活性化の会解散
5年間続けた活性化の会だが、皆、段々と劣化し気力も衰えてきた。
もうこれ以上の活性化は望めないと、菜香でお別れ会。
・・・ところが今日が今まで一番の盛り上がり。
もう少し続けることも出来そうだが、やはり潮時か。
マスコミの報道のせいだろうか、最近の中国はあまり良い印象ではないが、
〔菜香〕の陳さんはいい人だ。
煮ても焼いても固くなってしまう、鹿の肉の調理法を教えて貰ったりして、
すっかり意気投合、お友達になった。奥さんは日本語が話せるが、陳さんは
挨拶程度であまり話せない。片言の日本語と身振り手振りで何とか意思は伝わるが、
細かな話になると最後はボールペン(筆談)になる。
陳さんの話によると、中国では♂鹿のアレが朝鮮人参と同じぐらい価値が
あるのだそうだ。それならと、鹿肉と一緒に普段は肉にオシッコの匂いが付くと
真っ先に切り取って棄ててしまう、♂鹿の○ポコとタマタマを持って行った。
陳さんは大喜びで、日陰干ししたものを漢方薬で〔鹿鞭(ろくべん)〕といい、焼酎に
漬けておいて、疲れて体力が無くなった時に飲むと元気がでると教えてくれた。
但し、元気がいい人が呑むと副作用があるから飲んではダメだ、と両手で☓じるし。
・・・副作用?・・・
どんな副作用か聞こうと奥さんを見ると、顔を赤らめてうつむいた。
・?・?・?。
『ミッチャには、内緒にしておいた方がよさそうだ・・』
・・・菜香が流行っているのは、手頃な価格と味は兎も角、陳さんと奥さんの
人柄によるのだろう。
深い淵には、大概魔物が棲んでいる話がある。
龍とか大蛇の類が多いが、細長いものなら隠れていそうな気がするのか。
或いは水中にいるので、どうしても魚のように細長い物をイメージしてしまうの
だろうか。出沢のせと淵の魔物は、只魔物とだけ伝わっていて、龍か蛇か
はっきりしないが、大巻淵のは大蛇だ。
せと淵の魔物は、めくら淵、かいくら淵と三つの淵を行き来していたことに
なっているが、大巻淵の大蛇も、塩瀬の蛇穴、ひつ淵の間を行ったり来たりして
いたらしい。
同じ淵に棲む魔物なのに、橋詰の大淵に棲んでいるのは龍神だ。
願いを聞いてくれれば神で、暴れたり悪さをしたりすれば魔物か・・・。
空爆。。処刑。。自爆テロ。。ネグレクト・・・。
最近は何でもありの世の中だが、どうしても人間のすることとは思えない。
本物の魔物が棲んでいる淵は、人の心の中にあるのではないだろうか?
その淵に棲む魔物は人の願いを聞いてくれる魔物だと信じたい。
このところの冷え込みで、漸く、蜂の姿が見えなくなったので、
記念に写真を撮っておこうと二階に上がっていった。
・・・・・
『こりゃあ、立派なもんだ!』
近くで見ると思ったよりデカイ。
たった一年で大きくなるものだ、と感心しきり。
只、赤蜂が作ったのであって、自分は蜂が一生懸命作っているのを
見ていただけなので大きなことは言えない。
それにしても昔から言われているように、
『蜂が家に巣をかけるとお金が貯まる』
というのは単なる言い伝えで、やっぱり自分で稼がないと
お金は貯まらないものだと分かった。お金を貯めたいのなら蜂を見ている
だけではなく、蜂を見習ってせっせと働けと言う事なのだろう。
2月7日(日);出沢区役員改選。
出沢区 全37戸、129名。
毎年区民の顔ぶれもほとんど変わらないし、皆んな段々と高齢化してきて、
終日公民館で座っている体力も気力も失せてきた。
民主主義のルールから少し外れるかも知れんが、出来るときに、出来る人が、
出来ることをやるしかない。と、ここ2年ほど前から選挙はせず、
事前に選考委員会で根回しをして、信任投票で決定することになった。
その甲斐あって、2時間程で無事終了。
今年は
区長 内田仁
副区長 今泉博史
さんにお願いすることになった。
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出沢の代表者は昔は総代といった。今の区長とは重みが違った。
昨年、妻籠に行って本陣を観てきたが、昔の田舎は大なり小なり
あんなもんだった。封建的だとか独裁制だとか言われるが、
考えてみると、総代は、権力より義務の方が重かったように思う。
良いこと悪いこと・・の全てに責任を負っていたのだ。
それ故、受ける方も、選ぶ方も大変だった。一応選挙で決まっても
なかなか承諾してもらえず、全員、一言もものも言わずに、
真冬の板敷で夜明かししたことも一度や二度ではなかった。
全員が『お願い』をしたのが確認できるまでは返事をしなかったのである。
決まった以上、総代は全員で『お願い』をした代表なのだから、
今、流行りのリコールなどは思いも及ばなかった。
また、総代を受けることができる人(家)も、十戸に一戸位しかなかった。
その他の者は、只黙って総代に選ばれた人が承諾してくれるのを待っていた。
自分などは、昨年、何とか区長を務めたが、当時は、一生涯総代(区長)を
やることはないと思っていたのである。
その代わりに、総代を務めた人(家)は、総代様と様付けで呼ばれて、
皆に一目置かれ尊敬された。
『出沢を守るために、まず自分の出来る義務を果たす』
果たした義務の分だけ世間から認められる・・。声高に地域自治区制度が
叫ばれているが、本来自治は与えられるものではない。自分たちで考え行動
することだ。
法律より慣習との掟が優先した時代。皆に願われた総代が、責任を持って
を纏め守っていた時代。あれも民主主義の一つの形だったかと懐かしむのは、
私だけだろうか。