今日(12月19日)は、20世紀のイタリアを代表する映画俳優であるマルチェロ・マストロヤンニ(Marcello Vincenzo Domenico Mastroianni)の、1996年 の忌日である。
1924年9月28日、イタリア北部の小都市に家具職人の息子として生まれる。幼い頃から映画や、演劇に興味を持ち、13歳頃からエキストラに出演そていたという。第二次世界大戦勃発と同時にイタリア軍兵士として参戦。戦時中は捕虜としてドイツの強制収容所も体験するが、からくも脱出し、終戦後までの間は、イタリア北部のヴェネツィアで隠遁生活を送っていたらしいが、戦後、ローマの夜間大学で建築学を学ぶかたわら、大学の演劇センターに参加し、1947(昭和22)年、23歳のときに、R・フレーダ(Riccardo Freda )監督『レ・ミゼラブル』に端役で出演、その名がクレジットに出る。この頃、無名時代のシルヴァーノ・マンガーノと出会って恋に落ちるが、彼女の『にがい米』への出演で幕切れになったとか。翌年、ローマ大学演劇センターの『アンジェリカ』の舞台でジュリエッタ・マシーナと共演。これがきっかけでイタリアを代表する巨匠ルキノ・ヴィスコンティにその才能を見出され彼の劇団に入り、ヴィスコンティ演出の『お気に召すまま』の舞台に立つ。以後は映画にも出演し、1959年に公開されたフェデリコ・フェリーニ監督の名作『甘い生活』で、ローマの上流階級を舞台に退廃的な生活を送るゴシップ記者を演じ一躍世界的なスターとなった。
その後もフェリーニ作品に頻繁に出演し、「8 1/2」(1963年)や「女の都」(1980年、goo-映画参照)、ローマにある巨大な映画撮影所「チネチッタ」のオープン50周年記念作品の「インテルビスタ」(1987年、goo-映画参照)など、多くの名作を残した。また、同じく多くの映画で典型的なイタリア美女を演じている女優、ソフィア・ローレンとの共演も多く、「バストで勝負」(1955年、(goo-映画参照) やヴィットリオ・デ・シーカ 監督の諷刺コミカルドラマ「昨日・今日・明日」(1963年、goo-映画参照)、「ひまわり」(1970年、goo-映画参照)、ロバート・アルトマン監督のパリ・コレクションを舞台に、デザイナーやカメラマン、モデルなどのファッション業界の人々と、それを取材するファッションマスコミの人々の群像劇を描く「プレタポルテ」(1994年、goo-映画参照)など多数の映画で共演している。その半世紀近い俳優生活の間に出演した映画は160本にのぼるという。1970年「ジェラシー」(goo-映画参照)、1987年「黒い瞳」(goo-映画参照)でカンヌ映画祭男優賞を受賞。他にもゴールデングローブ賞各賞を2回、ヴェネツィア国際映画祭各賞を3回受賞している。出演作品の多くがルキノ・ヴィスコンティやフェデリコ・フェリーニ、ヴィットリオ・デ・シーカ、ミケランジェロ・アントニオーニなどの名監督による作品であり、1960年代のイタリア映画全盛期日本にも多くのイタリア映画が入ってきたが、イタリア国内が政治、経済的に下降線をたどり不安定化した1970年代以降、イタリアの映画もパッタリと低調路線をたどるが、そんな中で、マストロヤンニに関しては、長年の俳優活動において「低迷期」と評される期間が全くないという、映画スターとして稀有な存在であったようだ。
私も、日本で、イタリア映画全盛期にはよく映画を見たがそのなかにソフィア・ローレンとの共演による「昨日・今日・明日」や「ひまわり」などの映画があるが、よくいい役者は、背中で演じることが出来ると言われるが、マストロヤンニもそうであり「ひまわり」など、戦争によって心に傷を負った男の悲哀を渋く演じている。そして、「甘い生活」の新聞記者役に代表されるような、典型的な「イタリア人プレイボーイ」的な役を演じさせたら右に出るものはいないと言われている半面で、2枚目であるにもかかわらず3枚目的な雰囲気を漂わせた、人間味溢れる俳優でもある。そのように、容姿、演技力の両方に恵まれた世界的な人気俳優である彼は、また、多くの浮名を流した人物でもあり、カトリーヌ・ドヌーブやフェイ・ダナウェイなど大女優とのロマンスも有名だが、結婚は生涯で1回のみであった。こういうのを本当のプレイボーイと言うのだろう。恋することと結婚とはきっちりと区別している。その点見上げたもの・・・といえようか?。妻のフローラとの間に一女(バルバラ)をもうけたほか、長年の愛人カトリーヌ・ドヌーヴとの間にも一女(女優のキアラ・マストロヤンニ)をもうけている。
1996年の今日・12月19日にフランス、パリの自宅ですい臓ガンにより72歳で死去。昨・2006年には、没後10年を迎えたことから、そんな、マルチェロ・マストロヤンニについてのドキュメンタリー映画『マルチェロ・マストロヤンニ 甘い追憶』がつくられている。
私はこの作品を見ていないが、この映画では、2人の愛娘バルバラとキアラをはじめ、ヴィスコンティやフェリーニなど30人の映画人がマストロヤンニの魅力を語り、代表作は勿論未公開映像や秘話も盛り込まれ、彼がなぜこれほどまでに世界の人々から愛されたのかが伝わってくるという。カンヌ映画祭でも上映されたそうだ。 以下参照。
マルチェロ・マストロヤンニ 甘い追憶
http://marcello.jp/
(画像は、コレクションの映画チラシ「マルチェロ・マストロヤンニ 甘い追憶」)
イタリア人の一覧 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
マルチェロ・マストロヤンニ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%83%8B
マルチェロ・マストロヤンニ 甘い追憶
http://marcello.jp/
Marcello Mastroianni (マルチェロ・マストロヤンニ) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/3292/
旧い映画を楽しむ。なでしこの棲家..。≪苦い米≫.
http://plaza.rakuten.co.jp/nadeshikosumika/14006
マストロヤンニ自伝 わが映画人生を語る(オンライン書店ピーケーワン)
http://www.bk1.jp/review/0000109671
修道女アンジェリカ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AE%E9%81%93%E5%A5%B3%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%82%AB
1924年9月28日、イタリア北部の小都市に家具職人の息子として生まれる。幼い頃から映画や、演劇に興味を持ち、13歳頃からエキストラに出演そていたという。第二次世界大戦勃発と同時にイタリア軍兵士として参戦。戦時中は捕虜としてドイツの強制収容所も体験するが、からくも脱出し、終戦後までの間は、イタリア北部のヴェネツィアで隠遁生活を送っていたらしいが、戦後、ローマの夜間大学で建築学を学ぶかたわら、大学の演劇センターに参加し、1947(昭和22)年、23歳のときに、R・フレーダ(Riccardo Freda )監督『レ・ミゼラブル』に端役で出演、その名がクレジットに出る。この頃、無名時代のシルヴァーノ・マンガーノと出会って恋に落ちるが、彼女の『にがい米』への出演で幕切れになったとか。翌年、ローマ大学演劇センターの『アンジェリカ』の舞台でジュリエッタ・マシーナと共演。これがきっかけでイタリアを代表する巨匠ルキノ・ヴィスコンティにその才能を見出され彼の劇団に入り、ヴィスコンティ演出の『お気に召すまま』の舞台に立つ。以後は映画にも出演し、1959年に公開されたフェデリコ・フェリーニ監督の名作『甘い生活』で、ローマの上流階級を舞台に退廃的な生活を送るゴシップ記者を演じ一躍世界的なスターとなった。
その後もフェリーニ作品に頻繁に出演し、「8 1/2」(1963年)や「女の都」(1980年、goo-映画参照)、ローマにある巨大な映画撮影所「チネチッタ」のオープン50周年記念作品の「インテルビスタ」(1987年、goo-映画参照)など、多くの名作を残した。また、同じく多くの映画で典型的なイタリア美女を演じている女優、ソフィア・ローレンとの共演も多く、「バストで勝負」(1955年、(goo-映画参照) やヴィットリオ・デ・シーカ 監督の諷刺コミカルドラマ「昨日・今日・明日」(1963年、goo-映画参照)、「ひまわり」(1970年、goo-映画参照)、ロバート・アルトマン監督のパリ・コレクションを舞台に、デザイナーやカメラマン、モデルなどのファッション業界の人々と、それを取材するファッションマスコミの人々の群像劇を描く「プレタポルテ」(1994年、goo-映画参照)など多数の映画で共演している。その半世紀近い俳優生活の間に出演した映画は160本にのぼるという。1970年「ジェラシー」(goo-映画参照)、1987年「黒い瞳」(goo-映画参照)でカンヌ映画祭男優賞を受賞。他にもゴールデングローブ賞各賞を2回、ヴェネツィア国際映画祭各賞を3回受賞している。出演作品の多くがルキノ・ヴィスコンティやフェデリコ・フェリーニ、ヴィットリオ・デ・シーカ、ミケランジェロ・アントニオーニなどの名監督による作品であり、1960年代のイタリア映画全盛期日本にも多くのイタリア映画が入ってきたが、イタリア国内が政治、経済的に下降線をたどり不安定化した1970年代以降、イタリアの映画もパッタリと低調路線をたどるが、そんな中で、マストロヤンニに関しては、長年の俳優活動において「低迷期」と評される期間が全くないという、映画スターとして稀有な存在であったようだ。
私も、日本で、イタリア映画全盛期にはよく映画を見たがそのなかにソフィア・ローレンとの共演による「昨日・今日・明日」や「ひまわり」などの映画があるが、よくいい役者は、背中で演じることが出来ると言われるが、マストロヤンニもそうであり「ひまわり」など、戦争によって心に傷を負った男の悲哀を渋く演じている。そして、「甘い生活」の新聞記者役に代表されるような、典型的な「イタリア人プレイボーイ」的な役を演じさせたら右に出るものはいないと言われている半面で、2枚目であるにもかかわらず3枚目的な雰囲気を漂わせた、人間味溢れる俳優でもある。そのように、容姿、演技力の両方に恵まれた世界的な人気俳優である彼は、また、多くの浮名を流した人物でもあり、カトリーヌ・ドヌーブやフェイ・ダナウェイなど大女優とのロマンスも有名だが、結婚は生涯で1回のみであった。こういうのを本当のプレイボーイと言うのだろう。恋することと結婚とはきっちりと区別している。その点見上げたもの・・・といえようか?。妻のフローラとの間に一女(バルバラ)をもうけたほか、長年の愛人カトリーヌ・ドヌーヴとの間にも一女(女優のキアラ・マストロヤンニ)をもうけている。
1996年の今日・12月19日にフランス、パリの自宅ですい臓ガンにより72歳で死去。昨・2006年には、没後10年を迎えたことから、そんな、マルチェロ・マストロヤンニについてのドキュメンタリー映画『マルチェロ・マストロヤンニ 甘い追憶』がつくられている。
私はこの作品を見ていないが、この映画では、2人の愛娘バルバラとキアラをはじめ、ヴィスコンティやフェリーニなど30人の映画人がマストロヤンニの魅力を語り、代表作は勿論未公開映像や秘話も盛り込まれ、彼がなぜこれほどまでに世界の人々から愛されたのかが伝わってくるという。カンヌ映画祭でも上映されたそうだ。 以下参照。
マルチェロ・マストロヤンニ 甘い追憶
http://marcello.jp/
(画像は、コレクションの映画チラシ「マルチェロ・マストロヤンニ 甘い追憶」)
イタリア人の一覧 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
マルチェロ・マストロヤンニ - Wikipedia
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マルチェロ・マストロヤンニ 甘い追憶
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Marcello Mastroianni (マルチェロ・マストロヤンニ) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/3292/
旧い映画を楽しむ。なでしこの棲家..。≪苦い米≫.
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マストロヤンニ自伝 わが映画人生を語る(オンライン書店ピーケーワン)
http://www.bk1.jp/review/0000109671
修道女アンジェリカ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AE%E9%81%93%E5%A5%B3%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%82%AB