画像は六ヶ所村の原燃PRセンター内の写真。
まるでアミューズメントパークのようでした。
こんな風にして、核廃棄物をドラム缶に入れて、コンクリートで固めて
貯蔵するのだそうです。
シュミレーションとわかってはいるのですが、カメラをもって
この前に立つのはこわかったです(笑)
核というテーマと、アトムの世界のような近未来的な設計がどこかマッチしすぎていて、こわかったです。
いま、個人発行の環境フリーペーパーをかいています。
その中の記事のひとつに六ヶ所村へ行った報告書を書こうと思っています。
今だから、本当に今だから言えることですが、
実は六ヶ所村に入り、様々な施設を見るにつけ、
「早く村をでたい」気持ちにかられました。
最初、この感覚はただ「放射能を浴びたくない」という
単純な物理的なものからくる心理だと思っていました。
しかし、六ヶ所村をでて、青森をでてなお、激しい嫌悪感にさいなまれ、
「六ヶ所村とつながること」を拒否する思いがなお消えませんでした。
何故だろう?とただただ疑問でした。
あんなに六ヶ所村のことに興味をいだき、何十冊も本を読み、
六ヶ所を題材にした映画を作った監督と連絡をとり、
そして思い極まって現地まで行ったのに。
本来ならば、現地を見て、話を聞き、形はどうあれ、
「このまんまじゃいけない」と、思いをさらに強くするはずなのに。
そうなった理由をずっとずっと探していました。
そして、今ようやく、原稿を書くために1年近くの時間をおいて気づきました。
感覚的な言葉で表現することを許してもらえるならば
「あの場所にあった憎悪」が空気中に漂っていたのだろう、と。
嫌悪や猜疑心、憎悪、そういうものが美しい自然の中で
満ちていました。
その感覚が、まるで食べ物のように、空気を吸うように
来た者のこころに入り込んできました。
東京がどんなに汚れた空気でも、人によって心地よい場所に感じるのは、
心からあの場所を「楽しい」と感じている人たちの精神が満ちているからです。
だけど、六ヶ所村にはそれさえもない。
ささやかな生きる喜びさえも
「物理的に」奪うことができるものが放射能であり、核なのだと
いわざるを得ないです。
そのことを連れ合いに話したとき、こういいました。
「これだけはやってはいけないっていうことを
しているんだもんな」。
あの村は、核を作る施設がくれたお金のおかげで
少子高齢化の波をまぬがれています。
若い者は村にとどまり、村の経済はうるおっているのだと聞きました。
魂を売り渡してまで解決した少子高齢化の先にあるものは
容易に想像できます。
人が人らしく生きてさえいれば、
少子高齢化も、財政難も一過性の問題にすぎないと自信をもっていえます。
魂を売り渡さないならば、必ず解決する小さな問題です。
今なら、はっきりいえます。
核というものは、いきなりこの地球を爆発させてしまうのではないんだと。
人を一人ずつ、なめるようにゆっくりと壊していき、集落もひとつずつ壊していく。
そして村を町を一つずつのみこんでいく、それこそ悪魔のような技でもって。
そして全てを殺してしまうんだと。
神通力なんて何もない、一人の人間として感じた話。
とあるネイティブアメリカンの言葉
「もう随分前の事だ。政府は我々に食料と衣服を与え始めた。
このまま子供達が子供達のまた、子供達が年老いてもなお政府は与え続けるのだろうか。
いや、我々はそんな事はして欲しくない。
いわくありげな食料や衣服なら既に山ほどもらっていると思う。
我々はそろそろ、自由になりたい。」
(1909年)
まるでアミューズメントパークのようでした。
こんな風にして、核廃棄物をドラム缶に入れて、コンクリートで固めて
貯蔵するのだそうです。
シュミレーションとわかってはいるのですが、カメラをもって
この前に立つのはこわかったです(笑)
核というテーマと、アトムの世界のような近未来的な設計がどこかマッチしすぎていて、こわかったです。
いま、個人発行の環境フリーペーパーをかいています。
その中の記事のひとつに六ヶ所村へ行った報告書を書こうと思っています。
今だから、本当に今だから言えることですが、
実は六ヶ所村に入り、様々な施設を見るにつけ、
「早く村をでたい」気持ちにかられました。
最初、この感覚はただ「放射能を浴びたくない」という
単純な物理的なものからくる心理だと思っていました。
しかし、六ヶ所村をでて、青森をでてなお、激しい嫌悪感にさいなまれ、
「六ヶ所村とつながること」を拒否する思いがなお消えませんでした。
何故だろう?とただただ疑問でした。
あんなに六ヶ所村のことに興味をいだき、何十冊も本を読み、
六ヶ所を題材にした映画を作った監督と連絡をとり、
そして思い極まって現地まで行ったのに。
本来ならば、現地を見て、話を聞き、形はどうあれ、
「このまんまじゃいけない」と、思いをさらに強くするはずなのに。
そうなった理由をずっとずっと探していました。
そして、今ようやく、原稿を書くために1年近くの時間をおいて気づきました。
感覚的な言葉で表現することを許してもらえるならば
「あの場所にあった憎悪」が空気中に漂っていたのだろう、と。
嫌悪や猜疑心、憎悪、そういうものが美しい自然の中で
満ちていました。
その感覚が、まるで食べ物のように、空気を吸うように
来た者のこころに入り込んできました。
東京がどんなに汚れた空気でも、人によって心地よい場所に感じるのは、
心からあの場所を「楽しい」と感じている人たちの精神が満ちているからです。
だけど、六ヶ所村にはそれさえもない。
ささやかな生きる喜びさえも
「物理的に」奪うことができるものが放射能であり、核なのだと
いわざるを得ないです。
そのことを連れ合いに話したとき、こういいました。
「これだけはやってはいけないっていうことを
しているんだもんな」。
あの村は、核を作る施設がくれたお金のおかげで
少子高齢化の波をまぬがれています。
若い者は村にとどまり、村の経済はうるおっているのだと聞きました。
魂を売り渡してまで解決した少子高齢化の先にあるものは
容易に想像できます。
人が人らしく生きてさえいれば、
少子高齢化も、財政難も一過性の問題にすぎないと自信をもっていえます。
魂を売り渡さないならば、必ず解決する小さな問題です。
今なら、はっきりいえます。
核というものは、いきなりこの地球を爆発させてしまうのではないんだと。
人を一人ずつ、なめるようにゆっくりと壊していき、集落もひとつずつ壊していく。
そして村を町を一つずつのみこんでいく、それこそ悪魔のような技でもって。
そして全てを殺してしまうんだと。
神通力なんて何もない、一人の人間として感じた話。
とあるネイティブアメリカンの言葉
「もう随分前の事だ。政府は我々に食料と衣服を与え始めた。
このまま子供達が子供達のまた、子供達が年老いてもなお政府は与え続けるのだろうか。
いや、我々はそんな事はして欲しくない。
いわくありげな食料や衣服なら既に山ほどもらっていると思う。
我々はそろそろ、自由になりたい。」
(1909年)
納得できます。
なるほど、と思います。
漫画みたいにドカンとか、チェルノブイリの事故とかとはまた違うイメージですが、かえってより現実的かもしれません。
今まで滅びてきたものーー絶滅種や、歴史上の政権の交替や、離婚やーーから類推(それぞれずいぶん違うので、乱暴すぎますが)してみています。
前兆や変化は少しずつ進んでいくけれど、気付こうとすればできるはずのものですね。