今日は何の日~毎日が記念日~によると、第1日曜日の今日(10月7日)は、「シャツの日」だそうだ。
日本ワイシャツ組合連合会が1979(昭和54)年に制定したという。1877(明治10)年10月、横浜で国産のシャツが製造されるようになったことからで、10月は、衣替えの時期であることから、特に冬物のシャツの販売促進を目的としているそうだ。
シャツ(英:shirt)は、上半身の体幹部に着用する衣類の一種。
シャツの起源は、古代ローマで着用されていたチュニックに遡るとされている。チュニックは頭から被るようなスリット(切れ目)の入った素材から成り、ジュリアス・シーザーや元老院らが着ていた衣装のことであるが、貴族は丈長、一般人は膝丈で、帯を巻いて着用していた。現代で言うワンピースのような形状の衣服であった。その後、単純な形式袖が付けられたものが着用されるようになったが、基本的に大きな変化がないまま中世に至った。
ヨーロッパ中世期には、男子の外衣の丈が短くなり、袖口がつめられると、シャツも短くなり、袖口が細くなり、現代のシャツの形状に近づいてくる。ルネサンス期になるとシャツの装飾化(フリル〔ひだ飾り〕やスリットで装飾したシャツ)が貴族階級の間で流行した。その後、シャツは簡素化への道を進み始め、フリル等の激しい装飾は次第に姿を消し、19世紀には現代シャツの形式がほぼ確立したという。その背景には、ボタン使用の普及があったとされている。この時期に、シャツは上流階級だけでなく広く民衆が着用する衣服として定着していった。19世紀のシャツの特徴は多様な襟の形状が現れた点にある。それ以前は立ち襟が一般的だったが、非常に高い立ち襟が流行した後に、折り襟が初めて登場した.。20世紀に入ると、シャツの多様化が著しく進展。シャツの種類の大部分は、20世紀以降に誕生している。
1900年頃 ・ボタンダウンシャツ、1920年頃 ・クレリックシャツ 、1920年代 ・ワイドスプレッドカラーシャツ、1930年代 ・ ロングポイントカラーシャツ 、1960年代 ・ダンガリーシャツ 、1980年頃 ・タブカラーシャツ (以下参考に記載の<シャツの百科事典>シャツの歴史より)。現代では、ヨーロッパから発祥したシャツはほぼ全世界に普及し、人類の共通的な衣類となっている。
このシャツが、日本へもたらされたのは、江戸時代末期~明治時代初頭の頃である。
1868(慶応4、明治 元)年、薩長中心によるに明治新政府が成立し、幕府により行われた西洋式軍隊創設は明治新政府に引き継がれ、1870(明治 3)年、文明開化の名の下に、明治天皇の「・・・朕今断然其服制ヲ更メ、其風俗ヲ一新シ・・・」の詔勅が発せられ、自らの洋服を日本橋本石町の山城屋和助に調達を命じ、この年末より、天皇も肉、牛乳を召し上るようになる。そして、1871(明治4)年 8月士族の断髪、廃刀、服装は各人の自由とし(太政官布告)、9月には、兵制統一(海軍はイギリス式、陸軍はフランス式と定める)をすると同時に陸海軍の制服が羅紗と定められたのを皮切 りに、巡査、郵便夫、鉄道員、一般官吏などの制服として毛織物が用いられるようになる。ここで、服装が西洋風導入と散髪令以後、文明開化の象徴としての「ザンギリ頭」が一般の風俗となってゆく。仏教の力が弱まり、肉食が文明の象徴となったため、異人飴に牛肉を納入する横浜の中川屋(以下参考に記載の※牛鍋物語参照)が、東京・芝に一般人用の店を出した(慶応3年)のに始まりこの頃より、牛鍋を食べさせる店が繁盛しはじめる。
1872(明治4)年、仮名垣魯文 (かながき・ろぶん)が『暗愚楽鍋(あぐらなべ)』を出版(初版1871年刊?) その挿絵を書いた絵師は、河鍋暁斎 。角書(つのがき)に「牛店雑談」(うしやぞうだん)とある。その舞台は、浅草蔵前の牛鍋屋、 「日の出屋」 だとか・・・。、「士農工商老若男女、賢愚貧福(けんぐひんぷく)おしなべて牛鍋食はねば開化不進奴(ひらけねえやつ)。」 などと、明治に入って、それまでは牛肉を口にすることのなかった人々が食生活の「文明化」を求めて牛鍋屋に集まってくる様子を、ユーモアを交えて綴っている。
明治維新後、武士から上級階級になった人々は、文明開化の名の下に洋装の導入が進むが、英国式のドレスシャツ(Dress Shirt )を着用し、シャツは白に限定されていたので、人々はそれを、ワイシャツ(「White Shirt」ホワイトシャツが訛った和製英語)と呼び、庶民にドレスダウン(以下参考に記載の※ドレスダウン - [ファッション用語集]All About参照)して行く。
ただし、民衆の一般的な服装はやはり和装が主であり、シャツ等の洋装を行う者は「キザ」「西洋かぶれ」というネガティブなイメージで見られていたようである。夏目漱石の『坊っちゃん』(1906〔明治39〕年「ホトトギス」に発表)にも嫌味な登場人物として「赤シャツ」が描かれている。
しかし、私の本家は明治の頃には神戸の船大工の棟梁をしていたが、本家に保存されている祖父の写真を見ると、チョンマゲ頭に白い服を着て写っていたが、当時の船大工は結構、流行の先端をいっていたようだ。神戸は洋家具の生産で有名であるが、明治の頃、外国人が居留地に持ち込んだ家具の修理を船大工達が請け負ったことに起因している。そのようなことから、洋式のものに早くから馴染んでいたからだろうね~。その後、都市部では洋装が普及し、シャツの着用も一般的となっていったが、農村部においては太平洋戦争期頃まで和装が普通であり、シャツはあまり普及していなかった。戦後は日本文化のアメリカ化が進み、農村部へもシャツを始めとする洋装が広がっていった。
シャツはシャツでもTシャツのことは、前に7月20日「Tシャツの日」で書いたのでそこで見てください。
(画像は、仮名垣魯文 『安愚楽鍋 牛店雑談 一名,奴論建』 絵師は、河鍋暁斎 。国立国会図書館データーベースより)
参考:
Category:アウターウエア- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A8%E3%82%A2
7月20日「Tシャツの日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/1a4c6e957f4114389cf80aaf0e07fcc5
ガイウス・ユリウス・カエサル - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%A8%E3%82%B5%E3%83%AB
シャツの歴史<シャツの百科事典>
http://www.e-yamaki.co.jp/yamaki/shirts/top3_history.html?bs_body=bh_history1.html
日本の服の歴史 Maccafushigi
http://www.bb.em-net.ne.jp/~maccafushigi/index.html
西洋道中膝栗毛 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E9%81%93%E4%B8%AD%E8%86%9D%E6%A0%97%E6%AF%9B
国文学研究資料館/近代文献情報データベース/西洋道中膝栗毛(仮名垣魯文)
http://school.nijl.ac.jp/kindai/KGTU/KGTU-00034.html
中野文庫 - 太政官布告
http://www.geocities.jp/nakanolib/kan/kan.htm
今日は何の日~毎日が記念日~10月第1日曜日
http://www.nnh.to/10/weekmove.html#d1sun
日本軍 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D
モードの世紀・日本ファッション史(1)明治期:既製服の誕生(洋服の端緒)
http://www.mode21.com/history/01a.html
山城屋 和助/京都大学附属図書館 維新資料画像データベース
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/ishin/jinmei/Yamashiroya.html
※牛鍋物語
http://homepage3.nifty.com/shokubun/sukiyak1.html
仮名垣魯文 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%AE%E5%90%8D%E5%9E%A3%E9%AD%AF%E6%96%87
夏目漱石 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E7%9B%AE%E6%BC%B1%E7%9F%B3
※ドレスダウン - [ファッション用語集]All About
http://allabout.co.jp/glossary/g_fashion/w006325.htm
神戸芸術工科大学 「神戸家具」の変遷と可能性
http://www.r-nagata.co.jp/kobekagu/rekishi1.html
国立国会図書館データーベース◆(6)『安愚楽鍋 牛店雑談 一名,奴論建』
http://www.ndl.go.jp/cgi-bin/ja/namazu.cgi?query=%B0%C2%B6%F2%B3%DA%C6%E9%A1%A1&submit.x=24&submit.y=12
日本ワイシャツ組合連合会が1979(昭和54)年に制定したという。1877(明治10)年10月、横浜で国産のシャツが製造されるようになったことからで、10月は、衣替えの時期であることから、特に冬物のシャツの販売促進を目的としているそうだ。
シャツ(英:shirt)は、上半身の体幹部に着用する衣類の一種。
シャツの起源は、古代ローマで着用されていたチュニックに遡るとされている。チュニックは頭から被るようなスリット(切れ目)の入った素材から成り、ジュリアス・シーザーや元老院らが着ていた衣装のことであるが、貴族は丈長、一般人は膝丈で、帯を巻いて着用していた。現代で言うワンピースのような形状の衣服であった。その後、単純な形式袖が付けられたものが着用されるようになったが、基本的に大きな変化がないまま中世に至った。
ヨーロッパ中世期には、男子の外衣の丈が短くなり、袖口がつめられると、シャツも短くなり、袖口が細くなり、現代のシャツの形状に近づいてくる。ルネサンス期になるとシャツの装飾化(フリル〔ひだ飾り〕やスリットで装飾したシャツ)が貴族階級の間で流行した。その後、シャツは簡素化への道を進み始め、フリル等の激しい装飾は次第に姿を消し、19世紀には現代シャツの形式がほぼ確立したという。その背景には、ボタン使用の普及があったとされている。この時期に、シャツは上流階級だけでなく広く民衆が着用する衣服として定着していった。19世紀のシャツの特徴は多様な襟の形状が現れた点にある。それ以前は立ち襟が一般的だったが、非常に高い立ち襟が流行した後に、折り襟が初めて登場した.。20世紀に入ると、シャツの多様化が著しく進展。シャツの種類の大部分は、20世紀以降に誕生している。
1900年頃 ・ボタンダウンシャツ、1920年頃 ・クレリックシャツ 、1920年代 ・ワイドスプレッドカラーシャツ、1930年代 ・ ロングポイントカラーシャツ 、1960年代 ・ダンガリーシャツ 、1980年頃 ・タブカラーシャツ (以下参考に記載の<シャツの百科事典>シャツの歴史より)。現代では、ヨーロッパから発祥したシャツはほぼ全世界に普及し、人類の共通的な衣類となっている。
このシャツが、日本へもたらされたのは、江戸時代末期~明治時代初頭の頃である。
1868(慶応4、明治 元)年、薩長中心によるに明治新政府が成立し、幕府により行われた西洋式軍隊創設は明治新政府に引き継がれ、1870(明治 3)年、文明開化の名の下に、明治天皇の「・・・朕今断然其服制ヲ更メ、其風俗ヲ一新シ・・・」の詔勅が発せられ、自らの洋服を日本橋本石町の山城屋和助に調達を命じ、この年末より、天皇も肉、牛乳を召し上るようになる。そして、1871(明治4)年 8月士族の断髪、廃刀、服装は各人の自由とし(太政官布告)、9月には、兵制統一(海軍はイギリス式、陸軍はフランス式と定める)をすると同時に陸海軍の制服が羅紗と定められたのを皮切 りに、巡査、郵便夫、鉄道員、一般官吏などの制服として毛織物が用いられるようになる。ここで、服装が西洋風導入と散髪令以後、文明開化の象徴としての「ザンギリ頭」が一般の風俗となってゆく。仏教の力が弱まり、肉食が文明の象徴となったため、異人飴に牛肉を納入する横浜の中川屋(以下参考に記載の※牛鍋物語参照)が、東京・芝に一般人用の店を出した(慶応3年)のに始まりこの頃より、牛鍋を食べさせる店が繁盛しはじめる。
1872(明治4)年、仮名垣魯文 (かながき・ろぶん)が『暗愚楽鍋(あぐらなべ)』を出版(初版1871年刊?) その挿絵を書いた絵師は、河鍋暁斎 。角書(つのがき)に「牛店雑談」(うしやぞうだん)とある。その舞台は、浅草蔵前の牛鍋屋、 「日の出屋」 だとか・・・。、「士農工商老若男女、賢愚貧福(けんぐひんぷく)おしなべて牛鍋食はねば開化不進奴(ひらけねえやつ)。」 などと、明治に入って、それまでは牛肉を口にすることのなかった人々が食生活の「文明化」を求めて牛鍋屋に集まってくる様子を、ユーモアを交えて綴っている。
明治維新後、武士から上級階級になった人々は、文明開化の名の下に洋装の導入が進むが、英国式のドレスシャツ(Dress Shirt )を着用し、シャツは白に限定されていたので、人々はそれを、ワイシャツ(「White Shirt」ホワイトシャツが訛った和製英語)と呼び、庶民にドレスダウン(以下参考に記載の※ドレスダウン - [ファッション用語集]All About参照)して行く。
ただし、民衆の一般的な服装はやはり和装が主であり、シャツ等の洋装を行う者は「キザ」「西洋かぶれ」というネガティブなイメージで見られていたようである。夏目漱石の『坊っちゃん』(1906〔明治39〕年「ホトトギス」に発表)にも嫌味な登場人物として「赤シャツ」が描かれている。
しかし、私の本家は明治の頃には神戸の船大工の棟梁をしていたが、本家に保存されている祖父の写真を見ると、チョンマゲ頭に白い服を着て写っていたが、当時の船大工は結構、流行の先端をいっていたようだ。神戸は洋家具の生産で有名であるが、明治の頃、外国人が居留地に持ち込んだ家具の修理を船大工達が請け負ったことに起因している。そのようなことから、洋式のものに早くから馴染んでいたからだろうね~。その後、都市部では洋装が普及し、シャツの着用も一般的となっていったが、農村部においては太平洋戦争期頃まで和装が普通であり、シャツはあまり普及していなかった。戦後は日本文化のアメリカ化が進み、農村部へもシャツを始めとする洋装が広がっていった。
シャツはシャツでもTシャツのことは、前に7月20日「Tシャツの日」で書いたのでそこで見てください。
(画像は、仮名垣魯文 『安愚楽鍋 牛店雑談 一名,奴論建』 絵師は、河鍋暁斎 。国立国会図書館データーベースより)
参考:
Category:アウターウエア- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A8%E3%82%A2
7月20日「Tシャツの日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/1a4c6e957f4114389cf80aaf0e07fcc5
ガイウス・ユリウス・カエサル - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%A8%E3%82%B5%E3%83%AB
シャツの歴史<シャツの百科事典>
http://www.e-yamaki.co.jp/yamaki/shirts/top3_history.html?bs_body=bh_history1.html
日本の服の歴史 Maccafushigi
http://www.bb.em-net.ne.jp/~maccafushigi/index.html
西洋道中膝栗毛 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E9%81%93%E4%B8%AD%E8%86%9D%E6%A0%97%E6%AF%9B
国文学研究資料館/近代文献情報データベース/西洋道中膝栗毛(仮名垣魯文)
http://school.nijl.ac.jp/kindai/KGTU/KGTU-00034.html
中野文庫 - 太政官布告
http://www.geocities.jp/nakanolib/kan/kan.htm
今日は何の日~毎日が記念日~10月第1日曜日
http://www.nnh.to/10/weekmove.html#d1sun
日本軍 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D
モードの世紀・日本ファッション史(1)明治期:既製服の誕生(洋服の端緒)
http://www.mode21.com/history/01a.html
山城屋 和助/京都大学附属図書館 維新資料画像データベース
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/ishin/jinmei/Yamashiroya.html
※牛鍋物語
http://homepage3.nifty.com/shokubun/sukiyak1.html
仮名垣魯文 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%AE%E5%90%8D%E5%9E%A3%E9%AD%AF%E6%96%87
夏目漱石 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E7%9B%AE%E6%BC%B1%E7%9F%B3
※ドレスダウン - [ファッション用語集]All About
http://allabout.co.jp/glossary/g_fashion/w006325.htm
神戸芸術工科大学 「神戸家具」の変遷と可能性
http://www.r-nagata.co.jp/kobekagu/rekishi1.html
国立国会図書館データーベース◆(6)『安愚楽鍋 牛店雑談 一名,奴論建』
http://www.ndl.go.jp/cgi-bin/ja/namazu.cgi?query=%B0%C2%B6%F2%B3%DA%C6%E9%A1%A1&submit.x=24&submit.y=12