今日(5月30日)は、「掃除機の日」
日本電機工業会が1986(昭和61)年に制定。ダニやカビが多く発生する梅雨どきに向けて、掃除の大切さを呼びかける日だそうだ。
私のような年代のものは掃除機と聞くと、戦後間なしのアメリカのチャック・ヤングの漫画を思い出す。戦争でアメリカに負けたが、チャック・ヤングの漫画「ブロンディー」の世界は、悔しいがまぶしいものであった。その日の食べるものもままならない時代、漫画の主人公がぱくつくサンドイッチの特大の厚さに苛立ちを覚えながらもその世界に惹かれた人は多いのではないか。
アメリカの人気漫画「ブロンディー」が朝日新聞に連載されたのは、1949(昭和24)年1月から1951(昭和31)年4月まで。賢婦人のブロンディーと勤め人ダグウッド一家の平凡だが幸せな生活を描いた漫画は、敗戦で喘ぐ日本人に余りの豊かさを伝える「教材」ともなった。当時の日本の家庭から見れば超豪華な部屋と家具、それに家電製品をうらやましくみたものだ。例えばそこに登場する超大型の冷蔵庫や電気掃除機・洗濯機など。超大型冷蔵庫の中には溢れんばかりの食品がずらりと並んでいる。日本人が寒い寒中盥(タライ)に水を張り皸(あかぎれ)だらけになっているのに、電気洗濯機が勝手に洗濯をしてくれる。日本人が箒(ほうき)で誇りをたてながら部屋を掃除しているのに、広い部屋を電気掃除機でスイスイと掃除をしている。アメリカのごくありふれた家庭が、かくも豊かな生活をしているのかと日本人はオドロキの目をもって漫画を見た。まさに、ブロンディーの生活水準は高嶺の花。日本の家庭の戦前・戦後の生活レベルとアメリカのそれとの歴とした格差に一等国と四等国の違いを見、日本がアメリカに負けたことが、当然のこととして納得もさせられた。
そして、一日も早くそんな生活がしたいと、皆必至に頑張った。当時の日本人に、世界一の経済大国になろうといったような野望があったわけではなく、ブロンディーと同じ様な、小市民的で平和な生活への憧れをもっていただけなのではないか・・・。
1945(昭和20)年に終戦後1952(昭和32)年4月までGHQ(連合国軍総司令部)が日本に駐在していた。そして、その進駐軍のため日本の電機メーカーに電気洗濯機などを作らせた。日本も本格的に白物の電気製品をつくるきっかけになったのはここからである。掃除機について言えば、国産初の電気掃除機は1931(昭和6)年に、東芝より発売された。
以下参考の「東芝科学館 - 東芝一号機ものがたり:わが国初の電気掃除機」によれば、”「ほうき」に代わる電気掃除機はゴミも小さな塵も一緒に清掃したいという欧米で考案され、最も原始的な掃除機は1858年に米国のへリックが考案した絨毯用掃除機で、その後、1899年(明治32)、米国ゼネラルコンプレスト・エア&バキューム社の空気ポンプを利用したアップライト型真空掃除機が発明された。これは高速回転させた電動送風機を内部の空気の遠心力で移動させ、大気圧より低圧にしてゴミや小さな塵を吸引するという基本原理で、現在とほとんど変わらない画期的な製品だった。日本に輸入されたのは大正初期で、ごく一部の家庭でしか使用されなかった。そして、1931(昭和6)年、東芝の前身である芝浦製作所がGE社製をモデルに開発したアップライト型国産第一号のVC–A型を発売。価格は110円で当時の大卒初任給の約2ヶ月分に当たった。」とある。詳しくは、同HPを参照されたい。
しかし、当時の日本の住宅は畳みが殆どのためなかなか普及しなかった。1950(昭和25)年、日本は幸運にも、朝鮮動乱特需により、戦後の景気低迷から脱出することになる。1953(昭和33)年には、街頭テレビが人気を呼ぶようになり、蛍光灯が普及し始める。そして、1954(昭和29)年には、電気冷蔵庫・洗濯機・掃除機が「3種の神器」に挙げられ、その後の電気製品の普及の端緒となった。しかし、この「3種の神器」の中でも、当時「電気掃除機」の必要性はまだまだ低かった。それは、日本家屋ではまだ畳の部屋が多く、米国文化のように土足で家に上がることもないので、箒での掃除でも十分楽だったからである。だから、翌1955(昭和30)年に発売された電気釜の方が手間を省くという点では大きく貢献をしたといえるだろう。電気掃除機が一般家庭に普及し始めたのは、じゅんたんを敷いた洋室が増えはじめた1960(昭和35)年代以降のことである。電気釜は他のものと比較して価格そのものが安かったため発売以来普及は早かった。普及率の統計をとる時期そのものが遅かった電気掃除機が最初の統計の1960年において7.7%、であったのに対し、掃除機より後で発売された電気釜はそのとき31.0%にもなっていた。
しかし、その後の日本は飛躍的な経済成長をし、平均的な日本国民の生活は、あこがれていたブロンディーの生活水準以上になっているのではないか。アメリカ文化にあこがれていた日本の家屋は洋風化し、今では、畳敷きの和室よりも、絨毯やフローリングの洋室が増え、電気掃除機は家庭の必需品になったと言えるだろう。しかも、最近はロボット化が進み、お掃除ロボットまで出来ている。しかし、これだけ便利になっても、お掃除を余りしない人が大勢いるようだ。人間って、便利になれば、なったで、益々、怠け者になっていくようだね~。(画像は、「チャック・ヤングの漫画「ブロンディー」の賢婦人にブロンディー上と夫のダグウッド。朝日クロニクル・週刊20世紀より)
参考:
日本電機工業会
http://www.jema-net.or.jp/
掃除機 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%83%E9%99%A4%E6%A9%9F
消費革命(consumer revolution)
http://www.ec.kagawa-u.ac.jp/~hori/yomimono/c_revol.html
東芝科学館 - 東芝一号機ものがたり:わが国初の電気掃除機-
http://kagakukan.toshiba.co.jp/history/1goki/1931cleaner/index.html
家事調査まとめ
http://dr1.biglobe.ne.jp/business/report/re031217/001.html
間違いだらけの掃除機選び(食品と暮らしの安全基金HP)
http://www.tabemono.info/cleaner/
掃除機: ヨドバシ・ドット・コム
http://www.yodobashi.com/enjoy/more/cm/cat_162/180.html
日本電機工業会が1986(昭和61)年に制定。ダニやカビが多く発生する梅雨どきに向けて、掃除の大切さを呼びかける日だそうだ。
私のような年代のものは掃除機と聞くと、戦後間なしのアメリカのチャック・ヤングの漫画を思い出す。戦争でアメリカに負けたが、チャック・ヤングの漫画「ブロンディー」の世界は、悔しいがまぶしいものであった。その日の食べるものもままならない時代、漫画の主人公がぱくつくサンドイッチの特大の厚さに苛立ちを覚えながらもその世界に惹かれた人は多いのではないか。
アメリカの人気漫画「ブロンディー」が朝日新聞に連載されたのは、1949(昭和24)年1月から1951(昭和31)年4月まで。賢婦人のブロンディーと勤め人ダグウッド一家の平凡だが幸せな生活を描いた漫画は、敗戦で喘ぐ日本人に余りの豊かさを伝える「教材」ともなった。当時の日本の家庭から見れば超豪華な部屋と家具、それに家電製品をうらやましくみたものだ。例えばそこに登場する超大型の冷蔵庫や電気掃除機・洗濯機など。超大型冷蔵庫の中には溢れんばかりの食品がずらりと並んでいる。日本人が寒い寒中盥(タライ)に水を張り皸(あかぎれ)だらけになっているのに、電気洗濯機が勝手に洗濯をしてくれる。日本人が箒(ほうき)で誇りをたてながら部屋を掃除しているのに、広い部屋を電気掃除機でスイスイと掃除をしている。アメリカのごくありふれた家庭が、かくも豊かな生活をしているのかと日本人はオドロキの目をもって漫画を見た。まさに、ブロンディーの生活水準は高嶺の花。日本の家庭の戦前・戦後の生活レベルとアメリカのそれとの歴とした格差に一等国と四等国の違いを見、日本がアメリカに負けたことが、当然のこととして納得もさせられた。
そして、一日も早くそんな生活がしたいと、皆必至に頑張った。当時の日本人に、世界一の経済大国になろうといったような野望があったわけではなく、ブロンディーと同じ様な、小市民的で平和な生活への憧れをもっていただけなのではないか・・・。
1945(昭和20)年に終戦後1952(昭和32)年4月までGHQ(連合国軍総司令部)が日本に駐在していた。そして、その進駐軍のため日本の電機メーカーに電気洗濯機などを作らせた。日本も本格的に白物の電気製品をつくるきっかけになったのはここからである。掃除機について言えば、国産初の電気掃除機は1931(昭和6)年に、東芝より発売された。
以下参考の「東芝科学館 - 東芝一号機ものがたり:わが国初の電気掃除機」によれば、”「ほうき」に代わる電気掃除機はゴミも小さな塵も一緒に清掃したいという欧米で考案され、最も原始的な掃除機は1858年に米国のへリックが考案した絨毯用掃除機で、その後、1899年(明治32)、米国ゼネラルコンプレスト・エア&バキューム社の空気ポンプを利用したアップライト型真空掃除機が発明された。これは高速回転させた電動送風機を内部の空気の遠心力で移動させ、大気圧より低圧にしてゴミや小さな塵を吸引するという基本原理で、現在とほとんど変わらない画期的な製品だった。日本に輸入されたのは大正初期で、ごく一部の家庭でしか使用されなかった。そして、1931(昭和6)年、東芝の前身である芝浦製作所がGE社製をモデルに開発したアップライト型国産第一号のVC–A型を発売。価格は110円で当時の大卒初任給の約2ヶ月分に当たった。」とある。詳しくは、同HPを参照されたい。
しかし、当時の日本の住宅は畳みが殆どのためなかなか普及しなかった。1950(昭和25)年、日本は幸運にも、朝鮮動乱特需により、戦後の景気低迷から脱出することになる。1953(昭和33)年には、街頭テレビが人気を呼ぶようになり、蛍光灯が普及し始める。そして、1954(昭和29)年には、電気冷蔵庫・洗濯機・掃除機が「3種の神器」に挙げられ、その後の電気製品の普及の端緒となった。しかし、この「3種の神器」の中でも、当時「電気掃除機」の必要性はまだまだ低かった。それは、日本家屋ではまだ畳の部屋が多く、米国文化のように土足で家に上がることもないので、箒での掃除でも十分楽だったからである。だから、翌1955(昭和30)年に発売された電気釜の方が手間を省くという点では大きく貢献をしたといえるだろう。電気掃除機が一般家庭に普及し始めたのは、じゅんたんを敷いた洋室が増えはじめた1960(昭和35)年代以降のことである。電気釜は他のものと比較して価格そのものが安かったため発売以来普及は早かった。普及率の統計をとる時期そのものが遅かった電気掃除機が最初の統計の1960年において7.7%、であったのに対し、掃除機より後で発売された電気釜はそのとき31.0%にもなっていた。
しかし、その後の日本は飛躍的な経済成長をし、平均的な日本国民の生活は、あこがれていたブロンディーの生活水準以上になっているのではないか。アメリカ文化にあこがれていた日本の家屋は洋風化し、今では、畳敷きの和室よりも、絨毯やフローリングの洋室が増え、電気掃除機は家庭の必需品になったと言えるだろう。しかも、最近はロボット化が進み、お掃除ロボットまで出来ている。しかし、これだけ便利になっても、お掃除を余りしない人が大勢いるようだ。人間って、便利になれば、なったで、益々、怠け者になっていくようだね~。(画像は、「チャック・ヤングの漫画「ブロンディー」の賢婦人にブロンディー上と夫のダグウッド。朝日クロニクル・週刊20世紀より)
参考:
日本電機工業会
http://www.jema-net.or.jp/
掃除機 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%83%E9%99%A4%E6%A9%9F
消費革命(consumer revolution)
http://www.ec.kagawa-u.ac.jp/~hori/yomimono/c_revol.html
東芝科学館 - 東芝一号機ものがたり:わが国初の電気掃除機-
http://kagakukan.toshiba.co.jp/history/1goki/1931cleaner/index.html
家事調査まとめ
http://dr1.biglobe.ne.jp/business/report/re031217/001.html
間違いだらけの掃除機選び(食品と暮らしの安全基金HP)
http://www.tabemono.info/cleaner/
掃除機: ヨドバシ・ドット・コム
http://www.yodobashi.com/enjoy/more/cm/cat_162/180.html