夢窓国師の眠る寺として知られる臨川寺は、嵐山の渡月橋東側、料理店「良彌」の西隣にある。大堰川を前方に嵐山を眺望できるこの寺は、建武2年(1335)、夢窓国師によって臨済宗天龍寺派霊亀山臨川禅寺は開創された。
この地は亀山殿の別館川端殿(川端宮)があったが、のちに亀山法皇の皇女昭慶門院嘉子内親王に賜り、さらに女院は後醍醐天皇の皇子世良親王を養子とし、川端殿を譲られた。親王は元翁本元(仏徳禅師)に師事し、川端殿を禅院に改めようとしたが果たせなかった。そこで後醍醐天皇は親王の遺志をつぎ、併せて親王の菩提を弔うべく、夢想国師を請じて開山としたもので、国師はその後、天龍寺の開山となったが、晩年は臨川寺を以って隠居所とし、また親王と国師の塔所に弥勒堂を建立し「三会院」と称した。
境内の東に仮山水をつくり、自ら竹を植え、篩月軒や竹亭友雲庵をつくり、観応2年(1351)9月、77歳の高齢を以って示寂し、遺骸は当寺に葬られた。当寺はその後、五山十刹の第2位となり隆盛を誇った。
しかし、応仁の乱につづく数度の火災に罹災し、諸堂の多くを失った。現在は本堂・書院・中門などが残っているだけだという。
開山堂には国師の木像が安置されている。足利義満の筆による「三会院」さんねいん)の額(中門の上)をはじめ書院中の間にある狩野永徳による16面の襖絵「水墨花鳥図」および枯山水(龍華三会の庭・昭和期の作)の庭園など往時を偲ぶものが多く残る。
京都市の文化指定財である本堂・三会院は、後醍醐天皇が臨川寺を龍華三会の寺とすることを願って名付けた。三会とは、弥勒菩薩がこの世に下生して華林園の龍華樹の下で3度の法会を開いて衆生済度の説法をされたという故事にちなんだもの。
当寺は非公開となっており、諸堂を見ることが出来ないが、良彌の料理処「京都嵯峨料理 奥の庭」は、臨川寺の庭を借景にしていることから、龍華三会の庭(枯山水庭)を楽しむことができる。秋は燃え立つ紅葉に覆われ、紅の炎に包まれる。
「本堂(三会院)」(江戸期)は、正面に裳階のごとき屋根を付して重層とみせ、外まわりは柱だけを立てて吹放しとし、正面中央に両開きの桟唐戸、左右両脇に花頭窓をつける。内部は床瓦敷とし、中央須弥壇上に弥勒菩薩坐像。左脇壇上に夢想国師坐像を安置し、その奥につづく開山堂(祀堂)は、国師の塔所となっている。
「書院」(江戸期)住宅風の建物で、内部は水墨山水図等、16面からなる障壁画があり狩野永徳筆。
現在一般の拝観を受け付けておらず、無住なので問い合わせも受け付けていない。
所在地:右京区嵯峨野天竜寺造路町
交通:市バス四条河原町より11系「嵐山」下車すぐ、阪急嵐山線「嵐山」下車徒歩8分。
この地は亀山殿の別館川端殿(川端宮)があったが、のちに亀山法皇の皇女昭慶門院嘉子内親王に賜り、さらに女院は後醍醐天皇の皇子世良親王を養子とし、川端殿を譲られた。親王は元翁本元(仏徳禅師)に師事し、川端殿を禅院に改めようとしたが果たせなかった。そこで後醍醐天皇は親王の遺志をつぎ、併せて親王の菩提を弔うべく、夢想国師を請じて開山としたもので、国師はその後、天龍寺の開山となったが、晩年は臨川寺を以って隠居所とし、また親王と国師の塔所に弥勒堂を建立し「三会院」と称した。
境内の東に仮山水をつくり、自ら竹を植え、篩月軒や竹亭友雲庵をつくり、観応2年(1351)9月、77歳の高齢を以って示寂し、遺骸は当寺に葬られた。当寺はその後、五山十刹の第2位となり隆盛を誇った。
しかし、応仁の乱につづく数度の火災に罹災し、諸堂の多くを失った。現在は本堂・書院・中門などが残っているだけだという。
開山堂には国師の木像が安置されている。足利義満の筆による「三会院」さんねいん)の額(中門の上)をはじめ書院中の間にある狩野永徳による16面の襖絵「水墨花鳥図」および枯山水(龍華三会の庭・昭和期の作)の庭園など往時を偲ぶものが多く残る。
京都市の文化指定財である本堂・三会院は、後醍醐天皇が臨川寺を龍華三会の寺とすることを願って名付けた。三会とは、弥勒菩薩がこの世に下生して華林園の龍華樹の下で3度の法会を開いて衆生済度の説法をされたという故事にちなんだもの。
当寺は非公開となっており、諸堂を見ることが出来ないが、良彌の料理処「京都嵯峨料理 奥の庭」は、臨川寺の庭を借景にしていることから、龍華三会の庭(枯山水庭)を楽しむことができる。秋は燃え立つ紅葉に覆われ、紅の炎に包まれる。
「本堂(三会院)」(江戸期)は、正面に裳階のごとき屋根を付して重層とみせ、外まわりは柱だけを立てて吹放しとし、正面中央に両開きの桟唐戸、左右両脇に花頭窓をつける。内部は床瓦敷とし、中央須弥壇上に弥勒菩薩坐像。左脇壇上に夢想国師坐像を安置し、その奥につづく開山堂(祀堂)は、国師の塔所となっている。
「書院」(江戸期)住宅風の建物で、内部は水墨山水図等、16面からなる障壁画があり狩野永徳筆。
現在一般の拝観を受け付けておらず、無住なので問い合わせも受け付けていない。
所在地:右京区嵯峨野天竜寺造路町
交通:市バス四条河原町より11系「嵐山」下車すぐ、阪急嵐山線「嵐山」下車徒歩8分。