今日(5月28日)は、「花火の日」
1733(亨保18)年5月28日、隅田川で水神祭りの川開きが行われ、慰霊を兼ねた花火が打ち上げられた。他に 8月1日 も花火の日 らしい。
花火のルーツは古く、紀元前3世紀の古代中国では、すでに火薬の原料となる硝石が発見されていたので、その硝石を緊急連絡用の通信手段「狼煙(のろし)」として使ったのが、花火の起源だったようでだ。そして12世紀中期から後期、中国では花火の原型となる爆竹やねずみ花火に近い物が作られ、王侯貴族に限らず庶民が街頭で遊ぶ姿も見られたという。その後、1400年頃ヨーロッパ方面に伝えられ全土に広がり、火薬と花火製造がさかんに行われ、この時代、ヨーロッパの花火は主に王侯貴族のものであり、王の権力を誇示するため、王が催すイベントなどで上げられたという。
日本で花火が製造されるようになったのは16世紀の、鉄砲伝来以降である。
記録に残っている日本の花火第1号は大きく遅れて、1589(天正17)年に伊達正宗が米沢城でで花火を楽しんだものだとも、1613(慶長19)年に徳川家康が江戸城内で花火を見物したものだとも言われているが、こうしてようやく日本にも花火が登場したわけであるが、そのほとんどは外国製であり、大きな花火の大半は外国人によって打ち上げられていたようだ。江戸時代になり、戦がなくなると、1623(元和6)年には、徳川家光が花火を奨励し、1635(寛永12)年頃、各藩の砲術師達が火薬を平和利用して花火を揚げたのではないかと言われ、やがて花火は将軍家や諸大名など身分の高い人々の間で広まり、大川端(隅田川)の下屋敷では、花火を打ち上げるのが年中行事になったようだ。
当初の納涼花火は、諸大名が屋形船に、遊女を伴って酒をくみ交わしつつ涼をとったのが始まりで、花火を売る船が多数の屋形船の間を漕ぎまわり、客の注文に応じて花火を上げるという豪勢なものであった。花火の流行は江戸の町民にも広がり、市中でも花火を上げていたが、そのため、花火による火災も度々発生、ついには1648(慶安元)年 「花火禁止令」が出され、その後も、度々火災が発生したのだろう、度重なる禁上令が出ており、江戸市中での花火が禁じられ、大川端でのみ花火が許されるようになったため、夏の納涼期には花火舟が出て、かなり繁盛していたようだ。
1659(万治2)年、両国橋完成。このころ大和国(奈良)篠原村から鍵屋弥兵衛(初代鍵屋)が江戸花火の人気を聞き、堺、岡崎で火薬を学びながら、江戸にやってきて、日本橋横山町に「鍵屋」の看板をあげ、民間の花火専門業者としておもちゃとしての花火の製造を始める。そして、鍵屋がはじめて隅田川で花火を揚げたのは1711(正徳元)年だとされている。当時は、鍵屋のような花火専門業者の花火は町人花火と呼ばれ、これらに対して、大名らが配下の火薬職人らに命じてあげさせた花火は武家花火と呼ばれ、特に、火薬製造が規制されなかった尾張藩、紀州藩、水戸藩の3つの徳川家の花火は御三家花火と呼ばれ、江戸町人らに人気があったという。ただ、武家花火は、戦に用いる信号弾のようなものが進化したもので、色や形を楽しむ町人花火とは、方向性が若干異なるそうだ。しかし、1657(明暦3)年明暦の大火、いわゆる振紬火事で江戸は全くの焼野原になり、盛んだった舟遊びも一時姿を消していた。
そして、1733(亨保18)年、ひどい飢饉が起こったうえ、コレラが大流行し多数の死者が出た。この事態を重く見た八代将軍吉宗は、この年の今日(5月28日)、疫病死者の慰霊と悪霊退散を祈り、隅田川で水神祭りを行い、花火が打ち上げられた。これが後年、「両国川開き」として恒例化していき、毎年5月28日から8月28日まで隅田川に涼み船を出すことが許され、初日には花火を打ち上げることになった。その後商人達の間で花火がブームになり花火の文化が江戸に広まった。ただ、打ち上げ花火は、1751(寛延4年・宝暦元)年頃に開発されたとされており、それ以前の花火は、煙や炎が噴き出す花火であったと考えられている。
そして1810(文化7)年 、鍵屋にいた清七という腕の良い職人が、代々弥兵衛を名乗る鍵屋から暖簾をわけてもらい、両国吉川町に分家「玉屋」を興し、玉屋市弥兵衛を名乗ることになった。以降、大川端の川開きは「鍵屋」「玉屋」時代を迎える。花火が揚がると「かぎや~!」「たまや~!」と掛け声をあげるのは、この江戸時代の花火業者「玉屋」と「鍵屋」に由来している。ところが、1843(天保14)年、「玉屋」は火災をおこして全焼、江戸所払いになり、一代限りで栄光の座を失う。一方の 「鍵屋」は第二次世界大戦期に13代天野太道が花火製造を取りやめ、現在は打ち揚げ専業業者となっている由。
江戸時代の日本の花火の色の主体は、炭火色の、いわゆる「和火」と呼ばれているものだそうだ。硝石・硫黄・木炭を主として作られた火薬で、色は赤橙色であったという。当時書かれた浮世絵にも、花火の色は赤橙色一色である。
以下参考の「国立歴史博物館」にある「両国大花火夕涼之景 豊原国周作」及び、「両国花火之三曲 延一作」を見ると、その様子がよくわかるよ。
明治維新の頃になると、外国から様々な発色剤が輸入され、これらを使って花火作りに成功したのも、鍵屋だったそうだ。花火に色が加えられ観客を喜ばせた。この頃からの新しい色を『洋火』とよぶそうだ。今では隅田川花火大会として全国的に有名な行事となっている。花火に関しては特に江戸での記録が多く残っているが、これ以外の地方でも花火の製造はおこなわれていたわけであり、特に、外国と交易のあった九州と、長野、愛知などでは、江戸時代から花火がつくられていた。特に、三河国岡崎地方(現在の愛知県岡崎市付近)は徳川家康の出身地ということで、火薬に関する規制がゆるやかであり、江戸時代から町人が競って花火を製造していた。現在も岡崎周辺におもちゃ花火問屋が多いのはこの名残だといわれる。これ以外の現在の花火の主な産地は長野県、新潟県、秋田県、茨城県で、徳川家にゆかりのある地方が多いようだ。
今では、どこの地方でも夏になれば、花火大会が行われているようだが、もともとは、西洋のほうが歴史のある花火も、日本人の手によって、凄く、芸術的な花火になったよね~。花火でも、今までの日本人の技術力の高さが証明されているが・・・。これからはどうなんだろうね???
以下参考のものの中では、「花火~夜空を彩る大輪の華~(川の博物館HP)」が花火の画像も多くわかりやすいよ。
(画像は、歌川広重「名所江戸百景 両国花火」。江戸東京博物館蔵 )
参考:
花火 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E7%81%AB
屋形船 江戸屋たかはし丸:花火の歴史
http://www.takahashimaru.com/hanabihistory.html
花火の歴史
http://www.mof.co.jp/main/word/histry.html
花火の歴史
http://www.satoenka.jp/history/history.html
国立歴史博物館
http://www.rekihaku.ac.jp/index.html
花火~夜空を彩る大輪の華~(川の博物館HP)
http://www.river-museum.jp/tokuten/2003_hanabi/hanabi-top.htm
1733(亨保18)年5月28日、隅田川で水神祭りの川開きが行われ、慰霊を兼ねた花火が打ち上げられた。他に 8月1日 も花火の日 らしい。
花火のルーツは古く、紀元前3世紀の古代中国では、すでに火薬の原料となる硝石が発見されていたので、その硝石を緊急連絡用の通信手段「狼煙(のろし)」として使ったのが、花火の起源だったようでだ。そして12世紀中期から後期、中国では花火の原型となる爆竹やねずみ花火に近い物が作られ、王侯貴族に限らず庶民が街頭で遊ぶ姿も見られたという。その後、1400年頃ヨーロッパ方面に伝えられ全土に広がり、火薬と花火製造がさかんに行われ、この時代、ヨーロッパの花火は主に王侯貴族のものであり、王の権力を誇示するため、王が催すイベントなどで上げられたという。
日本で花火が製造されるようになったのは16世紀の、鉄砲伝来以降である。
記録に残っている日本の花火第1号は大きく遅れて、1589(天正17)年に伊達正宗が米沢城でで花火を楽しんだものだとも、1613(慶長19)年に徳川家康が江戸城内で花火を見物したものだとも言われているが、こうしてようやく日本にも花火が登場したわけであるが、そのほとんどは外国製であり、大きな花火の大半は外国人によって打ち上げられていたようだ。江戸時代になり、戦がなくなると、1623(元和6)年には、徳川家光が花火を奨励し、1635(寛永12)年頃、各藩の砲術師達が火薬を平和利用して花火を揚げたのではないかと言われ、やがて花火は将軍家や諸大名など身分の高い人々の間で広まり、大川端(隅田川)の下屋敷では、花火を打ち上げるのが年中行事になったようだ。
当初の納涼花火は、諸大名が屋形船に、遊女を伴って酒をくみ交わしつつ涼をとったのが始まりで、花火を売る船が多数の屋形船の間を漕ぎまわり、客の注文に応じて花火を上げるという豪勢なものであった。花火の流行は江戸の町民にも広がり、市中でも花火を上げていたが、そのため、花火による火災も度々発生、ついには1648(慶安元)年 「花火禁止令」が出され、その後も、度々火災が発生したのだろう、度重なる禁上令が出ており、江戸市中での花火が禁じられ、大川端でのみ花火が許されるようになったため、夏の納涼期には花火舟が出て、かなり繁盛していたようだ。
1659(万治2)年、両国橋完成。このころ大和国(奈良)篠原村から鍵屋弥兵衛(初代鍵屋)が江戸花火の人気を聞き、堺、岡崎で火薬を学びながら、江戸にやってきて、日本橋横山町に「鍵屋」の看板をあげ、民間の花火専門業者としておもちゃとしての花火の製造を始める。そして、鍵屋がはじめて隅田川で花火を揚げたのは1711(正徳元)年だとされている。当時は、鍵屋のような花火専門業者の花火は町人花火と呼ばれ、これらに対して、大名らが配下の火薬職人らに命じてあげさせた花火は武家花火と呼ばれ、特に、火薬製造が規制されなかった尾張藩、紀州藩、水戸藩の3つの徳川家の花火は御三家花火と呼ばれ、江戸町人らに人気があったという。ただ、武家花火は、戦に用いる信号弾のようなものが進化したもので、色や形を楽しむ町人花火とは、方向性が若干異なるそうだ。しかし、1657(明暦3)年明暦の大火、いわゆる振紬火事で江戸は全くの焼野原になり、盛んだった舟遊びも一時姿を消していた。
そして、1733(亨保18)年、ひどい飢饉が起こったうえ、コレラが大流行し多数の死者が出た。この事態を重く見た八代将軍吉宗は、この年の今日(5月28日)、疫病死者の慰霊と悪霊退散を祈り、隅田川で水神祭りを行い、花火が打ち上げられた。これが後年、「両国川開き」として恒例化していき、毎年5月28日から8月28日まで隅田川に涼み船を出すことが許され、初日には花火を打ち上げることになった。その後商人達の間で花火がブームになり花火の文化が江戸に広まった。ただ、打ち上げ花火は、1751(寛延4年・宝暦元)年頃に開発されたとされており、それ以前の花火は、煙や炎が噴き出す花火であったと考えられている。
そして1810(文化7)年 、鍵屋にいた清七という腕の良い職人が、代々弥兵衛を名乗る鍵屋から暖簾をわけてもらい、両国吉川町に分家「玉屋」を興し、玉屋市弥兵衛を名乗ることになった。以降、大川端の川開きは「鍵屋」「玉屋」時代を迎える。花火が揚がると「かぎや~!」「たまや~!」と掛け声をあげるのは、この江戸時代の花火業者「玉屋」と「鍵屋」に由来している。ところが、1843(天保14)年、「玉屋」は火災をおこして全焼、江戸所払いになり、一代限りで栄光の座を失う。一方の 「鍵屋」は第二次世界大戦期に13代天野太道が花火製造を取りやめ、現在は打ち揚げ専業業者となっている由。
江戸時代の日本の花火の色の主体は、炭火色の、いわゆる「和火」と呼ばれているものだそうだ。硝石・硫黄・木炭を主として作られた火薬で、色は赤橙色であったという。当時書かれた浮世絵にも、花火の色は赤橙色一色である。
以下参考の「国立歴史博物館」にある「両国大花火夕涼之景 豊原国周作」及び、「両国花火之三曲 延一作」を見ると、その様子がよくわかるよ。
明治維新の頃になると、外国から様々な発色剤が輸入され、これらを使って花火作りに成功したのも、鍵屋だったそうだ。花火に色が加えられ観客を喜ばせた。この頃からの新しい色を『洋火』とよぶそうだ。今では隅田川花火大会として全国的に有名な行事となっている。花火に関しては特に江戸での記録が多く残っているが、これ以外の地方でも花火の製造はおこなわれていたわけであり、特に、外国と交易のあった九州と、長野、愛知などでは、江戸時代から花火がつくられていた。特に、三河国岡崎地方(現在の愛知県岡崎市付近)は徳川家康の出身地ということで、火薬に関する規制がゆるやかであり、江戸時代から町人が競って花火を製造していた。現在も岡崎周辺におもちゃ花火問屋が多いのはこの名残だといわれる。これ以外の現在の花火の主な産地は長野県、新潟県、秋田県、茨城県で、徳川家にゆかりのある地方が多いようだ。
今では、どこの地方でも夏になれば、花火大会が行われているようだが、もともとは、西洋のほうが歴史のある花火も、日本人の手によって、凄く、芸術的な花火になったよね~。花火でも、今までの日本人の技術力の高さが証明されているが・・・。これからはどうなんだろうね???
以下参考のものの中では、「花火~夜空を彩る大輪の華~(川の博物館HP)」が花火の画像も多くわかりやすいよ。
(画像は、歌川広重「名所江戸百景 両国花火」。江戸東京博物館蔵 )
参考:
花火 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E7%81%AB
屋形船 江戸屋たかはし丸:花火の歴史
http://www.takahashimaru.com/hanabihistory.html
花火の歴史
http://www.mof.co.jp/main/word/histry.html
花火の歴史
http://www.satoenka.jp/history/history.html
国立歴史博物館
http://www.rekihaku.ac.jp/index.html
花火~夜空を彩る大輪の華~(川の博物館HP)
http://www.river-museum.jp/tokuten/2003_hanabi/hanabi-top.htm