も、同じように一文銭を出して買っていく。それが六日間続く。
「あれは、ただもんではない。明日銭持ってきたら人間やけど持ってこなんだら、人間やないで」「なんでですねん」「人間、死ぬときには、六道銭というて三途の川の渡し銭として、銭を六文、棺桶に入れるんや。それを持ってきたんやないかと思う」
7日目女はやはりやってくるが、「実は今日はおアシがございませんは、飴をひとつ…」と言う。「よろしい」と銭なしで飴を与えてそっと後をつけると、二年坂、三年坂を越えて高台寺の墓原へ入っていく。そして、1つの塔婆の前でかき消すように消える。
掘ってみるとお腹に子を宿したまま死んだ女の墓。中で子が生まれ、母親の一念で飴で子を育てていたのである。この子、飴屋が引き取り育て後に高台寺の坊さんになったと言う。
母親の一念で一文銭を持って飴を買うてきて、子どもを育てていた。それもそのはず、場所が「コオダイジ(子を大事=高台寺)。(米朝ばなし『上方落語地図』講談社文庫より)
所在地:京都府京都市東山区東大路通松原西入ル北側小松町595。
交通:JR京都駅市バス206系、清水道下車徒歩4分。京阪電車五条駅、徒歩15分。
六道珍皇寺は、永暦年間(782~806)に慶俊の開基といわれているが、空海説や小野篁説はじめ諸説があり、本尊は最澄作の薬師如来で臨済宗建仁寺派の寺。
この付近はかつて死者を鳥辺野(とりのべ)へ葬送する際の野辺送りの場所で、六道の辻と呼ばれ、この世とあの世の境といわれていた。
平安時代、この地域一帯は、埋葬地となっていた、飢饉や天災で死んだ人々の死体が捨てられ、地獄のような光景が広がっていたという。そのような人々の魂がこの場所に渦巻いていると考えられ、昔の人はあまり近寄らなかったようだ。
本堂の後に有名な井戸があり、平安初期の学者・歌人としても名高い小野篁(おののたかむら・802~52年)が、死んだ母親に会うために、あの世に通じるというこの井戸を利用し、夜になると井戸から冥土(あの世)に通い、閻魔王庁で裁判を手伝って、夜が明けると娑婆(この世)に戻ってきたと伝えられている。
閻魔堂には小野篁作と伝わる閻魔大王像と等身大の小野篁像が合祀されている。重文の本尊薬師如来や地獄絵等の寺宝の拝観には事前申込みが必要。
(六道とは仏教用語で、「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天」という、6つの世界を指す。)
「泣く涙雨と降らなむ渡り川 水まさりなば帰りくるがに」(悲しみにたえきれず泣く私の涙よ、雨となって降っておくれ。あの世との境の渡り川の水かさが増したら、妹は渡ることができなくなる。そして再び、この世に帰ってくるように<京都産業大学小林一彦教授(国文学)>)
■「迎え鐘」
一般的な梵鐘ではなく、ここの鐘は建物の中に封印されています。しかも「押す」のではなく「引く」ことで音を出させる。一説に、梵鐘の下は地中深く(=地獄まで)続いているといい、ややこもったような音色が、「はるか冥土」まで達しているような雰囲気を抱かせる。
■「幽霊飴」
昔、六道珍皇寺の門前に一軒の飴屋があった。
ある夜表の戸を叩く音で出てみると青白い女が1人。「えらい夜分にすみませんが、飴を1つ売っていただけませんか」と一文銭を出して言う。次の日もまたその次の日も、同じように一文銭を出して買っていく。それが六日間続く。
「あれは、ただもんではない。明日銭持ってきたら人間やけど持ってこなんだら、人間やないで」「なんでですねん」「人間、死ぬときには、六道銭というて三途の川の渡し銭として、銭を六文、棺桶に入れるんや。それを持ってきたんやないかと思う」
7日目女はやはりやってくるが、「実は今日はおアシがございませんは、飴をひとつ…」と言う。「よろしい」と銭なしで飴を与えてそっと後をつけると、二年坂、三年坂を越えて高台寺の墓原へ入っていく。そして、1つの塔婆の前でかき消すように消える。
掘ってみるとお腹に子を宿したまま死んだ女の墓。中で子が生まれ、母親の一念で飴で子を育てていたのである。この子、飴屋が引き取り育て後に高台寺の坊さんになったと言う。
母親の一念で一文銭を持って飴を買うてきて、子どもを育てていた。それもそのはず、場所が「コオダイジ(子を大事=高台寺)。(米朝ばなし『上方落語地図』講談社文庫より)
所在地:京都府京都市東山区東大路通松原西入ル北側小松町595。
交通:JR京都駅市バス206系、清水道下車徒歩4分。京阪電車五条駅、徒歩15分。