滝番小屋

新城市出沢と鮎滝の近況を紹介、その他雑感を少々。

長篠設楽原PA

2015年03月27日 | 地域

 区の引継の書類も一段落、
息抜きに新東名の工事の進捗でも見ようと富永線を上ってみた。
急に気温が上がったせいか、辺りが花粉でモヤっている。

左が下り線のPA、左奥に見える小山が、信長本陣〔茶臼山〕。
右が上り線のPAだが、反対側にあるので本線を跨いで出入りする。
真ん中の通路は富永線だ。
開通まであと一年。

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生きている石

2015年03月13日 | 寒狭峡郷土研究会

〔寒狭峡伝説蒐集中〕

有海の鈴木太一郎(現泰彦)さん宅に不思議な石があると聞き訪ねた。
その石は生きていて、だんだんと大きくなるのだという。

『わたしもおじいさんに話は聞いているんだけど・・』
泰彦さんの奥さんも半信半疑のようにみえたが、
地の神様の横に鎮座している石のところに案内してくれた。

 径三十センチ、重さは二・三十キロはあるだろうか、
苔が生えているが、何の変哲もない石のように見える・・。
俄には信じがたいが、鈴木さんのご先祖さまが四国巡礼の旅で、
ニワトリの卵より小さな石を持ち帰ったものが、家が栄えると共に、
大きくなったのだという。

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〈・・そうか、家運が盛り上がり財を成すのか!、・・・ダメ元だ、
 同級のよしみで、泰彦くんに頼んであの石を借りて暫くうちに置いてみるか・・〉

『おとーさん!、その石、うちに持ってきたら小さくなるかも知れんよ』
 脇で家内がつぶやきに答えた。

・・それはないだろうと思いながらも、家内にそう言われると納得せざるをえない。
 肝心なのは石ではなくて、子孫の繁栄を願ったご先祖様の気持ちと努力なのだ。

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菊の寺紋の勅養寺

2015年03月12日 | 地域

〔寒狭峡伝説蒐集中〕
公宣卿が休まれたという矢部の勅養寺を訪ねた。
左手観音堂の前に由来の案内板。
観音様が老翁になり、公宣卿を鳳来寺に案内したと記してある。
立派なお寺だ。正面本堂の硝子戸の菊の紋が夕日に映える

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泰成和尚の夢世界

2015年03月09日 | 出沢

龍泉寺

こんなに奇麗なところだったのか!

『一年中花が咲いている寺にしたい』
と、様々な花の木を植えた続けた泰成和尚の夢を、
息子の泰俊和尚が叶えた。

手入れの行き届いた庭で競い咲く春の花が、
重要文化財の伽藍を引き立てる。

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禄代塚

2015年03月02日 | 寒狭峡郷土研究会

『七久保に〔禄代塚〕っていうとこがあるって聞いたんだけど?』

「おー、〔禄代塚〕なら、お宮からぐねぐねと坂を登って行くと、
左に別れ道があるが、そっちにはいかんで、少し右の方へまたぐねぐね登って行くと、
布里から来る道にぶつかるで、そこを左のほうにちょっといったところに、
馬頭観音が祀ってあるで、そっから三百メートルぐらい荒原のほうに行くと、
道端に大きな石の塚があるで、どおせんでもわかるわ」
と、簡単な地図を描きながら、七久保の太田さんが教えてくれた。

 十時を少し過ぎていたが、小一時間で行けると聞いて、昼までには戻れるだろうと
行ってみることにした。太田さんが〈ぐねぐね登る〉を二回言っていたので、
気にはなっていたのだが、案の定、雁峰線からツルネまでの上りは半端ではない。
とても一気には登れない。一人では心細くなって何度か引き返そうと思ったが、
一度は〔禄代塚〕を見ておきたいという思いが勝った。途中、息が切れて二度休む。
七久保でもクマを見かけたという噂を思い出して、また急ぎ上った。

 漸く、頂上に辿りつき、一休みして南に百メートル程進むと馬頭観音があった。
やれやれ、ここで間違いない。木に覆われているが背後の切り立った岩盤が
鏡岩に違いない。驚いたことに、ツルネの道は近頃は殆ど人通りが無いはずだが、
道の体をなしている。昔は信州に通じる街道だったというが百年近く前のことだ。
長い間の知恵で、ツルネに道を作れば、移動時間、維持管理共に最小の労力で
できることがわかっていたのだろう。尤も、十分な体力があればの話だが。

 更に三百メートル程南進。あった、あった。六畳間ほどのところに
小石が積み上げられて塚になっている。間違いなくこれが〔禄代塚〕だ。
出沢と荒原の境だ。太田さんの話では、足が早くなるように願かけをして、
石を放り投げたという・・・。考えてみれば、ここに石を放りながら、
七久保と荒原を通っていれば、誰だって山歩きが得意になるに決まっている。
箱根の山の神にだってなれるだろう。日本一足の早い泥棒も、山道で鍛えた
荒原の庄屋には敵わなかった。 

 ものは試し、せっかくここ迄来たのだから、自分も足が丈夫になるようにと、
傍らの石を二個放り投げた。両足の分だ。・・まてよと思い直して、
少し大きめの石を持って行って三個目をそっと積んだ・・・。

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