滝番小屋

新城市出沢と鮎滝の近況を紹介、その他雑感を少々。

石の宝殿を訪ねて

2012年10月15日 | 瑠璃光浄土

 

 縁あって、高砂市【生石《おうしこ》神社】の石の宝殿を訪ねた。

 鮎滝史に
 〔今をさること四百年の昔、寛永二十年(1643年)に、出澤邑(すざわむら)の領主滝川宗右衛門一貞が、丸木流しの通行障害となっていた瀧川(旧寒狭川・現豊川)の三之瀧(釜淵(かまぶち))の棚巌(たないわ)といわれた大巌盤(がんばん)を、
 ◆播州高砂(ばんしゅうたかさご)の石工◆
を使い、凡そ半年の難工事により爆破・切開した結果、木材の流通が容易になったばかりか、遡上する鮎も増加したのであった。これにより、領主設楽市左衛門貞信はその功績を嘉(よみ)し、正保三年(1646年)四月、瀧川家に「永代瀧本支配」のお墨付(すみつき)を与えた。〕
 とあるので、鮎滝を切り開いた石工の故郷を是非に一度訪ねてみたかったのだ。

 生石神社のご神体の浮石は日本三大奇岩の一つで、大国主之命が崇神天皇13年に創建とある。崇神天皇の在位は紀元前97-29年、その頃、大国主之命が岩を掘ったとなれば、これはもう神話の世界だ。尤もこの後、古墳時代に関西一円で石棺に用いられた石は殆んどこの竜山で切りだされた石だということだから、2000年ぐらい前にこの宝殿が創られたと云うのは強ち作り話という訳でもなさそうだ。まさか大国主之命ということはないだろうから誰が何のためにこの浮石を刻んだのかは謎であるが・。

 ご神体の脇にある宝殿の分岩の霊岩を押せば、大国主之命の力が授かるとあり、一押し、その手で身体の良くない処を撫ぜれば治るということなので、最近、回転の鈍くなった頭と元気の無いジュニアをそっと撫ぜる。

 宝殿横の階段を登り竜山の山頂へ、
 竜山は不思議な山だ。岩山なのだがどこかやさしい。手すりもないのにそれほど危険を感じない。足元も岩山にしてはやわらかい。南正面に昔の石切り場が見え、眼下に高砂の町が拡がる。遠景は瀬戸内海に浮かぶ淡路島だ。おそらく400年前、鮎滝を切り開いた石工たちもこの景色を眺めて故郷を旅立ったのだろう。
(高砂市の文化スポーツ課に問い合わせたところ、石工の集団が存在したことは確認できているが、彼らについて記された文献等は殆んどないそうである。正に謎の石工集団だ。)

 何れにしても、鮎滝史には『播州高砂より、石工を呼んで』滝を切り開いたとあり、わが鮎滝と、この地とは深い縁で結ばれているような気がする。

 平成24年10月12日 高砂【石の宝殿】にて

コメント
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