今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

サツマイモの日

2007-10-13 | 記念日
今日(10月13日)は、「サツマイモの日」
埼玉県川越市のサツマイモ愛好家のグループ「川越いも友の会」が制定。
10月はサツマイモの旬の季節で、また、江戸から川越までの距離が約13里なので、サツマイモに「栗(九里)より(四里)うまい十三里」という異名があったことから、また。サトイモのシーズンが10月であることから、10月13日を「サツマイモの日」としたそうだ。
サツマイモ(薩摩芋、和名:甘藷(かんしょ)、学名:Ipomoea batatas L.)は、ナス目(Solanales)、ヒルガオサツマイモ属の植物である。別名として、甘藷(かんしょ)以外に、唐芋(からいも)、琉球藷(りゅうきゅういも)ともも呼ばれる。花はピンク色で仲間のアサガオとそっくりだそうだが、短日性(以下参考に記載の※農園・園芸用語集参照)であることから本州ではあまり開花しないが、九州や沖縄では開花するそうだ。私も、子供の頃からサツマイモは育てたこともあるが、一度も花など見たことがないが、写真を見ると本当にアサガオというよりヒルガオ(昼顔)とそっくりだ。
サツマイモの原産地は、はっきりはしないようだがメキシコを中心とする、中央アメリカであると考えられている。
わが国への渡来については諸説あるようだが、中国福建省あたりから1597(慶長2)年に宮古島に導入され、1600年代には九州の鹿児島や長崎に入り栽培されるようになった。
1732(享保17)年の夏、冷夏と害虫により中国・四国・九州地方の西日本各地が凶作に見舞われ深刻な食料不足に陥る(享保の大飢饉)中、今日の長崎県と鹿児島県では餓死者を出さなかったといわれ、サツマイモの有用性を天下に知らしめることとなった。8代将軍・徳川吉宗はサツマイモの栽培を関東に広めようと考え、1734(享保19)年、青木昆陽の進言により薩摩藩から甘藷の苗を献上させた。
このようなことからサツマイモ(甘藷)のことを、中国(唐)から伝来した沖縄薩摩では唐芋、沖縄(琉球)から伝来した九州では琉球藷、九州から伝来した本州では薩摩芋と呼ぶようになったという。
青木昆陽は薩摩藩から取り寄せた甘藷の苗「薩摩芋」を江戸小石川植物園下総幕張村(現千葉市花見川区)、上総の九十九里浜の不動堂村(現九十九里町)において試験栽培し、1735(享保20)年栽培を確認。これ以後、サツマイモが関東一円に広がるきっかけをつくった。その後、サツマイモは東日本にも広く普及するようになり、次第に、全国に広まっていくことになる。
それでは、何故、「サツマイモの日」を、埼玉県川越市のサツマイモ愛好家のグループ「川越いも友の会」が制定したのか?。
日本では、サツマイモはクリ(栗)のような味がすることからクリを九里という漢字に当て字をして九里(クリ)にちかい八里半という名も生まれていたそうだ。この呼び名は、今日でも長崎県の諫早地方でハッチャンという訛りで使用されており、また、隣接する島原半島内ではハチリ(八里)の呼称が一般的であるという。
その後、焼き芋の行商等によって「九里(栗)より(四里)美味い十三里」(9+4=13)という売り言葉も派生するが、これは、サツマイモの産地として知られた武蔵国川越(現在の埼玉県川越市)が、江戸から川越街道で十三里半の距離にあったことに由来すると言われているからのようだが、この由来には他にも諸説あるそうだ。
ただ、江戸時代とはいえ、焼き芋が江戸っ子に受けたのは、美味しさもさることながら、値段がとても安かったからだという。したがって、そのような安いものを輸送するのに、陸送は、採算的に合わず、船で運ぶしかなかった。当時、江戸周辺のサツマイモを作っているところで、焼き芋用のサツマイモの大産地となれるところは、下総の幕張(江戸向けの海路があった)と武蔵野台地の川越藩領の村々(ここは江戸と川越を結ぶ新河岸川の船便があった。)の2箇所しかなかったという。両者の芋の供給量は互角だったが、川越芋の方が上質とされ、「本場者は川越」っとなったという。諸国名産番付の1つ「天保時代名物競」に、サツマイモで載っているのは川越だけだという。(以下参考に記載のJRT日本いも類研究会・焼き芋小百科・歴史Ⅰ 江戸・東京の焼き芋屋の移り変わりより )
しかし、いずれにせよ、かつて「栗に近い」と言われていたサツマイモが「栗より美味い」と言われるようになったのは、明治以降の品種改良によるものだそうである。
川越イモの代表として知られた紅赤(ベニアカ)は、今では埼玉県三芳野町の上富地区でわずかに栽培されているにすぎないが、一般にはキントキ(金時)と呼ばれ、中身が黄色で美しく、「栗(九里)より(四里)うまい」から「一三里」だなどといわれ大正時代には盛んに作られたという。埼玉県では「川越イモ」の別名があるそうだ。一時は関東で圧倒的に人気があったそうだが、最近ではベニアズマ(農林36号)に押されているようだ。(サツマイモの種類については、以下参考に記載の※サツマイモの種類。)
江戸時代の焼き芋は値段が安いことから人気があったというが、最近の焼き芋は高いね~。私などのような年代の者は、成長期の子供時代を、戦中戦後の食料不足の中で育ったので、お米のご飯などなかなか食べられず、土壌の悪い荒地でも採れるサツマイモは重要な食料源であった。冬など同じ様な子供たちと一緒に家の前で焚き火をしながらサツマイモを焼いて食べたのを覚えている。兎に角、食べるものがなく、いつも空腹であったので、本当に美味しく食べた。焼き芋だけでなく、お粥の中にも量を増やすためにサツマイモが入ってた。私の家は、経済的に恵まれていたので、他の人達ほど不自由をしたわけではないが、それでも、お金はあっても闇ででも手に入れなければ米などの食料を十分に確保するのは困難であった。朝も昼も晩も年中、芋ばかり食べていた人も多くいるだろう。例え、サツマイモでも、食べれるものが有る人は、まだ、幸せな時代だったのだからね~。当時は、ホクホクとした栗のような味のもの以外に、茶色く甘いアメリカイモとかいったものも人気があった。このような、戦時・戦後の日本の食糧難を支えたサツマイモも、今は需要が減ったのか、年々栽培が減少しているようだ。
イモ、タコ、南京とはよく言ったものだ。本当に女性は、お芋が好きだね~。私たちの年代の者は、食糧難の子供の頃、余り多く、食べ過ぎたせいか、私など、今は、サツマイモを見ただけで、うんざりするのだが・・・。我が家人など、今でも、焼き芋が好きらしい。
(画像は、サツマイモの花。フリー百科事典Wikipediaより)
参考:
Category:いも類-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E3%81%84%E3%82%82%E9%A1%9E
※さつまいも&じゃがいも110の豆知識 (農林水産省HP)
http://www.maff.go.jp/soshiki/nousan/imo/mametisiki/tisikiindex.htm
ハイパー植物図鑑(和名検索)
http://www.fb.u-tokai.ac.jp/WWW/hoshi/plant/wamei.html
農園・園芸用語集
http://www1.takii.co.jp/glossary/kensaku.html#top
JRT 日本いも類研究会
http://www.jrt.gr.jp/index.html
 ※サツマイモの種類。
http://www3.ocn.ne.jp/~kame3/syurui1.htm