今日、お世話になっている踊りの師匠の踊りの会が、市の総合文化芸術センター大ホールにおいて開催されることから、原稿を夜なべして書き上げて見に行く時間をつくった。
市内で活動している日本舞踊の会のグループが年に1回、その成果を発表するためのもので、わが師匠の踊りは12時10分からとなっている。
マンションの集会所で毎週土曜日の午後から弟子たちの指導にあたっていて、かつて私も弟子だった。
太鼓を始めたばかりの時代であったが、現勤務先の新聞社の編集長として招聘され、多忙を極めたことから踊りと太鼓と仕事の両立が難しかったこともあり踊りを辞めた。
2度だけ総踊りの舞台に立って踊った経験がある。
師匠はもう80の半ばを過ぎて足腰が弱くなったことと、目が不自由になったこともあり今回の舞台を最後とし踊った。
何組かの踊りの会があるが、その並みいる師匠の中でも群を抜いていて踊りの名手。いつもわが師匠の踊りが始まると場内がシーンと静まりかえる。そして大向こうから「日本一」だの名前が叫ばれる。
2年ぶりの開催で最後の舞台。応援というか見に行かないわけには行かない。
踊り終えると楽屋へ挨拶に行き、帰宅した。
家に上がる前にマンションに咲いている紫陽花を撮影した。
市内で活動している日本舞踊の会のグループが年に1回、その成果を発表するためのもので、わが師匠の踊りは12時10分からとなっている。
マンションの集会所で毎週土曜日の午後から弟子たちの指導にあたっていて、かつて私も弟子だった。
太鼓を始めたばかりの時代であったが、現勤務先の新聞社の編集長として招聘され、多忙を極めたことから踊りと太鼓と仕事の両立が難しかったこともあり踊りを辞めた。
2度だけ総踊りの舞台に立って踊った経験がある。
師匠はもう80の半ばを過ぎて足腰が弱くなったことと、目が不自由になったこともあり今回の舞台を最後とし踊った。
何組かの踊りの会があるが、その並みいる師匠の中でも群を抜いていて踊りの名手。いつもわが師匠の踊りが始まると場内がシーンと静まりかえる。そして大向こうから「日本一」だの名前が叫ばれる。
2年ぶりの開催で最後の舞台。応援というか見に行かないわけには行かない。
踊り終えると楽屋へ挨拶に行き、帰宅した。
家に上がる前にマンションに咲いている紫陽花を撮影した。
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