山門を通して眺める比叡の秀峰は、あたかも額縁に入れたように見えるところから「額縁門」といわれ親しまれている「天寧寺」は、山号を萬松山と称し、曹洞宗に属している。
天寧寺はもと福島県会津若松市東山町にあり、開山傑堂能勝大和尚は楠正成の八男だという。 天正14年(1586)天正の変(伊達正宗会津侵入)のため天寧寺も全焼した。
10世住職祥山曇吉大和尚が焼け残った本尊や法宝等を収拾し、門人光吉和尚を伴い京都寺町頭天台宗休憩法師松蔭坊の遺跡を紹いで、萬松山天寧寺と号し再興に努力した。その後、約200年、天明8年(1788)2月京都大火の際、堂宇悉く焼失。文化元年(1804)に庫裡、9年(1812)に本堂、天保14年(1843)に書院、嘉永2年(1849)に山門、明治32年(1899)鐘楼を再建し、長き年月を経て今日の姿に復興、開創より約400年にも及んだ。
本尊は仏師春日作と伝えられる釈迦如来である。また観音堂には後水尾天皇の念持仏「十一面観音菩薩」及び東福門院の念持仏「薬師如来」が安置されている。明治元年(1868)には、近代曹洞宗史に重要な位置をしめる「碩徳会議」の会場となった。境内墓地には、江戸時代前期の茶人として有名な金森宗和公、剣道示現流開祖と言われる善吉和尚の墓がある。
昭和62年5月には、本堂の前の栢(カヤ)の大木が「京都市登録の天然記念物」に指定された。
本堂は6室からなる大規模な建物で、正面・側面に畳縁、その外側に落縁(おちえん)をまわし、正面に向拝(こうはい)を設ける。室内前列は室境に鴨居(かもい)・欄間(らんま)を設けず、1つの空間としている。後列中央の仏間には来迎柱(らいごうばしら)を立て,本尊を禅宗様の(ぜんしゅうよう)の須弥檀(しゅみだん)の上に安置している。棟札(むなふだ)などにより文化7年(1810)に上棟されたといい、文化15年頃までは造作が行われていたという。なお本堂正面には控柱(ひかえばしら)が出桁(だしげた)を直接支える構造の中門がある。
書院は規模の大きい伝統的な和風の建築物で、床の間・床脇・付書院(つけしょいんょをもつ15畳の上の間、15畳の下の間からなり、北・西・南の三方に入側縁(いりかわえん)をまわしている。西入側縁の北側には一間四方の室が張り出している。
表門は規模の大きい薬医門(やくいもん)形式の門で、安政4年(1857)に建立された。これらの建物は、江戸時代後期の伽藍の形態をよく伝えている。市内においては数少ない曹洞宗の近世寺院建築として貴重である。
所在地:京都市北区天寧寺門前町301。
交通:京都駅から地下鉄烏丸線「国際会館」行、烏丸「鞍馬口」下車、東に8分。京阪電車「出町柳」駅下車、川原町今出川より市バス37系「上賀茂神社」行き乗車「出雲路橋」下車、徒歩5分。
天寧寺はもと福島県会津若松市東山町にあり、開山傑堂能勝大和尚は楠正成の八男だという。 天正14年(1586)天正の変(伊達正宗会津侵入)のため天寧寺も全焼した。
10世住職祥山曇吉大和尚が焼け残った本尊や法宝等を収拾し、門人光吉和尚を伴い京都寺町頭天台宗休憩法師松蔭坊の遺跡を紹いで、萬松山天寧寺と号し再興に努力した。その後、約200年、天明8年(1788)2月京都大火の際、堂宇悉く焼失。文化元年(1804)に庫裡、9年(1812)に本堂、天保14年(1843)に書院、嘉永2年(1849)に山門、明治32年(1899)鐘楼を再建し、長き年月を経て今日の姿に復興、開創より約400年にも及んだ。
本尊は仏師春日作と伝えられる釈迦如来である。また観音堂には後水尾天皇の念持仏「十一面観音菩薩」及び東福門院の念持仏「薬師如来」が安置されている。明治元年(1868)には、近代曹洞宗史に重要な位置をしめる「碩徳会議」の会場となった。境内墓地には、江戸時代前期の茶人として有名な金森宗和公、剣道示現流開祖と言われる善吉和尚の墓がある。
昭和62年5月には、本堂の前の栢(カヤ)の大木が「京都市登録の天然記念物」に指定された。
本堂は6室からなる大規模な建物で、正面・側面に畳縁、その外側に落縁(おちえん)をまわし、正面に向拝(こうはい)を設ける。室内前列は室境に鴨居(かもい)・欄間(らんま)を設けず、1つの空間としている。後列中央の仏間には来迎柱(らいごうばしら)を立て,本尊を禅宗様の(ぜんしゅうよう)の須弥檀(しゅみだん)の上に安置している。棟札(むなふだ)などにより文化7年(1810)に上棟されたといい、文化15年頃までは造作が行われていたという。なお本堂正面には控柱(ひかえばしら)が出桁(だしげた)を直接支える構造の中門がある。
書院は規模の大きい伝統的な和風の建築物で、床の間・床脇・付書院(つけしょいんょをもつ15畳の上の間、15畳の下の間からなり、北・西・南の三方に入側縁(いりかわえん)をまわしている。西入側縁の北側には一間四方の室が張り出している。
表門は規模の大きい薬医門(やくいもん)形式の門で、安政4年(1857)に建立された。これらの建物は、江戸時代後期の伽藍の形態をよく伝えている。市内においては数少ない曹洞宗の近世寺院建築として貴重である。
所在地:京都市北区天寧寺門前町301。
交通:京都駅から地下鉄烏丸線「国際会館」行、烏丸「鞍馬口」下車、東に8分。京阪電車「出町柳」駅下車、川原町今出川より市バス37系「上賀茂神社」行き乗車「出雲路橋」下車、徒歩5分。