今日(12月08日)は、江口夜詩 (作曲家『十九の春』『あこがれのハワイ航路』)の 1978(昭和53)年 の忌日。<75歳> [1903年7月1日生]
江口夜詩(えぐち よし)と言っても、今の若い人は殆ど知らないだろう。昭和期の作曲家で、1903(明治36)年7月1日 、岐阜県上石津町(現・大垣市)の出身だというが、私も、昭和期の彼の『あこがれのハワイ航路』などの名曲は知っていても、彼の経歴などについてはよく知らないので、以下参考に記載の「江口夜詩記念館」に記載されていることからなど参考にしながら簡単に書いてみよう。 江口夜詩、(本名、江口源吾)は、16歳の時、当時の大日本帝国海軍軍楽隊に応募し、第一期軍楽補習生として横須賀海兵団に入団。軍楽隊専属の作曲家としての将来を嘱望され、海軍省委託生として、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)に6年間通学してチェロ等の音楽を学び、1921(大正)10年、当時皇太子・東宮裕仁殿下(昭和天皇)が、春、御学問所の課程を終わったあと半年間(3月3日から同年9月3日)イギリスをはじめとするヨーロッパ5カ国親善旅行をされるが、その随行軍楽隊員のひとりとして抜擢され、6ヶ月間にわたり本場のシンフォニーやオペラに接することが出来た。1925(大正14)年、処女作「千代田城を仰ぎて」(観艦式行進曲)を完成。同年に結婚。ペンネームの夜詩は妻の名・喜枝(よしえ)から採ったそうだ。1928(昭和3 )年には昭和天皇即位大典演奏会で吹奏楽大序曲「挙国の歓喜」を発表。 1931(昭和6 )年、海軍を退役し、翌・1932 (昭和7 )年、「忘られぬ花」(作詞:西岡水朗、歌手は新人の池上利夫)が大ヒット。この曲は、亡き妻を思いピアノの鍵盤を涙で濡らしながら作曲したと言われているそうだ。また、古賀政男の「酒は涙か溜息か」を意識して作曲したのだという。(以下参考に記載の「コラム・「忘られぬ花」-江口夜詩メロディー」参照)。そういわれれば、聞いてみると、非常に古河メロディーに似てるいい曲だよ。ちょっと、息抜きに聞いてみるか。
忘られぬ花(MIDIカラオケ・おやじの唄)
http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/WasurarenuHana.htm
この歌のヒットまで、クラシックの作曲家を目指していた夜詩は、これを期に流行歌の作曲に一生をかけることを決意。その後「十九の春」(1933年) 、「秋の銀座」(1933年) 、希望の首途(1934年) 、「急げ幌馬車」(1934年) 、「夕日は落ちて」(1935年) 、「月月火水木金金」(1940年) 、「長崎のザボン売り」(1948年) 、「憧れのハワイ航路」(1948年)、 「東京の空青い空」(1949年)、「赤いランプの終列車」(1952年)、 「瓢箪ブギ」〔?年、歌手は春日八郎だったと思う)など数々のヒット曲を作曲。
戦前の古い曲等私は余りよくは知らないが「護れ大空」「月月火水木金金」「轟沈」など夜詩の軍歌の3大名曲とも言えるものがある。
中でも、「月月火水木金金」は、最もよく知られた軍歌の1つだろう。海軍は日露戦争勝利後も、「勝って兜の緒を締めよ」とばかりに休日返上で猛訓練を行っており、ある海軍士官が「これでは、まるで月月火水木金金じゃないか」とふと同僚に漏らした言葉が広まったもので、むしろ猛訓練に辟易していた海軍将兵らが自嘲気味に使ったのが始まりだろうといわれているが、この言葉から作られ、海軍省海軍軍事普及部推薦曲として、内田栄一の歌でポリドール・レコードから発売されたものの、当時は全く売れなかったという。しかし、日本放送協会職員の偶発的なミスによるラジオ放送がきっかけとなり、またたく間に流行歌として広く国民の間に親しまれるようになったというエピソードを持つという。第二次大戦中には、勤務礼賛の意味で、国民の間で広く使われた。
この曲等は、歌いやすい曲だし面白いので私なども子供心によく歌っていた。
月月火水木金金MIDIカラオケ・おやじの唄
http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/GetsyGetsuKaSuiMokuKinKin.htm
他の2曲も軍歌とは思えないいい曲だよ。
護れ大空 (MIDIカラオケ・おやじの唄)
http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/MamoreOozora.htm
轟沈(MIDI天翔艦隊/軍楽隊)
http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/band/midi/JASRAC/gochin.html
戦争を賛歌するわけではないが、私達の年代の者にとってはテンポのよい軍歌は好きな曲の1つではある。
戦後の1948(昭和23)年に作られた、「長崎のザボン売り」は軽快なリズムに乗った小畑実の歌が“髪に結んだリボンも可愛い”ザボン娘の待つ長崎へと心を弾ませ誘う歌であるが、1916(大正5)年にザボンの害虫が発生し、他の柑橘類への影響を懸念した市当局が市内のザボンの木をことごとく伐採してしまい、この歌の歌われた時には、長崎にザボンは皆無の状態だったのだという。何でも、この歌の作詞者石本美由起は、長崎の地を一度も踏んだことがなく、長崎がザボン発祥の地であることは承知の上で、傾倒していた北原白秋の詩集「思ひ出」の中の『朱欒のかげ』と『人形つくり』にヒントを得て、“ザボン娘”をイメージして作詞したのだという。そんなことを知らない観光客の中には、ザボンの姿が見当たらない…と観光案内所に苦情を持ち込む人も見られたという。(以下参考に記載の「長崎文化ジャンクション 長崎文化百選」より)これはちょっと戴けない話だね~(^0^)。(※北原白秋の詩集「思ひ出」は以下参考に記載の「「PDF] 思ひ出 抒情小曲集 北原白秋」で読めるよ。)また、歌の歌詞は、以下で見れる。
長崎のザボン売り(歌詞)石本美由起
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/nagasakinozabonuri.html
しかし、なんと言っても戦後大ヒットしたのは、岡晴夫の明るい歌「憧れのハワイ航路」であろう。「長崎のザボン売り」と同じ1948(昭和23)年の当時、まだ、ハワイへの旅行など憧れ・夢の時代であった。テンポの良い大好きな曲なので、暇な時など、私はハーモニカで楽しんでいる。曲は以下で聞ける。
憧れのハワイ航路(歌は世につれ世は歌につれ)
http://8.health-life.net/~susa26/natumero/21-25/akogarenohawai.htm
また、1952(昭和27)年に大ヒットした「赤いランプの終列車」。春日八郎は、この歌の大ヒットで、その後の活動の場が広がり、演歌歌手の第一人者となったともいえる。
赤いランプの終列車作詩:大倉芳郎作曲:江口夜詩
http://8.health-life.net/~susa26/natumero/26-30/syuresya.htm
夜詩は、校歌や社歌、町民歌、地域の音頭なども数多く作曲しており生涯にわたる作曲数は何と4,000曲を超えてたという。 1963(昭和38)年、パーキンソン病に冒され、長い間の闘病生活を余儀なくされたが、1978(昭和53)年の12月8日死去した。享年75であった。私は、戦後の歌謡曲なら知っているが、他はそんなに多くの曲を知らないが、 彼は、マンネリを避けるため、一曲一曲 楽器を上手く使ったアレンジで、変化に富んだムードを醸し出しているようだ。
江口夜詩の長男・江口浩司氏も、作曲家として現在活躍中であり、代表作の「下町の太陽」や「忘れな草をあなたに」などがあるが、すばらしい曲だよね。やはり、血筋なのだろうね。
(画像は、ハワイでの日本人の文化や歴史を写真で紹介した恒文社21 の雑誌「憧れのハワイ航路 」表紙)
参考:
江口夜詩 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%8F%A3%E5%A4%9C%E8%A9%A9
岐阜県図書館:岐阜県ゆかりの先駆者たち/江口 夜詩
http://www.library.pref.gifu.jp/d_lib/predec20.htm
江口夜詩記念館
http://www.mirai.ne.jp/~ongaku/egutiyosikinenkan.html
コラム・「忘られぬ花」-江口夜詩メロディー
http://www.news.janjan.jp/column/0605/0605104140/1.php
松平晃
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E6%99%83
MIDIカラオケ・おやじの唄
http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/Frame/JapaneseTraditionalSongs.htm
歌は世につれ世は歌につれ
http://8.health-life.net/~susa26/natumero/index.htm
北原白秋 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%8E%9F%E7%99%BD%E7%A7%8B
「PDF] 思ひ出 抒情小曲集 北原白秋
http://www.tulip.sannet.ne.jp/nah01433/hei4/kita1.pdf
長崎文化ジャンクション 長崎文化百選
http://www.pref.nagasaki.jp/bunka/hyakusen/bungaku/009.html
長崎のザボン売り(歌詞)石本美由起
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/nagasakinozabonuri.html
日本の軍歌のミディ音楽の試聴室
http://www8.ocn.ne.jp/~shama/mid7.html
天翔艦隊/軍楽隊 /目次
http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/band/index.html
YouTube - <軍歌>護れ大空
http://www.youtube.com/watch?v=MMTwAtL31Zs
YouTube - 月月火水木金金
http://www.youtube.com/watch?v=8hJmOf9viL8
YouTube - 憧れのハワイ航路
http://www.youtube.com/watch?v=seoCekqAsT0
江口夜詩(えぐち よし)と言っても、今の若い人は殆ど知らないだろう。昭和期の作曲家で、1903(明治36)年7月1日 、岐阜県上石津町(現・大垣市)の出身だというが、私も、昭和期の彼の『あこがれのハワイ航路』などの名曲は知っていても、彼の経歴などについてはよく知らないので、以下参考に記載の「江口夜詩記念館」に記載されていることからなど参考にしながら簡単に書いてみよう。 江口夜詩、(本名、江口源吾)は、16歳の時、当時の大日本帝国海軍軍楽隊に応募し、第一期軍楽補習生として横須賀海兵団に入団。軍楽隊専属の作曲家としての将来を嘱望され、海軍省委託生として、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)に6年間通学してチェロ等の音楽を学び、1921(大正)10年、当時皇太子・東宮裕仁殿下(昭和天皇)が、春、御学問所の課程を終わったあと半年間(3月3日から同年9月3日)イギリスをはじめとするヨーロッパ5カ国親善旅行をされるが、その随行軍楽隊員のひとりとして抜擢され、6ヶ月間にわたり本場のシンフォニーやオペラに接することが出来た。1925(大正14)年、処女作「千代田城を仰ぎて」(観艦式行進曲)を完成。同年に結婚。ペンネームの夜詩は妻の名・喜枝(よしえ)から採ったそうだ。1928(昭和3 )年には昭和天皇即位大典演奏会で吹奏楽大序曲「挙国の歓喜」を発表。 1931(昭和6 )年、海軍を退役し、翌・1932 (昭和7 )年、「忘られぬ花」(作詞:西岡水朗、歌手は新人の池上利夫)が大ヒット。この曲は、亡き妻を思いピアノの鍵盤を涙で濡らしながら作曲したと言われているそうだ。また、古賀政男の「酒は涙か溜息か」を意識して作曲したのだという。(以下参考に記載の「コラム・「忘られぬ花」-江口夜詩メロディー」参照)。そういわれれば、聞いてみると、非常に古河メロディーに似てるいい曲だよ。ちょっと、息抜きに聞いてみるか。
忘られぬ花(MIDIカラオケ・おやじの唄)
http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/WasurarenuHana.htm
この歌のヒットまで、クラシックの作曲家を目指していた夜詩は、これを期に流行歌の作曲に一生をかけることを決意。その後「十九の春」(1933年) 、「秋の銀座」(1933年) 、希望の首途(1934年) 、「急げ幌馬車」(1934年) 、「夕日は落ちて」(1935年) 、「月月火水木金金」(1940年) 、「長崎のザボン売り」(1948年) 、「憧れのハワイ航路」(1948年)、 「東京の空青い空」(1949年)、「赤いランプの終列車」(1952年)、 「瓢箪ブギ」〔?年、歌手は春日八郎だったと思う)など数々のヒット曲を作曲。
戦前の古い曲等私は余りよくは知らないが「護れ大空」「月月火水木金金」「轟沈」など夜詩の軍歌の3大名曲とも言えるものがある。
中でも、「月月火水木金金」は、最もよく知られた軍歌の1つだろう。海軍は日露戦争勝利後も、「勝って兜の緒を締めよ」とばかりに休日返上で猛訓練を行っており、ある海軍士官が「これでは、まるで月月火水木金金じゃないか」とふと同僚に漏らした言葉が広まったもので、むしろ猛訓練に辟易していた海軍将兵らが自嘲気味に使ったのが始まりだろうといわれているが、この言葉から作られ、海軍省海軍軍事普及部推薦曲として、内田栄一の歌でポリドール・レコードから発売されたものの、当時は全く売れなかったという。しかし、日本放送協会職員の偶発的なミスによるラジオ放送がきっかけとなり、またたく間に流行歌として広く国民の間に親しまれるようになったというエピソードを持つという。第二次大戦中には、勤務礼賛の意味で、国民の間で広く使われた。
この曲等は、歌いやすい曲だし面白いので私なども子供心によく歌っていた。
月月火水木金金MIDIカラオケ・おやじの唄
http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/GetsyGetsuKaSuiMokuKinKin.htm
他の2曲も軍歌とは思えないいい曲だよ。
護れ大空 (MIDIカラオケ・おやじの唄)
http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/MamoreOozora.htm
轟沈(MIDI天翔艦隊/軍楽隊)
http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/band/midi/JASRAC/gochin.html
戦争を賛歌するわけではないが、私達の年代の者にとってはテンポのよい軍歌は好きな曲の1つではある。
戦後の1948(昭和23)年に作られた、「長崎のザボン売り」は軽快なリズムに乗った小畑実の歌が“髪に結んだリボンも可愛い”ザボン娘の待つ長崎へと心を弾ませ誘う歌であるが、1916(大正5)年にザボンの害虫が発生し、他の柑橘類への影響を懸念した市当局が市内のザボンの木をことごとく伐採してしまい、この歌の歌われた時には、長崎にザボンは皆無の状態だったのだという。何でも、この歌の作詞者石本美由起は、長崎の地を一度も踏んだことがなく、長崎がザボン発祥の地であることは承知の上で、傾倒していた北原白秋の詩集「思ひ出」の中の『朱欒のかげ』と『人形つくり』にヒントを得て、“ザボン娘”をイメージして作詞したのだという。そんなことを知らない観光客の中には、ザボンの姿が見当たらない…と観光案内所に苦情を持ち込む人も見られたという。(以下参考に記載の「長崎文化ジャンクション 長崎文化百選」より)これはちょっと戴けない話だね~(^0^)。(※北原白秋の詩集「思ひ出」は以下参考に記載の「「PDF] 思ひ出 抒情小曲集 北原白秋」で読めるよ。)また、歌の歌詞は、以下で見れる。
長崎のザボン売り(歌詞)石本美由起
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/nagasakinozabonuri.html
しかし、なんと言っても戦後大ヒットしたのは、岡晴夫の明るい歌「憧れのハワイ航路」であろう。「長崎のザボン売り」と同じ1948(昭和23)年の当時、まだ、ハワイへの旅行など憧れ・夢の時代であった。テンポの良い大好きな曲なので、暇な時など、私はハーモニカで楽しんでいる。曲は以下で聞ける。
憧れのハワイ航路(歌は世につれ世は歌につれ)
http://8.health-life.net/~susa26/natumero/21-25/akogarenohawai.htm
また、1952(昭和27)年に大ヒットした「赤いランプの終列車」。春日八郎は、この歌の大ヒットで、その後の活動の場が広がり、演歌歌手の第一人者となったともいえる。
赤いランプの終列車作詩:大倉芳郎作曲:江口夜詩
http://8.health-life.net/~susa26/natumero/26-30/syuresya.htm
夜詩は、校歌や社歌、町民歌、地域の音頭なども数多く作曲しており生涯にわたる作曲数は何と4,000曲を超えてたという。 1963(昭和38)年、パーキンソン病に冒され、長い間の闘病生活を余儀なくされたが、1978(昭和53)年の12月8日死去した。享年75であった。私は、戦後の歌謡曲なら知っているが、他はそんなに多くの曲を知らないが、 彼は、マンネリを避けるため、一曲一曲 楽器を上手く使ったアレンジで、変化に富んだムードを醸し出しているようだ。
江口夜詩の長男・江口浩司氏も、作曲家として現在活躍中であり、代表作の「下町の太陽」や「忘れな草をあなたに」などがあるが、すばらしい曲だよね。やはり、血筋なのだろうね。
(画像は、ハワイでの日本人の文化や歴史を写真で紹介した恒文社21 の雑誌「憧れのハワイ航路 」表紙)
参考:
江口夜詩 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%8F%A3%E5%A4%9C%E8%A9%A9
岐阜県図書館:岐阜県ゆかりの先駆者たち/江口 夜詩
http://www.library.pref.gifu.jp/d_lib/predec20.htm
江口夜詩記念館
http://www.mirai.ne.jp/~ongaku/egutiyosikinenkan.html
コラム・「忘られぬ花」-江口夜詩メロディー
http://www.news.janjan.jp/column/0605/0605104140/1.php
松平晃
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E6%99%83
MIDIカラオケ・おやじの唄
http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/Frame/JapaneseTraditionalSongs.htm
歌は世につれ世は歌につれ
http://8.health-life.net/~susa26/natumero/index.htm
北原白秋 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%8E%9F%E7%99%BD%E7%A7%8B
「PDF] 思ひ出 抒情小曲集 北原白秋
http://www.tulip.sannet.ne.jp/nah01433/hei4/kita1.pdf
長崎文化ジャンクション 長崎文化百選
http://www.pref.nagasaki.jp/bunka/hyakusen/bungaku/009.html
長崎のザボン売り(歌詞)石本美由起
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/nagasakinozabonuri.html
日本の軍歌のミディ音楽の試聴室
http://www8.ocn.ne.jp/~shama/mid7.html
天翔艦隊/軍楽隊 /目次
http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/band/index.html
YouTube - <軍歌>護れ大空
http://www.youtube.com/watch?v=MMTwAtL31Zs
YouTube - 月月火水木金金
http://www.youtube.com/watch?v=8hJmOf9viL8
YouTube - 憧れのハワイ航路
http://www.youtube.com/watch?v=seoCekqAsT0