散歩の途中、ナルがクンクン。
近寄って覗くと、
ヤヤ、ギンリュウソウだ!。
ナルがいなければ、気付かずに通り過ぎただろう。
悪さばかりしているが、偶には役に立つこともある。
などと思う、ワンコ馬鹿。
(■2017-04-30;09:20;滝川の白鳥神社の入口)
■2017-04-29_ヤハズ・馬ノ背;WT15℃
待ちかねた第一陣がヤハズ・馬ノ背に到着。
そんなに大きな群れではないが、兎に角、今年も鮎の顔を拝む事ができた。
これで一安心だ。
注文してあった、パルスオキシメーターが届いた。
肺炎で市民病院に行った時、看護師さんが
『人差し指を出して下さい』
大型の洗濯バサミのようなもので指をはさみ、
『95以上あるから、大丈夫ですね』
と言ってくれた。
何を測っているのか尋ねると、酸素濃度だという。
それ以上詳しく聞く事もできず、ネットでググってみると
血液中のヘモグロビンのサチュレーション(酸素飽和度)
を測っていて、95%以上ないと要注意らしい。
不整脈もあるし、一台購入することにした。
測るのは簡単だ。指を入れてスイッチを押すだけで良い。
暫く待っていると、自動的に測りだす。
外せば5秒ほどで、自動的に切れる。
実際に測ってみると、酸素濃度は97-99%、
脈は不整脈のせいで上手く測れないのか、30-90/minで揺らぐ。
50以下になると、ピッ、ピッ、ピッ、と警告音が出る。
『これが鳴りっぱなしになると、オレもご臨終か・・』
人間は数字ではなく、気力で生きているんだと自分に言い聞かせてみても
警告音が長く続くと、だんだんと不安になってくる。
それにしても、100人の内で2-3人しか遊んでいるものがいないとは
ヘモくん達の頑張りはすごい。逆にいえば殆ど余裕が無いと言うことになるが。
世の中にそんな会社があったら、大発展間違いなしだ。
尤も、自分は遊んでいるという社員はいないだろうが・・。
パルスオキシメーターが40年以上も前に日本人
(日本光電工業株式会社の青柳卓雄、岸道男氏ら)
によって発明されたものだとは知らなかった。頭が下がる。
■2017-04-28;AT20℃、WT15℃
去年は4月22日に第一陣が馬ノ背に到着したのだが、
今年はまだ鮎の姿を拝むことが出来ない。
水温はやや低めだが、水量はあるし上れぬ程ではない筈だ。
昨秋の流下仔魚が例年の一割しかなかったと聞いているので
少し心配になってきた。
4月6日
風邪をこじらせ掛かりつけのU医院へ、
レントゲン写真に白い陰・・・
『肺炎です』
5日間抗生剤の点滴するも、余り効果がなく、
新城市民病院の呼吸器内科に転院し、
さらに4日間点滴(除菌)したが、状況は変わらず咳と微熱が続く。
4月17日
『細菌による肺炎ではないかも知れませんねえ、
点滴を止めて様子をみましょう』
『それで、もし良くならなかったら、肺に水を入れてジャブジャブ
洗うのですが、心房細動があるとリスクが高くなります』
と、事も無げに呼吸器内科のT医師。
治療を止めるのは不安だったが医師の指示には従うしかない。
4月18日
こうなったら、七久保のお不動様に願掛けするしかない。
咳は出るが、幸い熱は下がっている、何とか行けるだろう・・。
お神酒と肴を持って、お不動様の奥の院に上っていった。
咳き込んで十分に呼吸が出来ないので、少し歩くと酸欠状態になる。
何度か休みながら、漸くお不動様まで辿りつき、
点滴の代わりに滝の音を浴びた。
ノウマク サンマンダ バサラダン
センダンマカロシャダヤ
ソハタヤ ウンタラタ カンマン
繰り返すマントラが、滝の音と共鳴し心地よい。
先祖は、何時の頃からか分からぬが、昭和の始めまでは
此処に住んでいた。やっぱり自分も七久保の一族だ。
これで調子が戻るかも知れない。
小一時間不動に抱かれ、お下りのお神酒を頂き山を下りた。
4月21日
お参りしてから、徐々に体調が戻ってきた気がする。
咳は残っているが、体温は終日平熱になった。
結果的に点滴を止めたのは正解だったようだ。
9:00市民病院で検査とレントゲン。
診察を受けると、
陰が大分薄くなった。炎症反応も白血球も下がっている。
このまま養生すれば、大丈夫でしょうと言われ、一安心。
T医師に感謝。守護『七久保不動』に感謝。
今回肺炎になって、色々考えさせられた。
やっぱり人間は、生きているのではなく『生かされている』のだと、
自分に、まだやれること・やらなければならないことがあるなら
もう少し、此処で苦しむ(楽しむ)ことになるのだろうと
何れにしても、自分では選ぶことは出来ないのがよくわかった。
『心の欲する所に従えども矩を踰えず』
自分が何をしたいのか、何をしなければならないのか、まだ見えてこない。
が、暫く寝込んでいる間に、桜は葉桜に、周りは草が伸び放題。
取り敢えず雨で一斉に出たタケノコを掘り、草を刈るのが喫緊の課題。
『年を取ったら、精を出すよりコンだのん』
漸く、先輩の言葉が解かる歳になった。