コロナ禍のおかげで私の本来の仕事は当分なくなり他の仕事で何とかして居る実情です
そんな訳なので、私の仕事から考えられないマジックアワーの職場からの帰路 以前より気になっていた
「一本の木」少し小高い畑に立っている この日はもしかして富士が染まるかも・・・と居たのだが
おっ!夕焼けが丁度良いじゃ無いか? あの木の場所に行って見ようと・・・細い道を入っていくと
やっぱり・・ソコソコ「画」になるんじゃ無いか? この高台から富士も見えたが、ん~~でした
コロナ禍のおかげで私の本来の仕事は当分なくなり他の仕事で何とかして居る実情です
そんな訳なので、私の仕事から考えられないマジックアワーの職場からの帰路 以前より気になっていた
「一本の木」少し小高い畑に立っている この日はもしかして富士が染まるかも・・・と居たのだが
おっ!夕焼けが丁度良いじゃ無いか? あの木の場所に行って見ようと・・・細い道を入っていくと
やっぱり・・ソコソコ「画」になるんじゃ無いか? この高台から富士も見えたが、ん~~でした
所用で山梨まで行った際、少し時間はあるな・・・では「三十三番土偶札所」をと韮崎で探す
ナビに場所を入れ向かったのだが、駅前?無いぞ?何処?とグルグル回る・・・ん?もしや此処?
韮崎市民交流センター『ニコリ』の中にその場所はありました「韮崎市ふるさと偉人資料館」分かり辛~
韮崎市ふるさと偉人資料館では、韮崎にゆかりがあり、ふるさとの歴史に顕著な業績を残した人々をとりあげ
その生涯や足跡をたどりながら人物像に迫り、それぞれの偉業から多くのことを学びたいと考え、関係する資料
を展示しています。今回は甘利山について、穂坂直光さん(1847-1920、現・韮崎市大草町若尾出身)は明治時代
に荒廃した甘利山に木を植え、後世に山の恵みを受け継いでくれた人ですが、直光さんがよみがえらせた甘利山
とはどんな山なのでしょう?その歴史と甘利山倶楽部の事業報告などが展示されていました それはそうと・・
入って直ぐの場所に展示されていました 「坂井遺跡の顔面把手(がんめんとって)」
顔面把手とは?なんぞや 縄文時代中期の土器の口縁部につけられた人面をかたどった把手・・・
深鉢形土器 の口縁の部分からニョキッと上に 出っぱった格好で 付けられます 中は空洞
又、何れ尖石遺跡などに伺った際に深鉢形土器等あるのでその際に・・・(忘れなければですが)
山梨にはちょこちょこと伺う事もあるので焦らずのんびりと回らせて頂きます