声なき声に導かれ、強右衛門の墓碑の前に佇んでから10年になる。
鬱蒼とした杉木立の中の参道奥に鎮座した碑の脇で大銀杏がざわめいていた。
何か、私に言いたいことがあるようだった。
『強右衛門の芝居をやるまい』
歌舞伎仲間に声をかけた。折しも市町村合併の話が進んでいて、
新城歌舞伎で【のぼり祭り】に参加、アトラクションに、長篠城址で
野外歌舞伎〔鳥居強右衛門〕を打つことになった。
『歌舞伎は真っ昼間から外で踊るもんじゃない』
『古戦場でやったら、取り殺されるぞ』
師匠にも、仲間にも今ひとついい返事がもらえない。
何処かに有るはずだという根本も手に入らない・・・。
その上、誰も強右衛門をやるものがいない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何としても、強右衛門との約束を果たしたい。
ここは、自分がやるしかないか・・・。
根本は、原田一さんが書き下ろした。
拙いながら、30年近く素人歌舞伎を踊ってきた。
仲間も、師匠の世話にならなくても、役さえ与えられれば其れなりに踊れる。
こうして前代未聞の野外歌舞伎が実現したのだが、
今思うと、あの前後一月は何かフワフワとしていて、
自分ではなかったような気がする。強右衛門に体を支配されていたのだろうか。
・・・一月後、循環器クリニックで〔心房細動〕の診断結果。
以来〔ワーファリン〕のお世話になり、9年目。
今年、出沢区長として鳥居閣祭に参列。
これでなんとか強右衛門との約束を果たした。
明治・大正・昭和・・・
皆、平成な世を望んでいるのだが、
世が乱れ民心が救いを求めるとき、強右衛門が現れるという・・・。
人には生存本能がある。心の奥底を覗き込むとき、
乗客より先に脱出した船長の行動を、隣国の話だ、
不届きな奴だと一笑に付すことは出来ない。
だからこそ、命をも投げ出した利他主義の強右衛門は権現様なのだ。
昼飯を喰ってうたた寝中、ミッチャから電話。
『久しぶりに西沢に客だ。2時からやりたいんだけど・・』
行ってみると、25㎏ぐらいの♂。大急ぎ4時までに何とか済まして解散。
『公民館に忘れ物だ』
再びミッチャからだ。公民館横、的場田の檻にも入っていたのだという。
こっちは15㎏ぐらいの幼獣だ。
「もう5時を過ぎた、明日、あした・・」
出沢は一組の内田仁さんから始まる。
回覧の回る順番である。昔、あそこに街道があって、あの家が先だとか
門口があっちからだから、この家に先に廻るとか、行きつ戻りつしながら
6組七久保の太田さんが最終40番目になる。
ところが・・・、鮎は上るからという理由で、滝番は反対に6組から
1組に逆廻りをすることになっているから、少しややこしくなる。
(昔の有力者のエゴか、もめた結果なのか今となってはその理由は分からない)
新組長の初仕事は滝番のクジ引きだ。組長会で1組長が当たり番を引いた。
今年の口開けは1組からだ・・。が、1組7戸の内どこからか始まるかが問題だ。
1組でも戸口番によっては、最後になるかも知れない・・。
一緒に戸口番のクジも引いたが、区の総会まで開けるのを待つことにした。
天国と地獄は阿弥陀様の手の内だ。
阿弥陀様が微笑んだのは、前述の〔仁〕さんだった。仁さんから
6組大田さんに廻る。喜んだのも束の間、
他の1組6人はハズレだ。最後にまわる。地獄に落ちまいと
『口開けは客が多いで、バカに飛びゃせんわ』とか
『早けりゃあ飛ぶっていうもんでもないし・・。』とか
中には『あいつはこれで今年の運を使い果たしたな』
などと、穏やかならぬ思いで自分を慰める・・。
因みに、仁くんが1番を引いてくれたお陰で6組3番戸の私も口開けになった。
これは勿論、日頃の行いが良いからだ。
『水仙に囲まれたチューリップは痩せてるわねエ』
何気ない妻の一言が、思わぬ発見に繋がることもある。
花は嫌いではないが、手間を思うとつい横着をして、草刈機の紐で叩いて
しまって、わが家ではなかなか花が育たないのだが、昨年、【活性化の会】で、
プランター付きで一式配ってくれたものを、庭先に植えたのが、このところの
陽気で綺麗に咲き出した。
そうか!、水仙に囲まれると痩せるのか?。
それは動物にも有効なのだろうか?。
科学的な証明はされていないが、妻の直感力は確かだ。
この際、妻の周りに水仙の花を置き再現実験をしてみるか・・・。
黃水仙の花言葉《愛に応えて》
我が愛犬はマルチーズの《ナルシス》
『大変な名誉であり、出沢区民として誇りに思います・・』
主催の一興先生に続き、挨拶をする久栄さんも数え九十、立派な文化財だ。
ジェネスプランニングの三舩先生より、文化財の説明を聴き、
四百年近く以前、先祖が出沢に落ち伸び、「世話なった」と、
氏を改名したという、出澤(いでざわ)征男さんのお話。
そして、真打ち〔柳屋小満ん〕師匠の古典【時そば】【長屋の花見】
・・・歴史と文化を堪能した、一日だった。
子供の頃から遊び場であり、馴染んできた、八平神社と龍泉寺が
大変価値のある文化財だ、と認められて、喜んでいい筈なのだが
何故か素直に喜べない・・。
恐らく、貴重な財産を、守って行かなければならないという事で、
心配が先に立つのだろう。
出沢も、過疎化、高齢化、少子化が怖ろしいスピードで進んでいる。
最盛期に比べて、戸数で半分、人口で三分の一、
しかも高齢者が半数を超え、その上遂に、今年は、小学校以下の子供は
一人もいなくなった。
これが、現実であり、現在の出沢の姿だ。
当然、今までと同じことは出来ない。
身の丈に合った、コンパクトな出沢にしなければ、存続できない。
何を捨て、何を残すかということは大変厳しい選択であるが・・、
・・それでも・・お宮、お寺、鮎滝。この3つが出沢の原点であり、
この3点セットが一つでも欠ければ出沢とは呼べないだろう。
・・お宮、お寺、鮎滝、この3点セット、何れも有形であるが、
守ってきたのは、無形の先人の心だ。
精一杯の努力はするつもりだが、守り伝える自信は揺らぐ。