今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

エベレスト登頂記念日

2006-05-29 | 記念日
今日(5月29日)は、「エベレスト登頂記念日」
1953(昭和28)年5月29日、ニュージーランドのエドモンド・ヒラリーとシェルパ族のテンジン・ノルゲイが、世界で初めて世界最高峰のエベレストの登頂に成功した。
エベレストは、世界で最も高い山であり、最もよく知られた山の一つである。
標高については諸説あるが、1954年にインド測量局が周辺12ヶ所で測定し、その結果を平均して得られた8848mが一般に認められているようだ。なんでも、地殻変動、地球温暖化による影響などもあり、標高は年々変動しており、年々高くなっていると考えられているそうだ。英名のエベレストはヒマラヤ山脈を測量した時にインド測量局長官であったイギリス人のジョージ・エベレスト (George Everest) にちなむものであり、チベット名は、「チョモランマ(Chomo Langma) 」。
その高さゆえ、エベレストの頂上に到着することは困難で、20世紀前半、多くの人々が、エベレスト登頂に挑戦してきた。
英国山岳会が1921年に第一次遠征隊を派遣。エベレスト登山史の幕開けである。ジョージ・マロリー(George Mallory)も、そこに参加した者の一人である。翌1922年の登頂目的で編成された第二次遠征隊で登頂チームのメンバーとなった。5月20日のアタックで8,225mまで到達。人類史上初めて8,000mを越えた。しかしこの時は雪崩による死亡事故もあり、登頂は断念。
翌、1924年6月8日、イギリス第三次遠征で、第二次アタック隊としてマロリーとアーヴィンがチベット側から頂上に向かった。途中第2ステップと呼ばれる切り立った岩壁の難所を登るところまでは目撃されていたが、その後行方不明となった。第三次アタック隊がマロリーの登頂に懐疑的な立場を取ったため、マロリーらが登頂を果たしたかどうかはエベレスト登山史上最大の謎となっている。
1951年イギリス隊(隊長:エリック・シプトン)がネパール側よりアタック。難所アイスフォールを突破し、現在のノーマルルートの南東稜ルートを発見した。
そして、1953年の今日(5月29日)、イギリス登山隊のエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイが登頂に成功した。現時点ではこれが歴史上初のエベレスト登頂成功とされている。
1999年5月1日、アメリカのマロリー&アーヴィン捜索隊が、標高8,230m付近でジョージ・マロリーの遺体を発見。マロリー達はコダック社のカメラを持参していた。このカメラが発見されたならばエベレスト登山史上最大の謎が解けることになるが、未だ発見するに至っていない。しかし、登頂に成功した暁に置いてくるつもりだった彼の妻の写真が遺留品に無かった事から、ジョージ・マロリーが登頂に成功していたのではないかという説を唱える人も多いという。
エヴェレストの山頂をエドモンド・ヒラリーとシェルパ族のテンジン・ノルゲイによって制覇される約30年も前に、ジョージ・マロリーは山頂近くでその姿を確認されたまま行方不明となったものの、発見された当時の写真を見ると、ツイード・ジャケットにゲートルを巻いた程度の軽装で、現在であれば、富士山にも登れないような格好をしていたといわれ、そのような軽装備で約8,200mまで登った事自体が賞賛に値するといわれている。
又、マロリーが再度エベレストに登頂しようとしたその前年の1923年にニューヨーク・タイムズ紙のインタビューで、「なぜエベレストに登るのか?」という質問に対して、彼は"Because it is there."(そこにそれがあるから)と答えた。"it"(それ)とはエベレストを指すものであり、日本語では「そこに山があるから」と訳され、登山家の信念を表す名言として今日まで語り継がれているが、実はこれは意訳で、正確には、以下のように言ったというのである。
「なぜ、エヴェレストに登るのか?」との記者からのしつこい質問に対して、「そこに、それ(人類未踏の最高峰)があるからだ」・・・・と。彼は、死にゆくその瞬間まで絶対に登頂をあきらめようとしなかっただろう。意訳はどうあれ、登山家の信念を表す言葉には変りはない。
なお、エドモンド・ヒラリーの世界最高峰登頂に同行したシェルパ、テンジン・ノルゲイはネパール人と信じられていたが、実はチベット人だった。全世界で名高いシェルパは、実は本当のシェルパ(この場合シェルパ族)ではなかったというのだ。テンジンの国籍がどこかを明らかにすることについては、当時の周辺国家間の微妙な問題があったようだ。以下参考の「エベレスト初制覇した男の隠された過去(ダライラマ法王日本代表部事務所HP)」を見るとわかる。又、英名の「エベレスト」は、チベット人とシェルパ族は昔から「チョモランマ」と呼んでおり、テンジンの母が「高すぎていかなる鳥も超せない山」と言っていたが、一般的に「母なる大地の女神」と訳されてきたという。
とに角、「高すぎていかなる鳥も超せない山」を多くの人たちが色々な形で登頂に挑戦してきたが、日本人初登頂は、1970年5月11日-松浦輝夫・植村直己 。女性世界初登頂は、1975年5月16日- 田部井淳子 。そして、最年長登頂は、2003.5.22-三浦雄一郎 (70歳)が、二男豪太,33歳/プロスキーヤーと共に登頂等日本人も頑張っている。そして、「無酸素初登頂 」「最多登頂」「単独初登頂」「最年少登頂」「盲人初登頂」「最短時間登頂」「頂上最長時間滞在 」「登頂者数」の記録など、まるで、ヒマラヤのオリンピックとまで言われ、 今では、エベレストに登山者が詰め掛け、多くのキャンプ地と使用済みの固定ロープのゴミが散在しており、フランス人登山家シェリー・ルノーは息子のへその緒を頂上に納め、アメリカ人登山家がそこでカウボーイの格好をしてロデオの投げ縄を演じるなどして、いまやエベレストで珍事が行なわれるまでになっているそうだ。
そんな中で、エベレスト頂上の最初の登山者であるエドモンド・ヒラリー卿は、エベレスト登頂後は、イギリスの南極横断遠征隊に参加し、1958年トラクターで南極点に到達。1953年7月16日にイギリス王室より騎士叙勲を受け、1995年4月23日にはイギリスよりガーター勲章を授与された。また慈善団体「ヒマラヤ基金」を創設し、ネパール・ナムチェバザール地区の開発に力を注いでいる。彼の息子・冒険家のピーター・ヒラリーは、2002年に、エベレスト登頂50周年を記念して、テンジン・ノルゲーの孫、タシ・ワンチュク・テンジンとともにエベレストの登頂に成功している。エドモンド・ヒラリーは現在、ニュージーランドで養蜂業を営んでおり、ヒマラヤン・アドベンチャー・トラストという組織をを設立。それは自然を保存することを目指し、時々清掃登山を行っているそうだ。
日本の富士山もマナーの悪い登山者の為に塵だらけで、世界遺産にも選ばれなかったといわれているが、ヒマラヤまでが、塵だらけになっているとは困ったものだね~。
(画像はヒマラヤ。フリー百科事典『ウィキペディアより)
参考:
エベレスト-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%99%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%88
エベレスト初制覇した男の隠された過去(ダライラマ法王日本代表部事務所HP)
http://www.tibethouse.jp/news_release/2000/Tenzin_Norgay_Dec24_2000.html
シェルパ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%91
何が、エベレスト山で起こっていますか?
http://www.asahi-net.or.jp/~nm3k-tgc/mountain/everest-j.html
日本人登頂者一覧
http://www.everest.co.jp/everest95/summiter-j.htm
三浦雄一郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B5%A6%E9%9B%84%E4%B8%80%E9%83%8E