クリスマス・イヴの夜、ウェイターの仕事を終えた青年が自転車で帰宅途中、ひき逃げ事故に遭う。そして話は事故の半年前に戻る
不動産店経営のディーノ(ファブリッツィオ・ベンティヴォリオ)は娘セレーナ(マティルデ・ジョリ)のボーイフレンドの父親である
富豪のジョヴァンニ(ファブリツィオ・ジフーニ)に近づき、大金を得るために借金をしてジョヴァンニが手掛けるファンドに投資する。
一方、ジョヴァンニの妻カルラ(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)は裕福な生活を送りながら、心は満たされない日々を過ごしていた。
ある日、町で唯一の劇場が老朽化のため取り壊される予定であることを知った彼女は、劇場再建のために奔走する・・・
イタリア、ミラノ郊外…同じ日、時間、場所で、3人それぞれの視点から描いている。上流階級(カルラ)・中産階級(デイーノ)
・下層階級(ルカ) 同じ出来事を色んな視点から見ている。3人の半年を3人の角度から・・・一つの出来事を複数の視点で見せ
人間の浅ましさやいやらしさを巧く表現していると思います。と、この手の複数視点の映画だと、おおよその興味は「犯人は誰か」
とか「ある出来事で一同が会する」といったジグソーパズル的興味が中心になるのだけれど、この映画ではそのどちらでも無かった
物語を進めて、観客の興味を引っ張っていくと言う意味では狙っているのだろうが、根幹は違っていた。此処まで観ていて映画の題名
「人間の値打ち」の意味を考え始めている自分が居た。。。。そうか!轢き逃げ事故…誰が事故を起こしたのか…と「下層階級の父親」
「夫から逃げ始めている富豪の妻」「犯人にさせられそうな息子」「下層階級の娘」「上流階級の父」3人の話が繋がった時・・・・
の振る舞い等で「人間の値打ち」を表現して来るのかと思いや・・・ひき逃げされた方の死亡が伝えられ話は一気に進む・・・結局が
死亡時の保険金額がその人の「値打ち」、とラストのテロップで監督はのたまうが、ジョークにしても一理ある。大半が私利私欲の塊
である人間の真の「値打ち」は、いったい誰が、どんな基準で測ることができるのだろうか?
最後はお金でも肩書きでもない、Lucaの「値打ち」に純粋に惹かれているSerenaに救われる面もありますが、彼女を含め誰も被害者
への真の同情がなさそうでした。幾らか保険金が出ても亡くなってしまった自転車の人とその家族が救われないよ・・・・・
ラストが端折り過ぎで若干もやもやしたものが残ったのが残念でした。でも内容的に面白かったです。 ☆☆☆★