今日は何の日~毎日が記念日を見ると、1895(明治29)年の今日(10月19日)は、「バーゲンの日」だそうである。東京の大丸呉服店が冬物の大売出しを開催し、日本初のバーゲンを行ったことによるそうだ。
大丸は、日本を代表する大手百貨店の一つ。関西地盤で、大阪(心斎橋・梅田)・京都・神戸・札幌・東京に直営主力店舗を構えている。この6店舗だけで単体の93%(連結で53%)の売り上げを占めているという。
1717(享保2)年に、下村彦右衛門正啓が今の京都市伏見区に呉服店 大文字屋を開業(創業)。1726(享保11)年、大阪心斎橋筋に大阪店「松屋」を開き、現金正札販売をはじめる。(現・心斎橋店現在地)。1728(享保13)年に名古屋本町に名古屋店を開き、「大丸屋」(のち閉鎖)と称した。1736 〈元文元)年 、京都・東洞院船屋町に大丸総本店「大文字屋」開店。
江戸日本橋大伝馬町3丁目に江戸店開業したのは、1743 〈寛保3〉年のことである。1907 〈明治40〉年、「株式合資会社大丸呉服店」を設立。 1910 〈明治43〉年には、江戸店、名古屋店を閉鎖している。 現在地の京都店(下京区・四条烏丸)が開店したのは1912 〈明治45〉 年のことである。
バーゲンを行った東京の大丸呉服店というのは、1743 〈寛保3)年、江戸日本橋大伝馬町に出店し店名を「松屋」と名乗っていたときのことということになるが・・・。
それでは、少し、以下参考に記載の大丸・三越のHP及び「レジスター博物館/レジスターの歴史」などから、当時の江戸の百貨店事情を見てみよう。
江戸には、1673(寛文12年)年8月、 伊勢国松坂の商人、三井高利(三井家の家祖)が江戸本町1丁目(現在の日本銀行所在地辺り)に呉服店「越後屋」を開業。当時の商法をくつがえす「店前現銀売り」などで庶民の心をとらえた。 この間口9尺(2.7m)の小さな借り店舗から(現在の三越)の歴史が始まる。1683(天和3)年 大火にあい、本町から駿河町に移転。1893(明治26)年、「三井呉服店」と改称。1895(明治28)年、慶應義塾出身で三井銀行大阪支店長の高橋義雄が、三井呉服店の理事に就任。高橋はアメリカの百貨店の研究をしており、三井呉服店の近代化を図り、11月、それまでの帳場座売りという長い間の習慣をやめて、日本で初めての呉服の外国式の陳列販売法を採用した。その翌・1886(明治19)年伊勢丹呉服店が神田に創業している(創業時は「伊勢屋丹治呉服店」と名乗っていたらしい)。
また、三井呉服店は、1900(明治33)年 には、座売りを全廃。全館を陳列場にし、新設のガラス張りのショーケースに商品を陳列して売る陳列販売方式に切り替えた。開店から客が流れ込む大盛況であったというが、当日の模様を、17日付『時事新報』は、次のように報じているという。
"ーー昨日より総陳列場を開場したるに、当日は未明より店前に詰掛けたるもの夥しく、午前7時戸の開くると共に人浪打って流れ込み、午前10時には其数無慮8500人を算し階上階下760畳の広間も立錐の余地なく、一時表戸を締切りて来客を謝絶し、(中略)開店以来の盛況なりしと──。
1903(明治36)年白木屋も、座売りを廃し陳列式とし、ショウウィンドウ、女子店員を採用 している。そして、1904(明治37)年には、三井呉服店は(株)三越呉服店と改称し、「デパートメントストア宣言」をした。日本初の百貨店としての出発である。
ところで、大丸呉服店が、冬物の大売り出し(日本初のバーゲン)をしたと言うのは1895(明治29)年の今日(10月19日)ということは、三井呉服店が、外国式の陳列販売法を採用した年と同じでその1月ほど前と言うことになる。その時の、バーゲンと言うと「松屋」を名乗っていた当時の大丸はどのような販売の仕方をしていたのだろう?。
以下参考に記載の「レジスター博物館/レジスターの歴史」をみると、1908(明治41)年、大丸呉服店設立、神田の松屋呉服店、日本で最初のバーゲンセールとある。
大丸公式HPの大丸の歴史を見ると1907 〈明治40〉年資本金50万円で「株式合資会社大丸呉服店」を設立とあり、設立年が1年違うがこれは、大丸HPの方が正しいだろう。しかし、同歴史のページにはバーゲンセールのことは書かれていない。 では、どちらが正しいのだろう。今、確認すべき資料が見当たらないので、私にはよく分からないが、「レジスター博物館/レジスターの歴史」は、百貨店やスーパーなどにレジを納入しているレジスター会社であるNCRのHPに書いてあることなので、私は、こちらの方が、事実に近いのではないかと思う。
前にこのブログで、12月20日「デパート開業の日」でも書いたことであるが、江戸時代初期の城下町には、同業が同じ場所に集る形をとったものが多く、江戸の駿河町(現在の室町1・2丁目あたり)には、呉服の店が多く集っていた。越後屋は、江戸に店を出してから、直ぐに、駿河町に移転している。呉服など大店が多数並んでいる所に店を出したことにより、江戸庶民から「大店のひとつ」として認知されるとともに「現金掛値なし」の店先での商売が成功し大繁盛。そして、当時の庶民、中でも知識層である上流・中流階級の圧倒的な支持を受けるが、他の大店からは嫉妬され、嫌がらせを受けるようになったところで、さっと日本橋に移転したが、店の顧客は移転先にちゃんとついてきてくれたそうである。
バーゲン・セールは、大正時代には「見切売、大安売、大売り出し」、昭和には「見切品投売、大廉売」などと訳されていたようだが、バーゲン(bargain)とは本来は「取り引き/交渉して安く買う」と言う意味だが、日本の場合安売り全般を指して使われている。
百貨店などでこのようなバーゲンセールがあるときには、今では、新聞・TVまた、新聞への折込チラシなどで前もって、消費者に知らされるが、江戸時代、このようなチラシに相当するものとして、「引札」と言われるものがあった。その有名なものに、呉服店「越後屋」が、1683(天和3)年、日本橋駿河町に引っ越し、開店したときの引札がある。
この「引札」のことは、以下参考に記載のPOS-COM - 特集記事「ポスティングの歴史」に詳しく書かれているが、その引札の文面には以下のように書かれている。
「駿河町越後屋八郎右衛門、申し上げ候。
今度(このたび)、私工夫を持って、呉服物何に依らず格別下値に売り出し申し候間、私店へ御出、御買い下さるべく候。何方様へも持たせ遣わし候儀は仕らず候。
尤も手前割引勘定を以って売出し候上は、一銭にても空値は申し上げず候間、御値ぎり遊ばされ候にても、負(まけ)は御座無く候。
勿論代物(代金)は即座にてお払い下さるべく候。一銭にても延金は仕らず候。
以上
呉服物現金安売無掛値
駿河町二丁目 越後屋八郎右衛門 」
このときから、今では当たり前となった、正札での値引きなしで現金取引のみの店頭販売がはじまったのだが、当時は、年2度の節季払いの掛売り商法が普通で、呉服屋は一反単位のみ販売で切売りはしなかったわけだから、常識破りの画期的な新商法だったわけである。江戸時代、既に、このような引き札で、顧客の誘引合戦が行われていたようである。
そのようなことから、「引札」の引くはお客を引くからとの解釈、もあるのだが、当時は配ることを引くと言っていたようだ。つまるところ、引札を配って、客を引くということだろうから、どちらでも良いといえるかな・・・。
正札販売をしている百貨店も、昭和30年代後半より急速に成長をしてきたチェーンストアーなどに押されて、この頃は、バーゲンをしないと余り売れなくなっているようだね~。そして、大阪では、北でのライバルとして競っていた大丸と阪急の業務提携が行われたが、東京では、伊勢丹と三越の提携までが行われている。なんか、大丸のことを書こうと思っているのに、三越のことが多くなってしまったな~。
引き札は、綺麗なものが多くコレクターが多い。どのようなものか興味のある人は、以下参考に記載の「アドミュージアム東京」などを見ると良い。
(画像は大丸の受け取り。店の大きな印には「現金・札付かけねなし」の文字がある。盆暮れといった支払い方法にに必要な通帳〔かよいちょう〕は、現金取引には不要だったが、そのかわり、この種の受け取りが大量にはこうされたようだ。別に、割り印や改印があって、こうした受け取りに伴なった大きな帳簿の存在を示しているものといえるそうだ。 信濃国小川家文書。週刊朝日百貨「日本の歴史」より)
Category:百貨店
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E7%99%BE%E8%B2%A8%E5%BA%97
大丸の歴史(大丸公式HP)
http://www.daimaru.co.jp/company/about/history.html
MITUKOSHI・歴史(三越公式HP)
http://www.mitsukoshi.co.jp/corp/history.html
三井広報委員会・三井の歴史
http://www.mitsuipr.com/history/mitsukoshi.html
今日は何の日~毎日が記念日~10月19日
http://www.nnh.to/10/19.html
レジスター博物館/レジスターの歴史(NCRのHP)
http://www.ncr.co.jp/library/library/register/reg01.html
時事新報 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E4%BA%8B%E6%96%B0%E5%A0%B1
「屋号」には2つのいわれがあった・伊勢丹
http://www.yukan-fuji.com/archives/2007/07/post_9966.html
三越・伊勢丹 統合交渉…百貨店業界首位へ 「持ち株会社」軸
http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_07072524.cfm
12月20日「デパート開業の日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/d/20041220
POS-COM - 特集記事「ポスティングの歴史」
http://www.pos-com.jp/article/postinghistory/index.htm
古今お江戸日本橋
http://www.nihonbashi.gr.jp/history/history_5.html
アドミュージアム東京(ADMT=広告とマーケティングの資料館)
http://www.admt.jp/salon/collection/index.html
大丸は、日本を代表する大手百貨店の一つ。関西地盤で、大阪(心斎橋・梅田)・京都・神戸・札幌・東京に直営主力店舗を構えている。この6店舗だけで単体の93%(連結で53%)の売り上げを占めているという。
1717(享保2)年に、下村彦右衛門正啓が今の京都市伏見区に呉服店 大文字屋を開業(創業)。1726(享保11)年、大阪心斎橋筋に大阪店「松屋」を開き、現金正札販売をはじめる。(現・心斎橋店現在地)。1728(享保13)年に名古屋本町に名古屋店を開き、「大丸屋」(のち閉鎖)と称した。1736 〈元文元)年 、京都・東洞院船屋町に大丸総本店「大文字屋」開店。
江戸日本橋大伝馬町3丁目に江戸店開業したのは、1743 〈寛保3〉年のことである。1907 〈明治40〉年、「株式合資会社大丸呉服店」を設立。 1910 〈明治43〉年には、江戸店、名古屋店を閉鎖している。 現在地の京都店(下京区・四条烏丸)が開店したのは1912 〈明治45〉 年のことである。
バーゲンを行った東京の大丸呉服店というのは、1743 〈寛保3)年、江戸日本橋大伝馬町に出店し店名を「松屋」と名乗っていたときのことということになるが・・・。
それでは、少し、以下参考に記載の大丸・三越のHP及び「レジスター博物館/レジスターの歴史」などから、当時の江戸の百貨店事情を見てみよう。
江戸には、1673(寛文12年)年8月、 伊勢国松坂の商人、三井高利(三井家の家祖)が江戸本町1丁目(現在の日本銀行所在地辺り)に呉服店「越後屋」を開業。当時の商法をくつがえす「店前現銀売り」などで庶民の心をとらえた。 この間口9尺(2.7m)の小さな借り店舗から(現在の三越)の歴史が始まる。1683(天和3)年 大火にあい、本町から駿河町に移転。1893(明治26)年、「三井呉服店」と改称。1895(明治28)年、慶應義塾出身で三井銀行大阪支店長の高橋義雄が、三井呉服店の理事に就任。高橋はアメリカの百貨店の研究をしており、三井呉服店の近代化を図り、11月、それまでの帳場座売りという長い間の習慣をやめて、日本で初めての呉服の外国式の陳列販売法を採用した。その翌・1886(明治19)年伊勢丹呉服店が神田に創業している(創業時は「伊勢屋丹治呉服店」と名乗っていたらしい)。
また、三井呉服店は、1900(明治33)年 には、座売りを全廃。全館を陳列場にし、新設のガラス張りのショーケースに商品を陳列して売る陳列販売方式に切り替えた。開店から客が流れ込む大盛況であったというが、当日の模様を、17日付『時事新報』は、次のように報じているという。
"ーー昨日より総陳列場を開場したるに、当日は未明より店前に詰掛けたるもの夥しく、午前7時戸の開くると共に人浪打って流れ込み、午前10時には其数無慮8500人を算し階上階下760畳の広間も立錐の余地なく、一時表戸を締切りて来客を謝絶し、(中略)開店以来の盛況なりしと──。
1903(明治36)年白木屋も、座売りを廃し陳列式とし、ショウウィンドウ、女子店員を採用 している。そして、1904(明治37)年には、三井呉服店は(株)三越呉服店と改称し、「デパートメントストア宣言」をした。日本初の百貨店としての出発である。
ところで、大丸呉服店が、冬物の大売り出し(日本初のバーゲン)をしたと言うのは1895(明治29)年の今日(10月19日)ということは、三井呉服店が、外国式の陳列販売法を採用した年と同じでその1月ほど前と言うことになる。その時の、バーゲンと言うと「松屋」を名乗っていた当時の大丸はどのような販売の仕方をしていたのだろう?。
以下参考に記載の「レジスター博物館/レジスターの歴史」をみると、1908(明治41)年、大丸呉服店設立、神田の松屋呉服店、日本で最初のバーゲンセールとある。
大丸公式HPの大丸の歴史を見ると1907 〈明治40〉年資本金50万円で「株式合資会社大丸呉服店」を設立とあり、設立年が1年違うがこれは、大丸HPの方が正しいだろう。しかし、同歴史のページにはバーゲンセールのことは書かれていない。 では、どちらが正しいのだろう。今、確認すべき資料が見当たらないので、私にはよく分からないが、「レジスター博物館/レジスターの歴史」は、百貨店やスーパーなどにレジを納入しているレジスター会社であるNCRのHPに書いてあることなので、私は、こちらの方が、事実に近いのではないかと思う。
前にこのブログで、12月20日「デパート開業の日」でも書いたことであるが、江戸時代初期の城下町には、同業が同じ場所に集る形をとったものが多く、江戸の駿河町(現在の室町1・2丁目あたり)には、呉服の店が多く集っていた。越後屋は、江戸に店を出してから、直ぐに、駿河町に移転している。呉服など大店が多数並んでいる所に店を出したことにより、江戸庶民から「大店のひとつ」として認知されるとともに「現金掛値なし」の店先での商売が成功し大繁盛。そして、当時の庶民、中でも知識層である上流・中流階級の圧倒的な支持を受けるが、他の大店からは嫉妬され、嫌がらせを受けるようになったところで、さっと日本橋に移転したが、店の顧客は移転先にちゃんとついてきてくれたそうである。
バーゲン・セールは、大正時代には「見切売、大安売、大売り出し」、昭和には「見切品投売、大廉売」などと訳されていたようだが、バーゲン(bargain)とは本来は「取り引き/交渉して安く買う」と言う意味だが、日本の場合安売り全般を指して使われている。
百貨店などでこのようなバーゲンセールがあるときには、今では、新聞・TVまた、新聞への折込チラシなどで前もって、消費者に知らされるが、江戸時代、このようなチラシに相当するものとして、「引札」と言われるものがあった。その有名なものに、呉服店「越後屋」が、1683(天和3)年、日本橋駿河町に引っ越し、開店したときの引札がある。
この「引札」のことは、以下参考に記載のPOS-COM - 特集記事「ポスティングの歴史」に詳しく書かれているが、その引札の文面には以下のように書かれている。
「駿河町越後屋八郎右衛門、申し上げ候。
今度(このたび)、私工夫を持って、呉服物何に依らず格別下値に売り出し申し候間、私店へ御出、御買い下さるべく候。何方様へも持たせ遣わし候儀は仕らず候。
尤も手前割引勘定を以って売出し候上は、一銭にても空値は申し上げず候間、御値ぎり遊ばされ候にても、負(まけ)は御座無く候。
勿論代物(代金)は即座にてお払い下さるべく候。一銭にても延金は仕らず候。
以上
呉服物現金安売無掛値
駿河町二丁目 越後屋八郎右衛門 」
このときから、今では当たり前となった、正札での値引きなしで現金取引のみの店頭販売がはじまったのだが、当時は、年2度の節季払いの掛売り商法が普通で、呉服屋は一反単位のみ販売で切売りはしなかったわけだから、常識破りの画期的な新商法だったわけである。江戸時代、既に、このような引き札で、顧客の誘引合戦が行われていたようである。
そのようなことから、「引札」の引くはお客を引くからとの解釈、もあるのだが、当時は配ることを引くと言っていたようだ。つまるところ、引札を配って、客を引くということだろうから、どちらでも良いといえるかな・・・。
正札販売をしている百貨店も、昭和30年代後半より急速に成長をしてきたチェーンストアーなどに押されて、この頃は、バーゲンをしないと余り売れなくなっているようだね~。そして、大阪では、北でのライバルとして競っていた大丸と阪急の業務提携が行われたが、東京では、伊勢丹と三越の提携までが行われている。なんか、大丸のことを書こうと思っているのに、三越のことが多くなってしまったな~。
引き札は、綺麗なものが多くコレクターが多い。どのようなものか興味のある人は、以下参考に記載の「アドミュージアム東京」などを見ると良い。
(画像は大丸の受け取り。店の大きな印には「現金・札付かけねなし」の文字がある。盆暮れといった支払い方法にに必要な通帳〔かよいちょう〕は、現金取引には不要だったが、そのかわり、この種の受け取りが大量にはこうされたようだ。別に、割り印や改印があって、こうした受け取りに伴なった大きな帳簿の存在を示しているものといえるそうだ。 信濃国小川家文書。週刊朝日百貨「日本の歴史」より)
Category:百貨店
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E7%99%BE%E8%B2%A8%E5%BA%97
大丸の歴史(大丸公式HP)
http://www.daimaru.co.jp/company/about/history.html
MITUKOSHI・歴史(三越公式HP)
http://www.mitsukoshi.co.jp/corp/history.html
三井広報委員会・三井の歴史
http://www.mitsuipr.com/history/mitsukoshi.html
今日は何の日~毎日が記念日~10月19日
http://www.nnh.to/10/19.html
レジスター博物館/レジスターの歴史(NCRのHP)
http://www.ncr.co.jp/library/library/register/reg01.html
時事新報 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E4%BA%8B%E6%96%B0%E5%A0%B1
「屋号」には2つのいわれがあった・伊勢丹
http://www.yukan-fuji.com/archives/2007/07/post_9966.html
三越・伊勢丹 統合交渉…百貨店業界首位へ 「持ち株会社」軸
http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_07072524.cfm
12月20日「デパート開業の日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/d/20041220
POS-COM - 特集記事「ポスティングの歴史」
http://www.pos-com.jp/article/postinghistory/index.htm
古今お江戸日本橋
http://www.nihonbashi.gr.jp/history/history_5.html
アドミュージアム東京(ADMT=広告とマーケティングの資料館)
http://www.admt.jp/salon/collection/index.html