例年通り、八平会で公民館に門松たて。
松・竹・梅・南天・千両・笹・・・、
材料はすべて出沢地内にあったもの。(縄はJA)
真ん中の親竹の長さは2.2m。
立派なもんだと自画自賛。
竹の切り口が笑って見えるのは気のせいか?。
門松に今年一年の無事を感謝し、来る年の希望を託す。
猟犬に山から追い出されたか、今度は西沢の檻に猪の姉弟。
連日の出動で、ちょっと疲れ気味。ミッチャと相談し、
『正月も来るし、一時休戦するか』ということになり、
箱罠の仕掛けを落ちないようにロックした。
久々の大物。100キロ超。
やっぱり浅谷の猪はよく肥えている。
午前中は門松つくり。昼1時半より処理したのだが、
腰痛と肩痛の4人ではさげれず、引き摺って軽トラまで運ぶ。
バタバタと大急ぎ、何とか日が暮れるまでに解体を済ます。
いつも気になっていたのだが、国土地理院の地図を見ると、
出沢の牛馬屋の裏山に三角のマークが有り〔332.8〕と標高が記されている。
ググってみると、〔横川四等三角点〕となっている。出沢地内のはずだが、
何故か点名が横川になっている?。
思い立ったが吉日、天気はいいし、暇つぶしに探してみるか、と出かけていった。
牛馬屋から直登しようと思っていたのだが、運良く表に出ていた和之さんに出会い
「まっすぐ登ると崖だで、〔どおかん様〕から〔ソンデ〕に上る道を行った方がいい」
と教えられて、〔わさ〕さんの家の横を通り、根岸谷下の砂防えん堤を回り込んで
登っていった。
道といっても、猪や鹿の足跡はあるが、暫く人の通った形跡はない。
若い頃なら走って登れたものだが、と思いながら、ジグザグ坂を、喘ぎ喘ぎ20分
ほど上ると峠についた。道は左の方に続いている。道にそって100メートル
ぐらい行けば、雁峰線に出るはずだ。
三角点は右(東)だ。道は無いが、ツルネは下草も疎らで、
さほど歩きにくくはない。猪や鹿を防ぐために掘ったという、
幅1メートル、深さ50センチぐらいの溝が、万里の長城よろしくツルネに沿って
続いている。その溝に沿って、10分ほど進むと一際高く岩盤が聳えているのが見えた。
回り込んでその岩盤の上に登ると、
あった、在った。15センチ位の標石の周りを雑石で囲ってある。
傍らに、国土地理院・三角点の標柱。ここだ、此処だ。此処が山頂だ。
三角点は見通しのいい場所につくったはずだが、今は木立が邪魔をして
景色はよく見えない。それでも、木立の隙間から、須長の辺りだろうか新東名の
高架が伸びているのが見える。
天気は良いが冬型の気圧配置ということで、七久保から吹く風は冷たい。
五分ほどで体が冷えてきた。急いで写真を撮って、早々に引き返した。
GPSが普及してから、すっかり影の薄くなった三角点だが、
座標値は実在ではない。この現地の三角点こそが国土の基準だ。
三角点の全国展開は大正時代だそうだが、山頂に標石を設置する手間はともかく、
百年近く前、パソコンも関数電卓もない時代に、後方交会法を使って
座標を展開していった昔人には頭がさがる。
確かに知識は我々の方が多いかも知れないが、智慧と努力は昔の人に遠く及ばない。
(20151127)