■ 鮎の登れぬ滝 ■==⇒三州横山話より
前を流れる寒狭川に二ノ滝という滝があって、川の中央にある二つの岩の間から水が溢れ落ちていて、絶えず物凄い響きをたてていましたが、ここから二町ほど下がったところに、鵜の頸と言う淵があって、大淵とも呼んでいますが、ここは竜宮へ通じているなどと言いました。
この淵と二ノ滝との間には、奇岩が重畳して、物凄いところでした。 夏、
『鮎が川下から登ってきて、この滝を上ることが出来ないため、これより上流には鮎はいませんが』、
昔上流の段嶺に城のあったとき、城主が滝を破壊して鮎を誘おうと計ると、夢に竜神が現れて、段嶺に城のある限り、鮎を登らせる約束をして、滝の破壊を思い留まらせたと言って、段嶺に城のあった間は、上流にも鮎がいたなどと言いました。
明治の初め頃、付近の村の材木商が申し合わせてこの滝の破壊を計画すると、間もなくその人たちが病気になったり、死んだりしたので、竜神の祟りだと怖れて、滝の傍に、南無阿弥陀仏の文字を刻んで中止したと言いましたが、明治四十三年に、水力電気の工事のために破壊されて、昔の形はなくなりました。
※この文は早川孝太郎(民俗学者、明治22年-昭和31年、新城市横川生れ)によって書かれ、著書「三州横山話」(大正10年発行)に収録されている。
昔(堰堤ができる前)から、必死になって鮎滝を上ってきた来た鮎も、二の滝(長篠堰堤のある場所)は登れなかったようです。因みに現在の鮎滝は三の滝で、一の滝は二の滝(長篠堰堤)より一丁(約百メートル)上流の大荷場川の出口附近にあったと言われています。