『やられても立ち直れる』
1998年7月18日夏の高校野球青森県予選
東奥義塾対県立深浦高校選
試合は「122対0」の記録的な大差となった。
試合後
「弱いなら出場するな」
「勝った側も弱い者いじめ」の議論を呼び、道徳の材料になるなど波紋を広げた。
負けた深浦の工藤監督は過疎の町で懸命に部員を集め初采配を取った試合だった。
また、勝った東奥義塾の小笠原監督も選手時代に甲子園に出場経験があり
母校の復活をかけての試合だった。
「常に全力プレー」の教えを選手達は忠実に守った。
「わざとアウトになれとは言えなかった。
でも、あれで正解だったのか」今も悩み続けている。
試合から数週間、工藤監督はグラウンドに線を引き、部員に言った。
「練習を厳しくする。ついてくる奴だけ越えて来い」
一年生の全員がその線を越えた。
二年後の夏、敗れはしたがシード校から4点を奪った。
東奥義塾の小笠原監督もまた、試合の翌年奥さんを亡くし
病気の母の介護をしながら監督を続けたが
2004年勇退を決めた夏に深浦高校が初勝利した。
深浦高校工藤監督に十年前もしも東奥義高校と逆の立場ならどうしたかと聞くと
「間違いなく手を抜かない。やられても立ち直れると
身をもって知ったから」
また、当時一年生で三年の時主将だった選手も
「あの試合は大変だったけど
一人も辞めずに続けたのは監督が好きだったから」と話す。
高校再編で「木造深浦」となった旧深浦は今夏
2004年以来の夏二勝目を挙げた。
十年前に工藤監督が引いた線は、未来へと繋がった。
(北國新聞2008年7月20日朝刊41面記事より抜粋)
この試合は、高校野球に立ち向かう当事者達の純真さと
表面だけの優しさや道徳を口にする周囲とのギャップを現していると思います。
一番大切なのは当事者の気持ちだったのではないかと思います。
周囲で実力不足、やり過ぎなどと言う方がおかしいことだと思います。
なんと言っても当事者達はその後も一生懸命に野球に打ち込んでいるのですから。
かわいそうといえば良い人になる時代になってしまっています。
そして、合理的な裏付けだけで回ろうとする世の中があります。
しかし、それだけでは人の心の中までは語れないようです。
本質を見極める心の目を持ちたいものです。
1998年7月18日夏の高校野球青森県予選
東奥義塾対県立深浦高校選
試合は「122対0」の記録的な大差となった。
試合後
「弱いなら出場するな」
「勝った側も弱い者いじめ」の議論を呼び、道徳の材料になるなど波紋を広げた。
負けた深浦の工藤監督は過疎の町で懸命に部員を集め初采配を取った試合だった。
また、勝った東奥義塾の小笠原監督も選手時代に甲子園に出場経験があり
母校の復活をかけての試合だった。
「常に全力プレー」の教えを選手達は忠実に守った。
「わざとアウトになれとは言えなかった。
でも、あれで正解だったのか」今も悩み続けている。
試合から数週間、工藤監督はグラウンドに線を引き、部員に言った。
「練習を厳しくする。ついてくる奴だけ越えて来い」
一年生の全員がその線を越えた。
二年後の夏、敗れはしたがシード校から4点を奪った。
東奥義塾の小笠原監督もまた、試合の翌年奥さんを亡くし
病気の母の介護をしながら監督を続けたが
2004年勇退を決めた夏に深浦高校が初勝利した。
深浦高校工藤監督に十年前もしも東奥義高校と逆の立場ならどうしたかと聞くと
「間違いなく手を抜かない。やられても立ち直れると
身をもって知ったから」
また、当時一年生で三年の時主将だった選手も
「あの試合は大変だったけど
一人も辞めずに続けたのは監督が好きだったから」と話す。
高校再編で「木造深浦」となった旧深浦は今夏
2004年以来の夏二勝目を挙げた。
十年前に工藤監督が引いた線は、未来へと繋がった。
(北國新聞2008年7月20日朝刊41面記事より抜粋)
この試合は、高校野球に立ち向かう当事者達の純真さと
表面だけの優しさや道徳を口にする周囲とのギャップを現していると思います。
一番大切なのは当事者の気持ちだったのではないかと思います。
周囲で実力不足、やり過ぎなどと言う方がおかしいことだと思います。
なんと言っても当事者達はその後も一生懸命に野球に打ち込んでいるのですから。
かわいそうといえば良い人になる時代になってしまっています。
そして、合理的な裏付けだけで回ろうとする世の中があります。
しかし、それだけでは人の心の中までは語れないようです。
本質を見極める心の目を持ちたいものです。