折角、下田迄来たのだから何処か「名所」となるお寺さんにも一軒は寄りたいね・・と 選んだのは
曹洞宗瑞龍山玉泉寺は、天正以前は真言宗の草庵であったのを、天正の初め(1580年代)開山一嶺俊の
来錫によって曹洞宗に改宗され、現在に及ぶこと26世400年の歴史を有する古刹であります
嘉永元年(1848年)3月当山20世翠岩眉毛和尚の代に現在の本堂が落成しております。
嘉永7年3月日米和親条約の締結により、下田が開港され同年5月付録下田条約が結ばれると、玉泉寺は
米人の休息所、埋葬所に指定されました。その2年後、安政3年(1856年)タウンゼント・ハリス総領は
通訳官ヒュースケンを伴い、米艦サンジャシント号で下田に着任しました。ハリスは玉泉寺を日本最初
の米国総領事館として開設。庭前に星条旗が掲揚され、以来2年10ヶ月、この玉泉寺は幕末開国の歴史の
中心舞台となりました。 パンフレットからの抜粋です
ん~~~松では無く「ソテツ」が境内にあるんだ・・・普段見慣れない物は違和感を覚えてしまいます
「牛乳の碑」 農林大臣 河野一郎
安政五年(1858年)二月米国総領事タウンゼントハリスは政務多忙を極め病床にありました。
侍女お吉は ハリスが牛乳を欲するのを知り禁を犯して下田近在から和牛の乳を集めハリスに毎日与えた
ということです。その時ハリスが十五日間に飲んだ九合八勺の牛乳の代価が一両三分八十八文之は米三
俵分に相当したといいますから当時牛乳が如何に高価で貴重なものであったかが分かります。このこと
が日本に於ける牛乳売買の初めといわれます。爾来百余年牛乳は現在重要な国民栄養食糧として年生産
一千余万石に達し酪農事業は重要な国策となりました。乳業の発達は国富の充実と共に前途益々洋々る
ものがあります。
と、この碑に書いてあります。。。そうだったんだ~ それまで牛乳は売買されていなかったんだね!
お勉強になったね~と・・・・・ 御朱印を頂いて帰路に着きます(お昼食べたからね・・・)
しかし・・・・書きずらくなったぞ!! 編集画面が!!
今日よりブログのテンプレートの変更を新しいものにしたので以前のブログが読みづらく
なってしまいましたご了承の程を
徐々に治せるものなら直してまいります・・・・