京都を訪れる修学旅行の学生たちに人気のある通りの一つが新京極通であろう。土産物を物色する子供たちのはしゃぐ姿が絶えない通りでもある。東西を分かつように通る新京極通り、通称「寺町通り」は距離にして1キロ弱で、天正年間に豊臣秀吉が洛中の寺々を京の町を東と西に南北に並べるたことにはじまる。
新京極通は明治の初めに槇村京都府知事が、三条・四条間の寺々の境内に道を通して造られた。 華やかな賑わいを見せる界隈だが、そんな一角にある六角公園の少し南に間口の狭い山門を構えた寺が「誠心院」である。よくよく注意して歩かないと見逃してしまいそうな小さな山門で、その入口を露天商のような衣装店が山門を見えにくくしている。
華嶽山東北寺(かがくざんとうぼくじ)誠心院は、藤原道長が和泉式部のために建てた小御堂が始まりと伝えられ、昔は「じょうしんいん」と称していたが、先代住職の頃から「せいしんいん」と呼ばれ、界隈では和泉式部寺(いずみしきぶでら)と呼ばれている。
寺伝によると、初代の住職は平安の歌人和泉式部で、その法名を誠心院専意法尼といった。娘の小式部に先立たれた和泉式部は、書写山円教寺(現兵庫県)の性空上人に勧められ誓願寺の本堂に籠り本尊に教えを受ける。女人の身でも六字の名号を唱えれば、身の穢れも消えて往生できる事を聞き、六字名号を日々お唱えして、阿弥陀如来と二十五菩薩に迎えられ浄土へ往生した。
上東門院彰子が父藤原道長に勧め、万寿4年(1027)法成寺の中の東北院の傍らに寺を建立、東北寺誠心院とした(現在の京都御所の東、荒神口辺り)。
鎌倉期には小川通りの一条上ル誓願寺の南に移転している。この頃に泉涌寺の末に成ったという。
その後、天正年間(1573~92年)に豊臣秀吉の命令で現所在地(寺町六角下ル)に移転したおり、宇治田原の城主山口甚介により建立されている。
時を経て、禁門の変による元治元年(1864)の大火で山門をはじめ堂宇を焼失、寺門は荒廃を極めた。平成9年の末、山門が再建された。
本尊の「阿弥陀如来像」と「二十五菩薩石像」は、それぞれ楽器を持ったり、歌ったり、音楽を奏でて、西方極楽浄土の阿弥陀仏が、念仏の行者を迎えるという。また、「百親音巡拝」成満を記念して、「式部千願観音」と「百八観音」、「神変大菩薩」の石像を建立。
高さ約4m、幅二・四m和泉式部宝筐印塔(ほうきょういんと)は、正和2(1313)に改修建立された。江戸時代には、旅の案内書に寺や石塔のことが書かれ、和泉式部を慕い多くの参拝者があったという。
毎年、和泉式部の命日に当たる3月21日には本堂において、午前11時より式部所縁の謡曲「東北」「誓願寺」の奉納がある。
参拝者に人気がある「鈴成り輪」(すずなりくるま)は、和泉式部の古い灯篭の竿と台座を使った、鈴なりの輪で、魔尼車とも呼ばれ、知恵授け・恋授けにご利益があるといわれている。魔尼車を一回転させれば、経典を一回読誦した功徳が得られるという。私もご利益にあずかろうと社運を祈願し1回転させ念じた。
所在地:京都市中京区新京極通六角下ル中筋町487。
交通:JR京都駅から市バス17・205系統で四条河原町下車、徒歩5分。阪急河原町駅から徒歩8分。
新京極通は明治の初めに槇村京都府知事が、三条・四条間の寺々の境内に道を通して造られた。 華やかな賑わいを見せる界隈だが、そんな一角にある六角公園の少し南に間口の狭い山門を構えた寺が「誠心院」である。よくよく注意して歩かないと見逃してしまいそうな小さな山門で、その入口を露天商のような衣装店が山門を見えにくくしている。
華嶽山東北寺(かがくざんとうぼくじ)誠心院は、藤原道長が和泉式部のために建てた小御堂が始まりと伝えられ、昔は「じょうしんいん」と称していたが、先代住職の頃から「せいしんいん」と呼ばれ、界隈では和泉式部寺(いずみしきぶでら)と呼ばれている。
寺伝によると、初代の住職は平安の歌人和泉式部で、その法名を誠心院専意法尼といった。娘の小式部に先立たれた和泉式部は、書写山円教寺(現兵庫県)の性空上人に勧められ誓願寺の本堂に籠り本尊に教えを受ける。女人の身でも六字の名号を唱えれば、身の穢れも消えて往生できる事を聞き、六字名号を日々お唱えして、阿弥陀如来と二十五菩薩に迎えられ浄土へ往生した。
上東門院彰子が父藤原道長に勧め、万寿4年(1027)法成寺の中の東北院の傍らに寺を建立、東北寺誠心院とした(現在の京都御所の東、荒神口辺り)。
鎌倉期には小川通りの一条上ル誓願寺の南に移転している。この頃に泉涌寺の末に成ったという。
その後、天正年間(1573~92年)に豊臣秀吉の命令で現所在地(寺町六角下ル)に移転したおり、宇治田原の城主山口甚介により建立されている。
時を経て、禁門の変による元治元年(1864)の大火で山門をはじめ堂宇を焼失、寺門は荒廃を極めた。平成9年の末、山門が再建された。
本尊の「阿弥陀如来像」と「二十五菩薩石像」は、それぞれ楽器を持ったり、歌ったり、音楽を奏でて、西方極楽浄土の阿弥陀仏が、念仏の行者を迎えるという。また、「百親音巡拝」成満を記念して、「式部千願観音」と「百八観音」、「神変大菩薩」の石像を建立。
高さ約4m、幅二・四m和泉式部宝筐印塔(ほうきょういんと)は、正和2(1313)に改修建立された。江戸時代には、旅の案内書に寺や石塔のことが書かれ、和泉式部を慕い多くの参拝者があったという。
毎年、和泉式部の命日に当たる3月21日には本堂において、午前11時より式部所縁の謡曲「東北」「誓願寺」の奉納がある。
参拝者に人気がある「鈴成り輪」(すずなりくるま)は、和泉式部の古い灯篭の竿と台座を使った、鈴なりの輪で、魔尼車とも呼ばれ、知恵授け・恋授けにご利益があるといわれている。魔尼車を一回転させれば、経典を一回読誦した功徳が得られるという。私もご利益にあずかろうと社運を祈願し1回転させ念じた。
所在地:京都市中京区新京極通六角下ル中筋町487。
交通:JR京都駅から市バス17・205系統で四条河原町下車、徒歩5分。阪急河原町駅から徒歩8分。
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