10年近くの仙台赴任を終え、2015年5月から大阪へ赴任中のオヤジの日記です。
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よっぱのときどき日記





祭りのことで、
「そういえば、子供の頃から引越しを繰り返したせいか、どこへ行っても故郷感を感じず余所者感覚があるなぁ」
と思いましたが…

ちなみに生まれてから覚えている範囲では
大阪市生まれ→東大阪?→名古屋→東大阪→奈良(学園前 登美ヶ丘)(ここまでで幼稚園2つ・小学校1つ目)→彦根(京町)→彦根(後三条辺り)→伊吹町(ここまでで小学校3つ目で卒業)→大津(中学校で高校の寮に入れてもらう)→伊吹町→彦根市(中学校3つ目で卒業後、大垣の高校へ3年間通って卒業)
19歳まで11の住まいかな?抜けているのもあるかも

1年半のバイト生活を経て就職
(SAレストラン→自動車板金屋→サッシ屋)

→東大阪(今の会社に20ちょっと前に入り入寮)→名古屋市北区(約半年で転勤、風呂も無い一間のアパートを充てがわれる)→名古屋市北区(結婚して2DKに引越し)→福岡県春日市→大宮市→大宮市(子供が段々大きくなり転勤に連れて歩くのが難しくなりマンション購入)→福岡県春日市→大宮市→大宮市(色々あって部屋を借りる)→仙台市→仙台市(最初に住んでいた部屋の湿気が酷く色々カビだらけに…寒い日は壁や床が結露する(笑)3〜4年我慢したけど転勤がなかったので引越し)→仙台市(3.11の震災で全壊)→仙台市→東大阪(現在)
入社後33年間で14の住まい

大宮市にいた間にも、最初は駐在所、出張所を開設、東京へ転勤、埼玉へ戻りなど人事異動は数回ありました。

今度、うちの会社では給料制度の改悪が行われます。
そのうちの1つに「地域限定職」という新制度があります。
これは、表向きは

「転勤できない女性やその他どうしても地元から離れたく無いという人でも係長くらい迄は成れますよ。」

という良い制度のようですが…

本社や滋賀の工場で全く転勤に縁もなく生きてきた人間からすると

「地域限定職を選ぶなんでアホがする事、どうせ転勤なんてさせられないんだから、総合職を選んで沢山(比較論であって本当にたくさんでは無い)昇給させてもらおう」

ってなもんです。

では、あいつは営業や業務の仕事は出来ない。(能力的に無理)だから転勤もさせられない。
という人はどうするのでしょう?
本人が自分は能力がある。だから総合職です。
と言えば、当然総合職ですよね。

実際営業に出されてしまい、退職か転勤かを迫られた人間からすると

「地域限定職を選んで地元に帰りたい。」

と思いますが、これが落とし穴になっていて

「会社の都合に背いて個人の意見優先させたような奴は、これから先相当冷遇してやるから覚悟しておけ!」

というような会話が役員会で交わされているんです。

実際に転勤するとどんな事が起こるのか、

家や住む地方が変わり、
築いてきた地域コミュニケーションもゼロになり、
友達とも別れ、
引越しや備品の購入などで大赤字になり、
住みたい所にも住めず、
新しい土地や風習に馴染む努力をし、
言葉の壁やなんやかんやで疎外感を感じ、
生活は苦しくなり、
下手をすると車も手放し、
(例えば東京辺りに転勤させられたら、駐車場だけで3万コースですよ)
給料が上がるわけでもなく、

何よりも我が社は中小企業で出先には人が少なく、同年代の友達なんてまず出来るわけがない。

何も良いことが無いんです。
すごい負担なんです。

例えば東京近郊で生まれ育った人間や、大学で東京に出てきてそのまま就職した人達は、東京近郊での生活方式や車や住まいに対する考え方に納得(というか同化)していますが、
違う地方で生まれ育ち(大学も出て)地方で就職した人間はその地方に居たいものであって不思議ではありません。

工場の中で、なまじっか他人とのコミュニケーション能力が高そうに見えたりして、やりたくも無い営業職にさせられた人で、転勤までさせられた者はたまったもんではありません。

おまけに少しでも役が付いている人間のほとんどは今回の給与制度改悪で年収ダウンになります。

それで彼らのやる気は出るのでしょうか?

今回「総合職」を選んだ人間の半分くらいを転勤させれば良いんです。
それでやっぱり辞めますと言うのが一杯出てきたらこの制度が成り立たない事がわかるはず。


本当に地域限定職を大切に使えるような会社にならない限り、営業職の不公平感は無くならず多分これからもどんどん人が辞めていきます。
残った人間にはどんどん負担が増え、疲れて辞めていきます。

ただでさえクレームだらけで毎日客先で怒られ、毎日成績のことで追いまくられ、売上達成目指して朝早くから現場や客先に行き、5時に現地を出たら事務所に帰るのが7時や8時。
それから見積もりなどを作成して明日の準備をして、9時10時から帰宅。
これで営業手当は1〜1.5万円(非管理職)

やり方が悪いから帰るのが遅いくらいにしか考えていない他部署の人も少なく無いようです。

「売上なんて達成しなくて良いや。
クレームは会社の問題だから、怒られても関係ないや。
定時とちょっとしか仕事しないんで、遠くのお客さんは早くても11時や午後からしか行けないし、夕方のアポは無理無理。3時過ぎには事務所に戻って事務処理しなきゃ。」

ってやれば結構早くに帰れるようになります。
それをしようと思ったら、滅茶苦茶売上を落とすか、担当地区を狭くして人を増やすしかありませんね。

工場勤務の多くは6時か7時頃には家に居て晩酌や趣味も可能。
支店の前の居酒屋では営業職が帰社する前から何人も酒飲んでることも全く珍しくありません。

これだけ不公平感を抱えていては若い子は続きませんね。
当たり前です。

どうすれば少しはマシにしてあげられるんでしょうか…
我々管理職に出来ることを考えなくては…


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今日は枚岡神社の秋の大祭本番です。
朝から太鼓の音が聞こえてきて、9時過ぎにはうちの前の坂道も額田の太鼓台が通って行きます。
いくつかの町ごとに青年団と子供達の大小2つの太鼓台を持って、上がったり下りたり練り歩いているようで、あっちの方から聞こえたかと思うと、今度は違う方から太鼓の音が聞こえてきます。

この辺りは坂ばかりで、特に最後(上)の方になればなるほど急になっていくので、神社近くになると本当に辛いでしょうねぇ
ただ、こういうお祭りがあって地域がまとまるというのはなかなか良いことだと思います。

かなり人も出るようですが、去年も昨夜も行かなかったし、今日も見に行かなくても良いかな…

この辺も転勤族の一人っ子として引越しを繰り返し、大人になっても彼方此方に飛ばされて、故郷感が分からない歪などこへ行っても余所者感覚な所かもしれません。



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