![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/9a/b390ef6f1a298fe7f263df5038255a48.jpg)
昨日は、戦争法案反対のスタンディングに息子と一緒に参加しました。
「母ちゃん、戦争法案反対してくるから、ホームセンターで父ちゃんと一緒に
うさぎ見てて、待っててね」と言ったのだけれども、
戦争法案反対なら、ぼくも行くと言って一緒に立ってくれました。
急遽、スケッチブックに赤いマジックで描いた「ぼくは戦争はいきたくない」という言葉は
息子を代弁した言葉です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/08/a390731a9f828942d55c27d13315d0dc.jpg)
昨日は30人くらいの人がいました。結構な人数です。
息子は一緒に立ち続けてくれました。
大人の人は喜んでくれました。
スケッチブックの言葉を見て
「そうだよな、戦争になんか行きたくないよな」と声をかけてくれ、
「人殺しなんかするわけにはいかないよな」と言ってくれた。
そして「きみを戦争になんか行かせないからな」と言ってくれた。
たのもしい言葉に、息子はうなづいた。
「来てくれてありがとう、ありがとう」と何度も言ってくれた人もいた。
久しぶりに会った人もいた。
「ずいぶん、かっこいい男になったなあ」と笑いながら息子に言ってくれた。
息子の存在に、大人が励まされてくれたことが嬉しかった。
息子は何も声を発せられなかったられなかったけれども
「戦争になんか行きたくないよな」の優しい大人の言葉に、激しくうなずいていた。
そういうことなんだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/9a/b390ef6f1a298fe7f263df5038255a48.jpg)
最近、息子は何度も「戦争法案はどうなった?」と聞いてきます。
国会前に戦争法案に賛成するような議員は国会にはいかせない、と
車道に市民が寝て阻止したという話をしたら、
息子は驚き、そして笑った。「さすがだ」と言った。
できるだけ、現実と希望を見せられるように答えています。
とても難しいけれども、ここで安易な言葉を伝えるわけにはいかないから。
「だいじょうぶ」とは言っていません。
そうならなかった時に、傷ついてしまうから。
息子よ、こんな母親ですまないね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/c4/aa0de09123098d9f8435a305e16872cd.jpg)
子どもが見ている。
今、大人が示すべきものはなんだろう。
間違えないことはもちろん大事だけれども、
間違いを「間違いだ」と言って、
なおそうとすることのほうが、大人らしい。
人は「与えられるもの」だけでは暮らしていけない生物だから。
「つくりあげて」生きていく生物だから。
ここだけは外せない部分を見せないといけない。
私は大人だから、時に「しょうがない」という言葉も使う。
自分の老後が確実に不安なのも、消費税アップももしかしたら
「しょうがない」かもしれない。
行政のサービスが減少するのも、雇用体制が悪すぎる社会も「しょうがない」のかもしれない。
だけど、ここだけは、これだけは
しょうがない、という言葉は使えない。使っちゃいけない。
人が人を殺すことを、「しょうがない」でくくったら、
自分が殺されても、「しょうがない」ことになってしまう。
誰が殺されても「しょうがない」ことになってしまう。
人殺しを承認しちゃいけない。
生きにくい社会と同一視してはいけない。
周りの雰囲気にのまれたまま、「殺されたくない」と言えないままに、
自分の息子を戦地におくる母親にはならない。
娘と息子を産んだ日に、病室で涙を流しながら、誓ったんだ。
まさか、本当にその時が、こんなにも早く、くるとは思わなかったけれども、
誰の子も戦地に行かせたくない。
「自国民に、ふりかかる火の粉をはらうために自衛隊員があるのであって、
自分から争いの種をまくような、憎悪をつくるような行為をするために
私は自衛隊員になったのではない。」
元自衛隊員の人の言葉は大きく、苦しい。
命を守るために自衛隊員になったのであって、命をなくすために自衛隊員に
なったのではないのだと。
真逆に行為をさせようとしている今の政権に、どうかnoの声を「保持」し続けてください。
「母ちゃん、戦争法案反対してくるから、ホームセンターで父ちゃんと一緒に
うさぎ見てて、待っててね」と言ったのだけれども、
戦争法案反対なら、ぼくも行くと言って一緒に立ってくれました。
急遽、スケッチブックに赤いマジックで描いた「ぼくは戦争はいきたくない」という言葉は
息子を代弁した言葉です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/08/a390731a9f828942d55c27d13315d0dc.jpg)
昨日は30人くらいの人がいました。結構な人数です。
息子は一緒に立ち続けてくれました。
大人の人は喜んでくれました。
スケッチブックの言葉を見て
「そうだよな、戦争になんか行きたくないよな」と声をかけてくれ、
「人殺しなんかするわけにはいかないよな」と言ってくれた。
そして「きみを戦争になんか行かせないからな」と言ってくれた。
たのもしい言葉に、息子はうなづいた。
「来てくれてありがとう、ありがとう」と何度も言ってくれた人もいた。
久しぶりに会った人もいた。
「ずいぶん、かっこいい男になったなあ」と笑いながら息子に言ってくれた。
息子の存在に、大人が励まされてくれたことが嬉しかった。
息子は何も声を発せられなかったられなかったけれども
「戦争になんか行きたくないよな」の優しい大人の言葉に、激しくうなずいていた。
そういうことなんだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/9a/b390ef6f1a298fe7f263df5038255a48.jpg)
最近、息子は何度も「戦争法案はどうなった?」と聞いてきます。
国会前に戦争法案に賛成するような議員は国会にはいかせない、と
車道に市民が寝て阻止したという話をしたら、
息子は驚き、そして笑った。「さすがだ」と言った。
できるだけ、現実と希望を見せられるように答えています。
とても難しいけれども、ここで安易な言葉を伝えるわけにはいかないから。
「だいじょうぶ」とは言っていません。
そうならなかった時に、傷ついてしまうから。
息子よ、こんな母親ですまないね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/c4/aa0de09123098d9f8435a305e16872cd.jpg)
子どもが見ている。
今、大人が示すべきものはなんだろう。
間違えないことはもちろん大事だけれども、
間違いを「間違いだ」と言って、
なおそうとすることのほうが、大人らしい。
人は「与えられるもの」だけでは暮らしていけない生物だから。
「つくりあげて」生きていく生物だから。
ここだけは外せない部分を見せないといけない。
私は大人だから、時に「しょうがない」という言葉も使う。
自分の老後が確実に不安なのも、消費税アップももしかしたら
「しょうがない」かもしれない。
行政のサービスが減少するのも、雇用体制が悪すぎる社会も「しょうがない」のかもしれない。
だけど、ここだけは、これだけは
しょうがない、という言葉は使えない。使っちゃいけない。
人が人を殺すことを、「しょうがない」でくくったら、
自分が殺されても、「しょうがない」ことになってしまう。
誰が殺されても「しょうがない」ことになってしまう。
人殺しを承認しちゃいけない。
生きにくい社会と同一視してはいけない。
周りの雰囲気にのまれたまま、「殺されたくない」と言えないままに、
自分の息子を戦地におくる母親にはならない。
娘と息子を産んだ日に、病室で涙を流しながら、誓ったんだ。
まさか、本当にその時が、こんなにも早く、くるとは思わなかったけれども、
誰の子も戦地に行かせたくない。
「自国民に、ふりかかる火の粉をはらうために自衛隊員があるのであって、
自分から争いの種をまくような、憎悪をつくるような行為をするために
私は自衛隊員になったのではない。」
元自衛隊員の人の言葉は大きく、苦しい。
命を守るために自衛隊員になったのであって、命をなくすために自衛隊員に
なったのではないのだと。
真逆に行為をさせようとしている今の政権に、どうかnoの声を「保持」し続けてください。