今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

岸田今日子(俳優)の忌日

2007-12-17 | 人物
今日(12月17日)は、岸田今日子の2006(平成18)年の忌日である。
岸田 今日子は、1930(昭和 5)年4月29日、 東京杉並区に生まれる。父は劇作家で日本を代表する三大新劇団の1つである文学座創設者の岸田國士(くにお)、母秋子も児童文学の翻訳などを手がけていた文化人。姉は詩人で童話作家岸田衿子、従兄弟には俳優の岸田森という芸術一家に育つ。そんな過程環境から自由学園在学中に舞台美術に興味を抱き、卒業と同時に文学座研修所に入るが、その後女優に転じ、1950年に『キティ颱風』で初舞台。1960(昭和35)年、三島由紀夫演出の『サロメ』で主役に抜擢されて以降、テアトロン賞(以下参考に記載の「テアトロン賞とは?」参照)を受賞した『陽気な幽霊』をはじめ、数多くの舞台で多くの大役、難役をこなした。
1954(昭和29)年、同じ文学座の俳優仲谷昇と結婚。流産という経験を乗り越えて待望の長女を出産する。1978(昭和43)年、離婚。(仲谷も、昨2006〔平成18〕年、彼女より、1月前の 11月16日に亡くなっている。中谷のことも以前にこのブログでとり上げたので、興味のある人は、「俳優・中谷昇の2006(平成18)年の忌日」を見てください。)
1963(昭和38)年、杉村春子ら文学座幹部の運営に限界を感じていた芥川比呂志、小池朝雄、神山繁、山崎努らと共に文学座を脱退。「劇団雲」の結成に参加(文学座の演目などでのベテランと中堅・若手陣とのズレや劇団の左翼化傾向化などへの反発によるものであったようだ)。この「文学座」の中堅・若手劇団員29名もの集団脱退劇は、日本の演劇界始まって以来の大事件として多くのマスコミも関心を寄せた。1975(昭和50)年には芥川比呂志らと「演劇集団 円」を設立。別役実清水邦夫ら多くの劇作家の新作に取り組み、中でも『壊れた風景』、『うしろの正面だあれ』、『トラップ・ストリート』など、別役実書き下ろしの大半の作品に出演。また、「欲望という名の電車」のブランチ役など翻訳劇の大役にも次々と挑み、成果を上げた。
映画では、1962(昭和36)年に『破戒』などの演技で毎日映画コンクール助演女優賞、1964(昭和39)年には『砂の女』でブルーリボン助演女優賞を受賞して、実力派舞台女優としての地位を確立した。テレビドラマでは、1963(昭和38)年の『男嫌い』で、男をむしる独身四姉妹の三女役で出演。当時、同番組は「カワイ子ちゃん」などの流行語を生み出す大人気ドラマとなり、茶の間での岸田の認知度も大きく上がった。このドラマは翌年同独身四姉妹で映画化されている。(goo-映画男嫌い参照)以降も、『傷だらけの天使』など、数多くのドラマに出演し、個性的な役柄を演じた。舞台女優として、そして、テレビ・映画でも大活躍、近寄りがたい妖艶さを見せる一方、ユーモラスな役もこなす硬軟自在の演技は若い頃から評価が高かった。
人気アニメ『ムーミン』ではムーミン・トロールの声を担当。『ムーミン』の声で子供たちにも親しまれたが、なんでも、この仕事を請けたのは、娘に自分の仕事を理解してもらうためだったという。独特の声と情感豊かな読みによりナレーションでも、他に得がたい存在として、ドキュメンタリーからバラエティまで幅広く起用されていた。児童劇上演や童話創作にも力を入れ、小説などの著作もある。「妄想の森」(文芸春秋) で、1998(平成10)年エッセイストクラブ賞を受賞している。
2005(平成17)年10月から11月に「円」の「オリュウノオバ物語」公演後の昨・2006(平成18)年1月脳腫瘍が見つかり薬物治療などを続けていたが、12月の今日呼吸不全で死去した。享年76歳であった。
私は、彼女の演技もさることながら、その独特の声と情感豊かな話し方が好きであった。彼女は、小さい頃から絵本も読んだが早くから大人の本を読んでいたといい、10代の終わり頃、フランス語を習っていた先生が内藤濯であったようで、その内藤から「今度、これを訳すんですよ」と言って『星の王子さま』を見せてもらい、訳したものを読んだとき、「こういうものが世の中にあるのか」と感動したと言う。そのようなことから児童文学や絵本などに興味をもつようになったそうだ。以下参考に記載の朗読付き絵本が楽しめるサイト「おはなし絵本クラブ」では、絵本を無料で立ち読みも出来る。岸田今日子のナレーションも36タイトルあるよ。以下参照。
ナレーターで検索 - 岸田 今日子
http://www.ohanashiehon.com/ehon/?n=21
それにしても、私は、彼女の話し方、中でも日本語が綺麗であることに関心があった。役者は、演技も大切だが、先ず、その声と話し方が重要だと私は思っているのだが、彼女の父である岸田國士も「語られる言葉」の美の中で、”われわれ日本人は、子供の時分から、文字を眼で読むといふ努力をあまりに強ひられた結果、「口から耳へ」伝へられる言葉の効果に対しては、余程鈍感になつてゐるやうである。”と言い、このような、話し言葉への鈍感さが”わが国の現代劇を不振ならしめてゐる最大の原因なのである”と言っている。
また「俳優の素質」の中で、”昔から俳優の素質を論じる場合に、誰でも「感性」を第一に挙げてゐるがこれはつまり、他の芸術家の如く、一方に於て同じ程度の「想像力」を必要としない結果、「感性」の必要が著しく目立つからであらう。””ある種の戯曲、殊に近代劇に於ては、俳優の職分は、決して、ある人物を「如何に」表出すればいいかと云ふ点に尽きてはゐないのである。なるほど、俳優がある人物に扮する場合、その「役の解釈」に、さほど頭を使ふ必要のなかつた時代は、さうであつたらう。つまり類型的な人物はただ「感性」の助けによつて、それを「如何に」表出するかの問題を解決すればよかつたのである。俳優がその「人物になり切る」ことを唯一の仕事とするならば、たしかに「感性」は何よりも大切である。何となれば、その仕事は「模倣」から遠くないものであるから。然るに、ある種の戯曲、殊に近代劇に於ては、俳優の職分は、決して、ある人物を「如何に」表出すればいいかと云ふ点に尽きてはゐないのである。それ以前に、それ以上根本的な「仕事」が控へてゐる。即ち、「如何なる人物」を表出すべきかといふことである。言ひ換へれば、人物の解釈である。そこで俳優の素質は、「感性」よりも「知力」に重きをおかなければならなくなつたのである。”・・・・と。そして、”感性と知力とが俳優の才能を決定するものであるとすれば、その才能を発揮するための「道具」は声と柄(がら)と記憶力である。
 ”所謂美しい声は、必ずしも「良い声」ではない。
 これは恰も、所謂「美しい容姿」が必ずしも、俳優の第一資格でないのと同様である。
 発声の自由と声量の豊富、その上に、他の肉体的条件に適合した「声の質」を必要とする。
 悪い声を良く聞かせるのは、俳優のまた一つの力である。その力は、声以上の魅力であるに違ひない。この例が古今東西を通じて少くない。
 声は柄(がら)の一部とも見られる。そこで今度は俳優の柄といふ問題である。
 日本でも西洋でも、古典劇には、この柄を基礎にして、所謂「役柄」の制度があつた。
 柄のみに頼つて、「地」で行かうとする演技、これは、「頭」のない役者の陥り易い誘惑である。”・・・と言っている。今は、まともに発声練習もしていないのであろう、役者としての声も作られておらず、まともに台詞も喋ることの出来ない劇中の人物の物真似だけしている大根役者が多くなっている。特に日本人でありながら、日本語をないがしろにした人が多く、日本語を正確に綺麗に話せる人が殆ど見られなくなったのは、寂しい限りである。
(画像は、コレクションのチラシより、ピッコロシアターでの「アマーストの美女」作:ウイリアム・ルス)
参考:
岸田今日子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E7%94%B0%E4%BB%8A%E6%97%A5%E5%AD%90
女優 岸田 今日子さん
http://www.wendy-net.com/nw/person/184.html
テアトロン賞とは?
http://www.geocities.jp/chiemi_eri/chiemi_sub6-02.htm
岸田今日子 (キシダキョウコ) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/89369/
おはなし絵本クラブ
http://www.ohanashiehon.com/index.html
評]オリュウノオバ物語 (演劇集団円)読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/stage/theater/20051102et03.htm
星の王子さま - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E3%81%AE%E7%8E%8B%E5%AD%90%E3%81%95%E3%81%BE
作家別作品リスト:No.1154作家名: 岸田 国士
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1154.html#sakuhin_list_1
友田恭助 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8B%E7%94%B0%E6%81%AD%E5%8A%A9