私が作った戦争法反対のステッカーに触発され、連絡をくださった方がいました。
その方は、看護師の方でした。
その方が努める病院では、業務の傍ら、戦争法反対のための
集まりをしているのだといいます。
そして、その意思表示の方法のひとつとして、ステッカーもつくろうという
案がでたのだそうです。
私はその話に、とても感銘を受けました。
看護師という、激務の象徴のような職場の方々が、戦争法という大きな世論に対し、
目を背けずに、今すべきことを、と、声をだそうとしているという事実に、
とにかく感銘を受けました。
「いのちを守る看護師として」とその方はおっしゃっていました。
日常の忙しさを言い訳に、危機感いっぱいの世の中を
見ないふりをしない大人はいるのだ、と
感銘をうけました。
一番最初に犠牲になる人は誰なのか、
看護師さんたちが、日々目にしている「弱い人たち」なのだという事実に、
目を背けずにいるすごさを、
もろに感じ、涙がでそうになりました。
常に現実を見ている看護師さん故の強さなのでしょうか。
「1ミリでいいのだ」と絵本作家の加古里子さんはいいました。
「各自ができることで、少しでも、
一ミリでもいいから、戦争をさせない、
しない努力を集めないと、平和はこないし、
平和は守れないのです。
それには、戦争の時以上の辛い厳しさを覚悟しなければならないということです。
その時は明日ではなく、
今なのです。」
(母の友12月号・「これからの平和のために、わたしたちにできることより抜粋)
彼の絵本はすべて「平和への強い希望」を礎にしたものです。
「地球」とは「人類」とは「人」とは「森」とは「歴史」とは
何かということを、
膨大な知識の中から、絵本という形に集約し、編み出してきました。
これからを生きる子ども達に、「正しい歴史観」を、と
日本だけに留まらない視点でもって、日本の歴史をとらえた絵本も
近年出版し続けています。
この膨大な仕事は
彼にとっての「1ミリ」なのでしょう。
大人がするべき仕事は、本来「平和」のための仕事であるべきで、
加古さんは、それをし続けてきた人です。
私の一ミリは、看護師さんの集まりの方々の目に幸運にも止まりました。
それは、看護師さんのご尽力以外の何者でもないけれども、
その1ミリが大きな流れになって、大きな石を動かすことが
もしかしたら、もしかしたら、あるのかもしれない。
その方は、看護師の方でした。
その方が努める病院では、業務の傍ら、戦争法反対のための
集まりをしているのだといいます。
そして、その意思表示の方法のひとつとして、ステッカーもつくろうという
案がでたのだそうです。
私はその話に、とても感銘を受けました。
看護師という、激務の象徴のような職場の方々が、戦争法という大きな世論に対し、
目を背けずに、今すべきことを、と、声をだそうとしているという事実に、
とにかく感銘を受けました。
「いのちを守る看護師として」とその方はおっしゃっていました。
日常の忙しさを言い訳に、危機感いっぱいの世の中を
見ないふりをしない大人はいるのだ、と
感銘をうけました。
一番最初に犠牲になる人は誰なのか、
看護師さんたちが、日々目にしている「弱い人たち」なのだという事実に、
目を背けずにいるすごさを、
もろに感じ、涙がでそうになりました。
常に現実を見ている看護師さん故の強さなのでしょうか。
「1ミリでいいのだ」と絵本作家の加古里子さんはいいました。
「各自ができることで、少しでも、
一ミリでもいいから、戦争をさせない、
しない努力を集めないと、平和はこないし、
平和は守れないのです。
それには、戦争の時以上の辛い厳しさを覚悟しなければならないということです。
その時は明日ではなく、
今なのです。」
(母の友12月号・「これからの平和のために、わたしたちにできることより抜粋)
彼の絵本はすべて「平和への強い希望」を礎にしたものです。
「地球」とは「人類」とは「人」とは「森」とは「歴史」とは
何かということを、
膨大な知識の中から、絵本という形に集約し、編み出してきました。
これからを生きる子ども達に、「正しい歴史観」を、と
日本だけに留まらない視点でもって、日本の歴史をとらえた絵本も
近年出版し続けています。
この膨大な仕事は
彼にとっての「1ミリ」なのでしょう。
大人がするべき仕事は、本来「平和」のための仕事であるべきで、
加古さんは、それをし続けてきた人です。
私の一ミリは、看護師さんの集まりの方々の目に幸運にも止まりました。
それは、看護師さんのご尽力以外の何者でもないけれども、
その1ミリが大きな流れになって、大きな石を動かすことが
もしかしたら、もしかしたら、あるのかもしれない。
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