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政府が石炭不足解消の為に「石炭庁」を設置 した日

2007-12-14 | 歴史
1945(昭和20)年 の今日・12月14日、政府は、石炭増産総合対策推進のため中央に「石炭庁」を設置、各地方に臨時石炭増産本部を設置した。 (以下参考に記載に「常磐炭田ネットワーク/常磐炭田史年表 より。」)
1929 (昭和4)年に、アメリカにおこった経済恐慌は世界的な規模にまで発展。わが国も深刻的な不況に見舞われ、この状況を打開するための方策を満蒙開拓に求め、それが、1931(昭和 6)年、関東軍の謀略による柳条湖の南満州鉄道爆破事件(柳条湖事件)に端を発した満州事変勃発となった。そして、日本政府の戦争不拡大方針を無視する形で、関東軍は戦線を拡大し、わずか5ヶ月の間に満州全土を占領し、軍事的にはまれに見る成功を収めた。これにより、日本の国民もこの事変を熱狂的に支持し、政党政治よりも軍部の方が頼りになるという世論が支配的となり、日本政府も徐々に追認していく形となった。この軍事衝突を境に、中国東北部を占領する関東軍と現地の抗日運動との衝突が徐々に激化。日本では軍部が発言力を強めて日中戦争(支那事変)への軌道が確定し、中国市場に関心を持つアメリカら列強との対立も深刻化していった。満州事変以降、軍部の発言力が強くなった日本政府は、国際連盟による、日本軍の満州からの即時撤退の通告に応じず、1933(昭和 8)年、国連を脱退し対中国戦に邁進。戦闘を拡大していくと、アメリカは対日戦略として1939(昭和14)年には、日米通商航海条約破棄を通告(翌年1月20日失効)し、石油・鉄屑・工作機械等の戦略物資の輸出規制を始めた。しかし、これらの物資の依存度は6割を越え、特に石油に関しては8割近くをアメリカに頼っていた日本は、どうしてもこれらの資源確保に迫られ、1941(昭和16)年12月からの太平洋戦争へと繋がっていくのである。
当時の、戦争経済の維持のために必要な資源とは何だったろうか?。1941(昭和16)年11月5日の御前会議で、鈴木貞一企画院総裁は、南方作戦によって獲得しうる必要資源として、最も重視されたのは、東南アジアの石油である。第1年目~3年目迄で、875万キロリットルの確保を期待しており、開戦直前の備蓄が840万キロリットルしかなく(国産量は人造石油を含めて年55万キロリットル)、年平均消費量が500万キロリットル前後と想定されていたことを考えれば、東南アジアの石油が如何に重視されていたかがわかる。そして、その資源圏(自立圏)を「日満支及西太平洋地域」、補給圏をインド・オーストラリア・などとして進出してゆく。(週間朝日百科「日本の歴史」)。
国内での石油の産出に期待できない日本では、それを打開しようとして、日本は石炭の産出は豊富であったのでこの石炭の液状化による人造石油の精製については大正時代から確立しており、1937(昭和12)年には、人造石油製造事業法(昭和12年法律第52号)が制定され、1940(昭和15)年に福岡県の大牟田と北海道の滝川GTL(gas to liquids;ジーティーエル)工場が建設されていた。人造石油は開戦前から日本が期待した石油代替燃料であったが、エネルギー変換率が低く、同工場ではガソリン、軽油及びワックスが生産されたが、生産量は戦時下の需要を満たす規模とはならなかった。
電力生産等の殆どのエネルギーを石炭に頼らなくてはならない日本では、終戦の前年である1944 (昭和19)年、全国主要炭鉱を軍需工場に指定。日本の産業の血ともいえる石炭増産の号令が、全国の炭鉱に響き渡った。そして、「総突撃・大出炭」のキャンペーンのもと、増産を図るため朝鮮人や中国人も働かせた。また、無理な操業で事故も続発し、この1年間に筑豊と北海道で3件の事故が起り、約210人が命を落としたという。〔朝日クロニクル「週間20世紀」)結局日本は、資源が不足が、敗戦の大きな要因となった。1945(昭和20)年8月14日 ポツダム宣言受諾、太平洋戦争が終わると、”終戦時には石炭労務者の80パーセントは朝鮮人及び中国人労務者が占めていたが、終戦と同時に就業状態は著しく悪化し、治安悪化が内地労務者をも動揺させて石炭生産に深刻な影響を与えている”ことから、同年10月26 日、政府は、石炭生産緊急対策を決定 し、治安の確保と中国人・朝鮮人労務者の引き揚げ促進、これに対して労務者13万名の確保を決めている。また、GHQは、外地抑留中の元日本軍兵士のうち炭鉱経験者の優先的送還を中国・太平洋諸島・朝鮮の各司令官に指令。石炭不足は深刻で機関車や汽船も止まりかねない危機となり同年12月6日、石炭飢饉で瀕死の国鉄を救うため「東鉄石炭増産隊」が組織され常磐炭坑に向かっている。
そして 12月14日 、政府は石炭増産総合対策推進のため中央に石炭庁を、各地方に臨時石炭増産本部を設置 することになったのである。(この辺の事情については、以下参考に記載の「赤紙ーみいけの年表」が詳しく書いてある。
第二次世界大戦により日本の産業は壊滅的な打撃を受けた。そのような逼迫する日本経済復興のための経済政策として、12月27日、当時の第1次吉田内閣によって傾斜生産方式などの政策がとられた。つまり、基幹産業へ重点的に資源配分を傾けることによって、他の産業に波及効果をもたらすことで経済成長を引き起こそうとするものである。具体的には、石炭・鉄鋼を重点的に増産し、このことが他の産業に波及するように補助金などで支援し効果を狙った。さらに、食糧と肥料・電力、造船・海運など重点的な産業を指定し支援した。片山内閣でもこの政策は引き継がれた。
このように、戦後復興期の第1期(1945年~1962年)は、「傾斜生産方式」(1946年)により、官民一体の石炭増産体制を確立し、終戦直後の荒廃から経済の復興を目指し、次は、朝鮮動乱終結後の石炭不況に対応して石炭産業の合理化を進めながら、石炭を中心にエネルギー供給を行う「炭主油従政策」を維持してきた。
そして、第2の時期が高度成長期(1962年~1972年)で、低廉かつ安定的なエネルギーの供給をエネルギー政策の柱にして、エネルギー供給の中心を石炭から石油へ転換した(「油主炭従政策」)。しかし、これからのエネルギー問題を考える上で忘れてはならない点は、世界全体で使っているエネルギーのうち、約9割は石油や石炭、天然ガス、LPガスといった化石エネルギーであるが、その埋蔵量には限り、その安定供給が確保される必要がある。次に、化石エネルギーの燃焼時には地球温暖化の原因となる二酸化炭素(CO2)やそのほかの酸化ガスが排出され、地球環境への影響が指摘されていることなどから、環境問題に配慮したエネルギーの利用が求められている。ここに来て、石油の値上がりが激しく、物価の値上げが相次いでいる。将来供給量が少なくなるのが確定している原油・石油に代わるエネルギーの開発と普及は前々から叫ばれていたが、費用対効果の面で研究が進まない状況が続いていた。一番いいのは太陽エネルギーであるが、このほか、最近は、「バイオエタノール」が注目されているが、これは、サトウキビやトウモロコシなど植物や廃材を使って作られるエタノール(エチル・アルコール)のことで、環境にもやさしい新型燃料、と言われている。ブラジルではこのエタノールで走る車が全体の15%にものぼる。ガソリンに混ぜて車の燃料としても使え、混ぜる割合が3%以下なら現行の車でもつかえることから、石油の代替エネルギーとして注目を集めている。これは、石油産出国であると同時に大量消費国でもあるアメリカでも、脱石油を推進めのために、積極的に導入する方針を打ち出しているようだ。日本の場合、石油は採れないが、石炭は比較的豊富にあり、この石炭からGTL(gas to liquids;ジーティーエル。)技術によって戦前から人造石油を精製していたことがあることは、先に述べた通りである。GTL技術により精製した石油製品は、無色、無臭で、大気汚染の原因となる硫黄やアロマ分(芳香族)などの不純物をほとんど含まないため、原油由来の製品に較べ、排気ガス中のばい塵や硫黄酸化物などの有害物質が少ないことが特徴であり、環境への負荷が小さい次世代エネルギーとして近年再び注目されているようだ。天然資源の少ない日本としては、活用できるといいだがね~。(戦前の人造石油精製については、以下参考に記載の「シリーズ-GTLの過去と未来〉 第1回 人造石油にかけたドイツ」「第2回 遅すぎた日本の計画 」を参照。)
(画像は、開坑当初の夕張炭鉱/1892年。フリー百科事典Wikipediaより。1912年 、4月と12月に爆発事故。それぞれ死者・行方不明者276人、216人をだす。)
石炭 - Wikipedia
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戦争と石油(6)
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自然エネルギー庁・エネルギー白書・インデックス
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