地元のフリーペーパーを作っている身としては、ネタ探しはもう日常の一部。
ふと、自分が小学校の頃によく行っていた大判焼き屋「金森菓子店」に取材行ってみようかな、と思って足を運びました。
このお店ができたのは、もう40年以上も昔のこと。
私も小学生の頃、70円の小銭をにぎりしめて買いに行ったことがあります。
20年近くたって足を運んだのですが、大判焼きを焼いているおばちゃんが全然老けていないのには驚きました。
これこれこういうわけで、佐渡に何十年も住んでいて、地元と一緒になって
がんばっているお店を取材したいんです。と話をしたところ、
「いやいや、夏にはもう店を閉めようと思っているから、取材はいらん。」
と言われました。
「え?やめちゃうんですか?」
「そう、もう全然お客もこないしね。
このお店も自分のものだったら、ボケ防止のためにやれるけど、借家だからね、家賃も払わないといけないしね。」
「でも、残念だなあ。私もできる限り買いにきますから、もう少し頑張ってみませんか。」
などと軽口をたたいてしまう。
佐渡人はうちとけるとしゃべりだす。
最初はぶっちょう顔だけれど、もとは話すきだと見ている。
この店の歴史を語りだしてくれた。
「ここを通る佐高生なんかは、よく慕ってくれてね。まだお店がここに移転する前なんかは『新しい店の名前を考えてあげるよ』なんて言ってくれてね。」
「へえ、なんて名前を考えてくれたんですか。」
「マドンナ、だったかな。アマンドだったかな、そんなの。」
ちょっと笑ってしまった。
いろいろな歴史を聞くと、なおさら誌面にしたくなる。
「やっぱり閉店記念っていうことで記事に載せませんか。」
結局のところ首を縦にはふってくれませんでした。
佐渡人はとことんまで謙虚です。
しまるまで、私は何度でも大判焼きを買いに行きたいと思っています。
この心根の優しい佐渡人に敬意を表して。
ふと、自分が小学校の頃によく行っていた大判焼き屋「金森菓子店」に取材行ってみようかな、と思って足を運びました。
このお店ができたのは、もう40年以上も昔のこと。
私も小学生の頃、70円の小銭をにぎりしめて買いに行ったことがあります。
20年近くたって足を運んだのですが、大判焼きを焼いているおばちゃんが全然老けていないのには驚きました。
これこれこういうわけで、佐渡に何十年も住んでいて、地元と一緒になって
がんばっているお店を取材したいんです。と話をしたところ、
「いやいや、夏にはもう店を閉めようと思っているから、取材はいらん。」
と言われました。
「え?やめちゃうんですか?」
「そう、もう全然お客もこないしね。
このお店も自分のものだったら、ボケ防止のためにやれるけど、借家だからね、家賃も払わないといけないしね。」
「でも、残念だなあ。私もできる限り買いにきますから、もう少し頑張ってみませんか。」
などと軽口をたたいてしまう。
佐渡人はうちとけるとしゃべりだす。
最初はぶっちょう顔だけれど、もとは話すきだと見ている。
この店の歴史を語りだしてくれた。
「ここを通る佐高生なんかは、よく慕ってくれてね。まだお店がここに移転する前なんかは『新しい店の名前を考えてあげるよ』なんて言ってくれてね。」
「へえ、なんて名前を考えてくれたんですか。」
「マドンナ、だったかな。アマンドだったかな、そんなの。」
ちょっと笑ってしまった。
いろいろな歴史を聞くと、なおさら誌面にしたくなる。
「やっぱり閉店記念っていうことで記事に載せませんか。」
結局のところ首を縦にはふってくれませんでした。
佐渡人はとことんまで謙虚です。
しまるまで、私は何度でも大判焼きを買いに行きたいと思っています。
この心根の優しい佐渡人に敬意を表して。
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