拙い「小さな庭」をスタートさせてちょうど4年になりました。庭の管理人(犬)だった三四郎が亡くなって1年、その庭の管理人(犬)がいなくなったら、このブログは閉鎖するつもりでした。
ところが、暖かいコメントと、応援していただいている皆様のお陰で、また1年更新することができました。
時々思い出します、三四郎のこと。
暑い夏、日陰をもとめてのびている姿。寒風吹きすさぶ中、ハウスで丸まっている姿。そして春、陽だまりで5月の風に黒い濡れた鼻をピクピクさせている姿。
小さな庭にも今年5月、たくさんの花が咲きました。
きっと、三四郎は5月の風となって、このなつかしい庭に降り立ってきているのだろうと少し、感傷的になりました。
ところが、暖かいコメントと、応援していただいている皆様のお陰で、また1年更新することができました。
時々思い出します、三四郎のこと。
暑い夏、日陰をもとめてのびている姿。寒風吹きすさぶ中、ハウスで丸まっている姿。そして春、陽だまりで5月の風に黒い濡れた鼻をピクピクさせている姿。
小さな庭にも今年5月、たくさんの花が咲きました。
きっと、三四郎は5月の風となって、このなつかしい庭に降り立ってきているのだろうと少し、感傷的になりました。
犬のいなくなったお庭は、本当にさびしいものですよね。私も実家で飼っていた犬達を久々に思い出しました。三四郎君がいなくなってもう1年。早いものですね。
あやさんも犬を飼っていらしたんですね。
三四郎は老衰で看取ったので、悲しい思い出としては、ないのですが、17年も変わらず庭の住人だったので、四季折々、庭の草花の景色のなかに三四郎を思いだすことが多いです。いつもなにか言いたげな、つぶらな瞳で見つめているそんな表情を思いだします。
お庭いっぱい きれいに咲いた花々を眺めに、時々やって来るのでは、見に来てほしいですね。
はやい物ですね。 介護のお話・・・・ 思い出します。 幸せだった三四郎君。 きっとお庭に来て 花々の上を 吹き渡っていることでしょう。 先生が思い出されて居る度に~。そして お庭で温かい風になって お留守番をしている事でしょう。
ブログに三四郎君の記事が載るのが楽しみでした。ご家族がとても大切に面倒を見ていらして
びっくりするほどでしたもの。
我が家にもシェパードがいて家中の話題を独り占めでした。未だに家族が集まれば彼の話になります。決して記憶の薄れることはありません。犬は家族そのもの。
家族の思いでには楽しかったことも哀しかったことも山ほどあるものですね。
でも今年はこんなにたくさんの花が咲いて、「番人が居ないのは淋しいけれど、だいじょうぶよ。」と言っているようにも思えます。
きっとご家族が思い出すたびに、舞い降りてそっと家族の様子や話を聞いていることでしょうね。
ブログの方はまだまだ頑張ってくださいね。
マイペースで。
ブログ上でお付き合いさせて頂けるようになってまもなくの頃でしたので、
Akikoさんの前のページをめくって沢山読ませて頂きました。
素晴らしい家族の一員として皆さんに愛され大切にされた三四郎君は
本当に幸せな一生だっただろうなあ・・・と感動しました。
今も穏やかな気持ちで、お宅の庭や家の中を見守っているでしょうね。
Akikoさんのブログ、これからも楽しみにしています。
無理をしない程度に続けてくださいね。
犬の場合は、「いつもそこに居た!」ということが大きいですね。三四郎の場合は、「いつも庭に居た!」ので、庭におりるとどうしても思い出してしまいます。
>大村さん
そうですね!私が思い出す度に、きっと天国で一緒に過ごしたことなどを思いだしているのでしょう。これからも、たくさん元気で楽しそうにかけ回っていたことを思いだしてあげようと思います。
>フリージアさん
一緒に涙していただいたこと思いだします。ありがとうございました。フリージアさんにとって、きっと大事に育てられた愛犬のことを思い出されたのでしょう。我が家でも、家族が揃うと三四郎のこと、よく話題になります。
>はなこさん
天国の番人(犬)は、もしかしたら厳しい目で監視しているかも知れませんね。サボっていたら叱られそう!「ほらほら、あそこの植物元気がないよ!」なんてね。
はなこさんのお庭に刺激されながら、庭の手入れ頑張ります。ブログもね。
>Rikoさん
過去にさかのぼって、ブログを読んでいただいたなんて、ありがとうございます。
三四郎は、私たち家族にとってはじめてのペットでした。一緒に泣き笑い、そして癒された17年間でした。
彼は、それぞれ問題を抱えている家族にも、物言わぬ人生相談係だったのかもしれません。どれだけ励まされ、元気づけられたことかと思います。ペットの存在の大きさを感じますが、多分三四郎は、我が家にとって最後のペットだろうとも思います。