もう50年も前になる。あの大学紛争中、多くの若者が内ゲバと称されるセクト内あるいは敵対するセクトとの争いの中で死んだ。犯罪白書によると、その数は100人近いとも。中には内ゲバの巻き添えや事実誤認などで亡くなった学生や一般人も少なくないと言われる。そのひとつに、同じ大学で遭遇した元新聞記者の著者。長く心に抱え込んでいたテーマに決着をはかるべく、半世紀の時を経て追った執念のルポである。当時の記憶、記録をもとに大学構内におけるリンチの末の虐殺がどのように起きたのか、学内の状況や大学当局の対応、決起した一般学生が内部分裂により闘いを終えるまでの過程が克明に記される。事件発生1年後、実行犯のひとりの供述から「密室殺人」の全容が解明された。本の後段では転向した二人に接触、リンチ状況を詳述したひとりから事件への思い、贖罪の人生について取材。著者は<暴力行使を正当化するイデオロギーの魔力>とともに<敵味方の選別をめぐる組織の論理の過酷さ>に戦慄を覚えたと書く。そして二人目、当時のセクト幹部とは対談形式で当時と今に至る心境を聞き取る。正直に思いを吐露していると読める一面、事件そのものへの謝罪やセクトに対する評価が明確に語られていない不満が残る。ただ最後の「寛容」「不寛容」のやり取りで<人間の本質は寛容、人類は寛容の方向に進化してきた。自分なりの性善説を広めていければ>の言葉に少し救われる。「寛容・非暴力」が「不寛容・暴力」に対して絶対的な劣勢は、文中にも出て来る香港やミャンマーの若者、市民の闘いを見ても然り。世界の悪者、ロシアのプーチンに「寛容」の心が芽生えるとはとても思えないが、それでも長い歴史の中で信じたい。勉学途中だった彼と同様、多くの無念の死を無駄にしないためにも。