今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

右近の橘:参考

2007-12-06 | 歴史
右近の橘:参考:
平安京 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%AE%89%E4%BA%AC
タチバナ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%81%E3%83%90%E3%83%8A
毎月15日「お菓子の日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/9dec73212881a50ff8ce489b4dfa7a9b
タヂマモリ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%82%E3%83%9E%E3%83%A2%E3%83%AA
橘について tatibana
http://kamnavi.jp/jm/tatibana.htm
全国開運神社仏閣・中嶋神社 (なかじまじんじゃ) 兵庫県豊岡市三宅
http://www.kaiun-goriyaku.com/28j-018.htm
京都通(京都観光・京都検定)百科事典
http://www.kyototsuu.jp/index.html
古事談- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%AB%87
紫宸殿前の左近の梅がなぜ桜に変わったのか?。 教えて!goo
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa234462.html
訓読万葉集
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/manyok/manyo_k.html
源氏物語- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E6%B0%8F%E7%89%A9%E8%AA%9E
万葉集 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86
万葉集:橘(たちばな)を詠んだ歌
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/flower/tatibana.html
天徳内裏歌合
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%BE%B3%E5%86%85%E8%A3%8F%E6%AD%8C%E5%90%88
百人一首 平兼盛( 千人万首)
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/100i/040.html
Category:皇室祭祀
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E7%9A%87%E5%AE%A4%E7%A5%AD%E7%A5%80
[PDF]「たちばな」について
http://www.geocities.jp/kokido/tatibana.pdf
さくらのそうし/有職故実/大内裏/内 裏
http://www.geocities.jp/sakurasoushi/shiryo/dairi.html


近松門左衞門作の人形浄瑠璃『心中天網島』が竹本座で初演された日

2007-12-06 | 歴史
1720(享保5)年の今日(12月6日)、近松門左衞門作の人形浄瑠璃『心中天網島』が、大坂道頓堀・竹本座で初演された。
近松の代表作の1つ『心中天網島』は、3段の世話物で、同年大阪・網島の大長寺で起きた紙問屋の主人治兵衛(じへい)と遊女小春の心中事件を脚色したものであり、義理と人情の問題が最も鋭く表現されており、近松の世話物の中でも、特に傑作と高く評価されている。
治兵衛は、妻おさんとの間に2 人の子までいるが、北の新地紀伊国屋の抱え女郎小春に通いつめ、行く末に絶望して心中の約束をかわしていた。夫の身を案じたおさんは、ひそかに小春に手紙を書き、夫の命を助けるために手を切るように頼んだ。おさんにとって、小春は自分や子供たちから夫、父を奪い取った憎い仇である。その小春におさんは恨みも誇りも捨てて夫の命を助けるよう頼み込んだ。その必死さが小春に通じ、命をかけて愛した治兵衛だが、思い切るとの返事をくれた。
『心中天網島』は、その小春が治兵衛に愛想を尽かしをする場面から始まる。小春の縁切りの言葉を真に受けた治兵衛は、怒り狂い、小春を切ろうとし、兄の孫右衛門に止められた。「河庄の場」と呼ばれる上巻の展開である。
中巻は、治兵衛を舞台に筋が進行し、「紙屋内の場」と呼ばれる。世間の噂で小春が一人で死ぬ覚悟をかためているとさとったおさんは、事態の成り行きがよく呑み込めない治兵衛にむかって、「いとしや小春さんは死ぬ。小春さんを殺しては女同士の義理が立たぬ」と叫ぶ。この場合の義理はしいたげられた立場にある女性同士の連帯感である。死を掛けておさんの頼みにこたえようとする小春の誠意に対して、おさんの発した良心の声である。人間が人間であるための証と言っていい。これは、シェークスピア戯曲の中で、心中物に似た結末をとっている『ロミオとジュリエット』に似ている。ロミオは秘薬を飲んで仮死状態にある恋人のジュリエットを真実に死んだものと思いこんで自殺する。仮死から蘇ったジュリエットはそのロミオの姿態を見て、悲しみの余りロミオの剣で胸を貫いて跡を追う。この人2人の若者の愛の強さはまさにルネッサンスの美と若さの象徴といえ、近松の作品には見ることの出来ない激しさと清純さを持っている。シェークスピアは名門のモンタギューとキャビュレットの両家の結ばれてはならない制約下に置かれた2人が周囲に助けられながら生きてゆく、まさに人情と義理との対立をテーマーに、最終的には人情が力強く勝利した作品となっている。『心中天網島』では、この「ロミオとジュリエット』の義理にあたるのが、妻子ある商家の主人という治兵衛の立場である。この立場のために治兵衛は遊女の小春との愛を全うすることが出来ない状況に置かれている。治兵衛は、この制約として義理を破って小春との愛を遂げようとする。そこで、作品が終結すれば、『心中天網島』の構図は『ロミオとジュリエット』に一致するが、近松は、ここに小春とおさんの女同誌の義理というもう1つの新しい局面を導入している。前者の治兵衛の義理を公の義理とすれば、後者のおさんの義理は私の義理である。近松はシェークスピアの描くことのなかった私の義理を登場させることによって、作品のより複雑さをはかっている。そして、治兵衛と小春の心中によってこの公私両面の義理と2人の愛を調和させているのである。作品の価値判断は別として、近松は義理と人情の問題についてはシェークスピアよりも数歩先んじているといえる。ヨーロッパのルネッサンスの時代に生きたシェークスピアと近松は生きた時代がよく似ている。『心中天網島』の書かれたのは日本の元禄ルネッサンスの終末期に近い時であった。
また、最後の道行「名残の橋づくし」は名文として知られる。「悪所狂いの。身の果ては。かくなり行くと。定まりし。釈迦の教へもあることか、見たし憂き身の因果経。」橋の多い大坂をかけて、最後の「道行名残りの橋づくし」が始まり、2人は死に場所を求めてさまよい歩く。 大江橋、難波小橋、舟入橋、堀川橋、天満橋、京橋…と渡り、網島大長寺にたどりつく。
「因果経」というのは「仏説善悪因果経」(以下参考に記載の「因果経とは」参照)のことで、これは一種の偽経(疑経)であるが、当時広く世間で読まれ強い影響を与えていたのであろう。この思想は今日にも影響を与えている。だから冶兵衛は 自分が悪所通いで心中するという破目になったのは前世で自分は何か悪いことでもしたのであろう。これも何かの因果であろうか。因果経ででもお釈迦様の教えを確かめてみたいものだといっているのであるが、因果経は中国で成立した仏教の偽経、つまり、仏教と言うよりも「道徳」といえるものである。「善悪因果経」注釈書の「善悪因果」の注には「天網恢恢疎にして漏らさず」という諺が載っているようであり、 題名の「天網島」とは、諺の「天網恢恢」と、心中の場所である網島とを結びつけた語りであり、この作品が、「因果」という観点からも書かれているものといえるだろう。
元禄時代には心中が流行している。元禄の世は、一般には泰平・繁栄の世と言われている。確かに、経済発展は目覚しいものがあったが、それも元禄末期には翳りが見え始めていた。1つには幕府財政の破綻から度々貨幣改鋳を行い通貨は不安定になり、物価高騰を招いていた。また、経済発展がそろそろ飽和状態になって「金が金を生み出す世」になり、商人が仲間を作り家の組織を整えて市場体制を固める時代に入っていた。このような時代に何か問題があって主家を離れた者は、他家に勤めることが出来ず、小商人や日稼ぎをやるしかなかった。
近松の17年前・1703(元禄16)年の作品である『曾根崎心中』の醤油商平野屋の手代である徳兵衛の運命はこのようなものであった。そして、元禄は、けっして、自由・泰平の世でもなかった。5代将軍綱吉は専制的な権力をもって生類憐みの令などを出している。彼が儒学を好んだことは美談にように見えるが、儒学は身分意識の強調につながった。町人らの帯刀を禁じたりしたのはその現われで、被差別民への差別支配も強められていったという。(週間朝日百科「日本の歴史)大坂では、1705(宝永2)年、代表的な豪商淀屋が幕府によって取り潰されたが、それは、元禄の世の終りを示すもので、やがて正徳・享保の緊縮財政と厳しい不況の時代へと転換する(以下参考に記載の「歴史探検・淀屋辰五郎と淀屋取り潰しの真相」参照)。もともと商品経済の発展は貧富の差を激しくし、社会的な流動性を増しながら社会不安がひそかに広がるのであるが元禄時代には時代の閉塞状況がしらずしらずに個人の心理を圧迫していたのだろうという。・・・何か、今の時代とよく似てるな~。
心中はもともとは心中立(しんじゅうだて)といい、心のうちと定めた義理立て、決意を立証するということで、多くは遊女が客の男に対して心情を表す場合に用いられていたようで、簡単な方法では誓約書を交わす、髪を切って渡すなど。「○○命」と刺青する、指先を切り落とすなど自分の身体を傷つける方法もあったそうで、、最も重みのあるものが自ら相手の男とともに命を絶つ「情死」だった。
遊女と客の情死を江戸時代のメディアが取り上げるようになったのは1682(天和2)年井原西鶴が発表した『好色一大男』が遊女の心中立について描写し、最初のブームが起こるが、これに触発されたのか京都や大坂で情死が大流行し、事件を報道するかわら版が飛ぶように売れた。そして、1683(天和3)年大坂の生玉(いくたま)で新町大和屋の遊女市之丞(いちのじょう)と呉服屋の御所(ごせ)の長右衛門(ちょうえもん)の心中が起きると、事件を脚色した芝居「生玉心中」が大評判となり、これが歌舞伎に初めて登場した「心中物」だといわれており、これ以降「心中」は男女の情死をいう言葉として一般的になったという。このような、『心中物』が好評を博している歌舞伎にならって大坂の人形浄瑠璃の竹本座でも心中物を演目に取り上げるようになった。それが、1703(元禄16)年の『曾根崎心中』であるが、実際の事件から1ヵ月と言うこともあり公演は大当たりを取りその後、あいついで心中物の傑作が上演されることとなり、1720(享保5)年、同じ年に起った心中を扱った傑作の名も高い『心中天網島』が発表されると、とうとう心中ものに共感した人々の間で、心中ブームが勢いを増し、江戸幕府は、このブームに対して既に前から厳しい反応を示していたが、3年後の1723(享保7)年には「男女申合人の仕置き」という禁令を出した。心中の2文字を逆にして1文字にすると「忠」となるので心中は格好良く聞こえるというので、申合人とか相対死(そうたいじに)という文言を使ったという。そして、心中並びにこれを扱った作品の出版・上演を禁じる共に、心中した者の葬儀を禁止するなどの措置をとることとなった。心中に憧れる若い男女がいたことは確かだが、一般的には、心中は反社会的な行為であり、その流行を苦々しく思う人が多かったのも当然である。(以下参考に記載の「相 対 死|針尾三郎 随想録」なども参考にされるとよい。)
最近も何か、ネットで知り合った者同士が心中をしたるするのが流行っているようだが、昔のような情緒性は全然ないね~。
(画像は、映画「心中天網島 」1969年、DVD。治兵衛の妻おさん:遊女小春:岩下志麻2役 、紙屋治兵衛:中村吉右衛門)
参考:
近松門左衛門 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E6%9D%BE%E9%96%80%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80
近松門左衞門と人形浄瑠璃の軌跡
http://homepage2.nifty.com/hay/index.html
ウィリアム・シェイクスピア - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%94%E3%82%A2
歌舞伎素人講釈・作品研究・
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/sakuhinex.htm
大阪文化再発見6.網島風景・天満橋風景
http://www.bunjyo.jp/saihakken/scene/naniwa06.html
偽経 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%BD%E7%B5%8C
因果- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A0%E6%9E%9C
因果経とは
http://www.gem.hi-ho.ne.jp/sogenji/hitokuchihouwa/ingakyoutowa.htm
道徳 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%BE%B3
被差別民 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%AB%E5%B7%AE%E5%88%A5%E6%B0%91
歴史探検・淀屋辰五郎と淀屋取り潰しの真相
http://www.01.246.ne.jp/~reki127/index.rekitan-34.html
江戸経済史7.荻原重秀の貨幣政策
http://www.ops.dti.ne.jp/~makinoh2/edo/edo7.html
相 対 死|針尾三郎 随想録
http://ameblo.jp/aqgel/entry-10025791788.html
心中天網島(1969) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD28359/index.html
PDF] 絶えざるイノベーションで21世紀型企業を目指す
http://www.kkc.or.jp/pub/period/keizaikoho/pdf/200411.pdf