滝番小屋

新城市出沢と鮎滝の近況を紹介、その他雑感を少々。

ほのかな取材

2016年01月31日 | 出沢

 本日、広報ほのかの取材有り。

ソーセージ作りを取材したいと、可愛すぎるカメラマン夏目さんが来区。
5年の限定で活動をしてきた『活性化の会』は今年で解散。
檻クラブ単独での開催となった。
 いつものように猪鹿のソーセージとミンチ作りのあと、作りたての
ソーセージとバラ肉のロール巻き、モツ煮と猪鹿尽くしで親睦会。
野生動物の料理は、近頃はジビエ料理と言うのだそうだ。
 猪鹿の被害は困りものだが、武勇伝の肴に美味いと愛でて食べてやれば、
彼らも本望だろう。

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小松が瀬とさかさ桑

2016年01月18日 | 寒狭峡郷土研究会

 ―小松が瀬とさかさ桑―〔只持・布里小松〕

 長篠の戦で大敗した勝頼は、出沢の橋詰で、身代わりに、勝頼に扮した
笠井肥後守と、名代の武将馬場美濃守が壮絶な殿《しんがり》戦をしている間に、
急ぎ寒狭川を北上し只持小松まで辿り着いた。一万五千を誇った武田軍も、
残るは僅か十数名。梅雨時の雨で増水した寒狭川は板橋が流されて渡れない。
勝頼は家来に命じ、両岸の竹を曲げて束結い橋にして渡った。

 渡って、布里小松、ここまで来れば一安心。小休止して飯を食う事にした。
家来が、近くの畑の桑を切って箸を作った。勝頼はその桑の箸で飯を食って
いる内に、戦を思い起こし、段々と腹が立ってきた。

『遺恨重なる織田信長、必ずこの地に立ち返り、家康諸共討取ってくれん』
勝頼は、怒りに髪を逆立たせ、手に持つ箸を地面に突き立てた。
(杖という説もある)
勝頼の執念が乗り移ったか、この時突き刺した桑の箸が根付いて芽が出たが、
逆さに刺されていたため、枝葉が下に向かって伸びた。

 (この不思議な桑の木は、桑では珍しい二尺ほどの大木になり、
〔小松の逆さ桑〕と呼ばれ、近郷近在の評判になっていたが、明治のはじめ頃
に道路改修のため切られてしまった。只持小松の国道257号線沿いに現存する
ものは、今から50年ほど前に、加藤淳《すなお》さんという人が植えたそうで
ある。飯田線長篠城駅構内のものは、大正15年に医王寺の先住が植えたと
言われている。他に長篠城址の駐車場の横にもある)

 その後、勝頼は追手を気にかけながら、布里栃沢を通り、田峯から段戸山を
越して信州へと落ち延びていった。
 敗走して行った勝頼を哀れんで、後世の人たちは、
  『勝頼や武田の武士の甲斐もなく
      小松が瀬にて名をば流しの』
 と詠いついでいる。
                           寒狭峡郷土研究会

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サバ山とガラ山の境

2016年01月17日 | 寒狭峡郷土研究会

 花ノ木ダムの工事で、堰を切ったため水位が下がり、川岸が露出した。
七久保川の出口から100m位下流、白っぽい花崗岩の岩盤に、黒い片麻岩が
覆い被さるように重なっている。紛れもなくここが境界だ。すると自宅は
領家変成岩の片麻岩の上にあって、隣の宮川さんの家は花崗岩の上に建って
いることになる。70年近く住んでいても、まだまだ知らないことが多い。

 出沢のサバ山と七久保のガラ山、花崗岩は風化して、厚い真砂土の層に
覆われるが、片麻岩はあまり風化せず殆ど表土がない。七久保の猪が
痩せているのは、地質に依るに違いない。それは勿論、人にも当てはまる。
努力の限界を感じる今日此の頃。

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むそうれの地蔵様

2016年01月09日 | 寒狭峡郷土研究会

 国道257号線は、追分から鳳城苑を通り過ぎ音為川を越えると、
右に急カーブし急峻な岩盤の山肌をえぐって長楽へと続いている。
左は切り立った崖でその下は寒狭川の河川敷だ。その崖の岩の上に
ご利益に預かった人が寄贈した、幾つかの馬頭観音に囲まれて
お地蔵様が立っている。

 これが、〔むそうれの地蔵様〕だ。お地蔵様の前は路肩が少し
広がっていて、車が数台駐車することができる。

 〔むそうれの地蔵様〕は昔、田峯の篤志家が、先祖の追善供養に、
難所だった此処を改修した際に建てたそうであるが、がけ崩れを
事前に知らせて旅人を救ったり、事業に失敗した人の願いを聞いて
再起させたりしたというので、今なお、お参りをする人が絶えないそうだ。

 所用で通りかかったので、ちょっと停まってお地蔵様に祈願。

 『願わくは、新城市に民主主義の光明が遍く遍照いたしますように』

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雑考

2016年01月05日 | 雑考

雑考

『七十而從心所欲、不踰矩』

七十過ぎたら、自分の思い通りに生きてよい。
と孔子さまは曰った。

これまでは、他人と上手くやって行きたい、対立をしたくないと、
想ったことも言わずに、我慢をしてきた・・。
(そんな風には見えなかったと言う人もいるが)

最近、日毎、脳内でシナプスの結合がハズレていくのを感じる。
今、書き留めておかないと、すべての情報が消滅してしまうような気がして、
今のうちに少しでも自分の想いを記録しておこうと思っているのだが・・・、
少ない語彙と貧弱な表現力で、『矩』を踰えない事を祈るばかりである。

平成28年1月1日 友引

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猪は減ったか?

2016年01月04日 | 雑考

 出沢では平成23年秋から、獣害防止柵の設置が始まった。

あれから4年、出沢の耕地はほぼ柵で囲まれた。それまでは電気柵で猪を
防いでいたのだが、今ではすっかり鋼製の柵に置き換わった。柵の内側は、
たまに猪に潜り込まれることはあるが、ほぼ被害は無くなった。

 それでは、柵を設置してから猪が減ったのだろうか?。
平成20年以後の出沢地内の檻(箱罠)に掛かった猪鹿は下記の如くである。

出沢地内に設置してある箱罠(7ヶ所)に掛かった猪鹿の数(出沢檻クラブ)

 平成年  20 21 22 23 柵 24 25 26 27 
 捕獲数  13 14 17 22 柵 30 14 26 15 計151頭(内鹿17頭)

  ※猟師が捕獲した数は入っていない。
  ※鹿は箱罠には殆ど入らなかったが、ここ3年は三頭に一頭は鹿が
   掛かるようになった。

 年により変動するので断定はできないが、この表を見る限りでは、
それ程減ってはいないように見える。これからも柵で獣害を防ぎつつ、
駆除をし個体数を抑えながら、猪鹿と共存するしかないだろう。

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寒狭峡郷土研究会資料_160103

2016年01月03日 | 寒狭峡郷土研究会

寒狭峡伝説語り台本①がまとまりました。
禄代塚・大淵と竜宮・氏神様の話二つ、の三話です。
関係者の方は下記よりダウンロードしてください。
PDF_250KB

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茶臼山稲荷手摺完成

2016年01月02日 | 地域

 信長本陣茶臼山のお稲荷さんの階段の手摺が完成。
『ちょっと急すぎる』と地元に頼まれて設置したのだが、
やっぱり手摺があった方が楽だ。
ライトブラウンの手摺は、違和感なく現地に溶け込んでいる。
 新東名が開通すれば、ここは設楽原Pから散策できる。
天下を取った信長が祈願した稲荷だ。あやかりたいと、
お詣りする人も増えるだろう。

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