「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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石峰寺 (せきほうじ)

2007年03月02日 00時24分12秒 | 古都逍遥「京都篇」
 百丈山石峰寺は、伏見稲荷大社の南に続く低い丘陵地帯の中腹に位置する禅寺で、正徳3年(1713)黄檗宗第六世賜紫千呆(せんがい)禅師により建立された。平安中期の武将源満仲が摂津多田郷に建立した石峰寺が起源とされている。

寛政年間に画家伊藤若冲が当時に草庵を結び、禅境を好み仏世の霊境を化度利益する事を願い、七代蜜山和尚の協賛を得て安永の半より天明初年まで前後10年余をかけて裏山に五百羅漢を作った。若冲の五百羅漢は磊落な筆法にて下絵を描き石上に彫らせたもので釈迦誕生より涅槃に至るまでを中心に釈迦の一代記を描いたもので、長年の風雨を得て丸み、苔寂び、その風化を伴い表情や姿態に一段と趣を深めている。 尚、羅漢山の西に若冲の墓と書画に秀でた貫名海屋の筆塚がある。

 羅漢とは釈迦の説法を聞き世人より供養される者を言うのであるが、釈迦入滅後その教えを広めた数多の賢者を賛嘆する意味で宗・元時代より五百羅漢の作成が見られる。日本でも室町時代以後この五百羅漢の作成が見られる。その表現は、虚飾のない表情の中に人間性と美を描き、釈迦誕生より涅槃に至るものを中心とし菩薩、羅漢を安置したものである。
 明治以後荒廃していたが、大正15年(1915年)と昭和54年(1979年)に罹災し、現在は本堂、竜宮門などを残すのみである。現在の本堂は昭和60年(1985年)の再建である。
 伊藤若冲は江戸時代中期,正徳6年(1716)2月8日京都の高倉錦小路南東角にあった青物問屋「桝屋」に長男として生まれた。
 名前は代々伊藤源左衛門を名乗り、店の名は屋号と名前から「桝源」といった。40歳の時に弟に家督を譲り、隠居して絵に専念した。
 号の「若冲」は、「老子」の中の「大盈(たいえい)は冲(むな)しきが若(ごと)きも」の一節から採られており、「完成されたものはどこか欠けたように見えるが使っても尽きることがない」との意で、若冲の芸術観をよく現しているといえる。

 石仏群は、「天上天下唯我独尊」と姿を示す釈迦誕生仏から始まり、出山釈迦、25菩薩来迎石仏や18羅漢石仏、釈迦説法の群像、托鉢修行の羅漢〔羅漢(托鉢)〕の群像、釈迦涅槃の場面、賽の河原(賽の河原地蔵)と続いていく。その数は約500体(寺説)で、大きさは2㍍~数10㌢で、表情・姿態はいずれも奇抜軽妙である。「果蔬涅槃図」の作者が原画を描いた石仏群らしい洒脱な石仏群である。
 北条五百羅漢、山野五百羅漢や香高山五百羅漢などと比べると、石や岩の美しさ生かしているとは思えないが、釈迦の一代を描いた絵巻物として見たとき、その素朴さがかえって魅力的ともいえる。

 所在地:伏見区深草石峰寺町26。
 交通:京阪電車深草下車、徒歩約5分。JR奈良線稲荷下車、徒歩約8分
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