1884(明治17)年の今日( 6月25日)、上野駅で日本鉄道・上野~高崎間の開業式を挙行した。
日本鉄道は、日本初の私鉄であり、現在の東北本線や高崎線、常磐線など、東日本のJRの路線の多くを建設・運営していた会社である。もともと政府では井上勝をはじめとして鉄道は国が敷設して国が保有すべきであるという意見が強かったが、西南戦争の出費などで財政が窮乏してしまったこともあり、民間資本を取り入れて鉄道を敷設することになった。
政府の事業として計画された中山道沿いの鉄道区間のうち、東京~高崎間の測量が開始されたが、財政難から工事は着工されなかった。これに対して、民間資金による鉄道の早期開業を求める動きがあり、1881 (明治14)年 12月 、日本鉄道の設立に結実した。
そして、1882 (明治15)年 6月、高崎線である上野~高崎間のうちの 川口~前橋間から建設を開始し、1883(明治16)年7月28日に上野~熊谷間(61,2km)が日本で初めての私設鉄道として仮営業開始。上野、王子、浦和、上尾、鴻巣、熊谷の6駅も開業した。そして、翌1884(明治17)年5月1日には日本鉄道の路線が高崎まで延伸し、6月25日、 明治天皇臨席のもと、上野駅において上野~高崎間鉄道開業式が挙行 された。
その後、順次路線を増やし、1891年9月1日に現在の東北本線全線(上野~青森間)が開業。その他に、日暮里~岩沼間の常磐線(日本鉄道での路線名は海岸線)や赤羽~品川間の山手線を開業させ、水戸鉄道(現水戸線)・両毛鉄道(現両毛線)を買収した。日本鉄道は、私鉄ではあったが、路線の建設や運営には官設鉄道(国鉄)が関わっており、半官半民の会社であった。以後、山陽鉄道・九州鉄道・北海道炭礦鉄道など同じような私鉄会社が続々と創設され、日本の鉄道は多くが私営で建設されることになる。1906(明治39)年公布の鉄道国有法により、同年11月1日に国有化された。
ふるさとの訛(なまり)なつかし
停車場(ていしやば)の人ごみの中に
そを聴(き)きにゆく
石川 啄木満24歳の時刊行した第一歌集『一握の砂』より。
この三行分けによる散文的なスタイルの短歌は、故郷盛岡の家族と遠く離れて東京で生活をし、苦労の末にやっと、『東京朝日新聞』の校正係となり、函館から家族(妻子と母)が到着し生活するようになるが、1910(明治43)年10月4日、長男真一が誕生、しかし27日には病死する。そんな失意の時の12月に書いたものである。第二章「煙」は「一」と「二」に分かれており、「一」は、盛岡中学校時代の青春の日々を回想する歌であり、「二」は子供時代を過した渋民村望郷の歌である。ここには、冒頭の歌のほか、「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」の歌もある。石川 啄木「一握の砂」(いちあくのすな) 【青空文庫】参照。
冒頭の歌の「停車場」とは、上野駅のことである。上野駅は、東京と行き来する東北地方・北陸地方の人々にとって長らく東京の表玄関の役割を果たして来た。そのために文学や歌謡曲の分野で上野駅を扱った有名な作品が幾つもあるが、 啄木のこの歌は、特に有名である。また、 今年(2007年)1月17日に亡くなられた井沢八郎が歌った『あゝ上野駅』がある。
どこかに故郷の 香りをのせて 入る列車の なつかしさ
上野は俺らの 心の駅だ くじけちゃならない 人生が
あの日ここから 始まった
就職列車に ゆられて着いた 遠いあの夜を 思い出す
上野は俺らの 心の駅だ 配達帰りの 自転車を
とめて聞いてる 国なまり
作詞:関口 義明、作曲:荒井 英一「あゝ上野駅」の曲は以下で聞ける。
井沢八郎・「あゝ上野駅」(おやじの唄)
http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/AhAh_UenoEki.htm
井沢は、1963 (昭和38)年に「男船」でレコードデビュー。翌1964(昭和39)年にリリースした「あゝ上野駅」が、東北地方からの集団就職者の愛唱歌として爆発的にヒットした。
農家の次男以降の子が、中学校や高校を卒業した直後に、都市部の工場などへ集団就職する例は第二次世界大戦前にもあったが、戦後の高度成長期には、臨時の集団就職列車に乗っての大規模な集団就職者が上野駅へやってきた。それらの集団就職列車は1954(昭和29)年に運行が開始され、1975(昭和50)年に運行が終了されるまでの21年間に渡って就職者を送り続けた。就職先は東京が多く、中でも上野駅のホームに降りる場合が多かった。こういった若年の労働者は、将来性が高いという意味と、安い給料で雇えるという意味から金の卵と呼ばれてもてはやされた。1999(平成11)年に使用を停止した後に線路を撤去した上野駅の18番線は、集団就職で「金の卵」ともてはやされた東北地方からの若者を乗せた上京列車の到着ホームであった。「あゝ上野駅」作詞の関口義明は、上野駅で見かけた集団就職の少年たちを題材に詞を書き上げたものであり、当時の情景をよく表している。
丁度この歌が大流行する前の年に、私は、大阪から東京の会社へ転職した。まだ、東海道新幹線が開通する前の年であるため、地元の神戸駅から夜行列車の「銀河」での旅であった。東京へ行ってから、会社仲間に東京の色々なところへ案内して貰ったが、その中に、上野駅もあった。記憶では、陰気で汚い駅といった印象が強かった。そして、駅には、何か妖しげな男達がうろうろしていたが、仲間の者に聞くと、上記のような集団就職者ではなく、単独で家出などをして東京へ出てきたものを待ち構えているのだと言っていた。高度経済成長期に求人をしても人の集まらない中小の業者などに斡旋して金にしたり、女の子などはどこかへ売り飛ばされてしまうのだと言っていた。上野駅は、当時そんな物騒な駅であった。今では、北へ向かう各路線の優等列車と新幹線が発着する東京の「北の玄関口」として栄えている。
2003(平成15)年には上野駅広小路口に「あゝ上野駅」の歌の歌碑が建てられている。(ああ上野駅歌碑)その当時集団就職された方々も、私同様、定年で第二の人生を歩まれていることだろう。
当時、故郷を遠く離れて東京で就職した人たちにとっては忘れられない歌であろう。
(画像は、コレクションの絵葉書より「上野停車場」。賑わいを見せ始めた明治末年頃のものと思われる)
参考:
上野駅 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E9%A7%85
駅の記憶・第02話 上野駅|今、むかし
http://ekitan.com/kioku/ueno/now.shtml
おやじの唄
http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/Frame/JapaneseTraditionalSongs.htm
試聴:井沢八郎 (いざわはちろう)(イザワハチロウ)
http://listen.jp/store/artist_1148651.htm
井沢八郎さん(演歌歌手)が食道がんのため死去(nikkkansports.com)
http://www5.nikkansports.com/general/obituary/2007/20070119-29512.html
高崎線の歴史
http://park2.wakwak.com/~genzo/takasakisen/history/index.html
ときエクスプレス [ときの歴史]-[特急〔とき〕誕生前史(上)]
http://www.fujii7.info/toki-exp/history/history01.html
電子図書館 #石川啄木
http://www.eonet.ne.jp/~log-inn/04chosya_ai.htm#石川啄木
啄木勉強ノート・啄木短歌を楽しむ啄木短歌勉強室
http://www.echna.ne.jp/~archae/tanka.html
銀河 (列車) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E6%B2%B3_(%E5%88%97%E8%BB%8A)
ときエクスプレス [ときの歴史]-[特急〔とき〕誕生前史(上)]
http://www.fujii7.info/toki-exp/history/history01.html
日本鉄道は、日本初の私鉄であり、現在の東北本線や高崎線、常磐線など、東日本のJRの路線の多くを建設・運営していた会社である。もともと政府では井上勝をはじめとして鉄道は国が敷設して国が保有すべきであるという意見が強かったが、西南戦争の出費などで財政が窮乏してしまったこともあり、民間資本を取り入れて鉄道を敷設することになった。
政府の事業として計画された中山道沿いの鉄道区間のうち、東京~高崎間の測量が開始されたが、財政難から工事は着工されなかった。これに対して、民間資金による鉄道の早期開業を求める動きがあり、1881 (明治14)年 12月 、日本鉄道の設立に結実した。
そして、1882 (明治15)年 6月、高崎線である上野~高崎間のうちの 川口~前橋間から建設を開始し、1883(明治16)年7月28日に上野~熊谷間(61,2km)が日本で初めての私設鉄道として仮営業開始。上野、王子、浦和、上尾、鴻巣、熊谷の6駅も開業した。そして、翌1884(明治17)年5月1日には日本鉄道の路線が高崎まで延伸し、6月25日、 明治天皇臨席のもと、上野駅において上野~高崎間鉄道開業式が挙行 された。
その後、順次路線を増やし、1891年9月1日に現在の東北本線全線(上野~青森間)が開業。その他に、日暮里~岩沼間の常磐線(日本鉄道での路線名は海岸線)や赤羽~品川間の山手線を開業させ、水戸鉄道(現水戸線)・両毛鉄道(現両毛線)を買収した。日本鉄道は、私鉄ではあったが、路線の建設や運営には官設鉄道(国鉄)が関わっており、半官半民の会社であった。以後、山陽鉄道・九州鉄道・北海道炭礦鉄道など同じような私鉄会社が続々と創設され、日本の鉄道は多くが私営で建設されることになる。1906(明治39)年公布の鉄道国有法により、同年11月1日に国有化された。
ふるさとの訛(なまり)なつかし
停車場(ていしやば)の人ごみの中に
そを聴(き)きにゆく
石川 啄木満24歳の時刊行した第一歌集『一握の砂』より。
この三行分けによる散文的なスタイルの短歌は、故郷盛岡の家族と遠く離れて東京で生活をし、苦労の末にやっと、『東京朝日新聞』の校正係となり、函館から家族(妻子と母)が到着し生活するようになるが、1910(明治43)年10月4日、長男真一が誕生、しかし27日には病死する。そんな失意の時の12月に書いたものである。第二章「煙」は「一」と「二」に分かれており、「一」は、盛岡中学校時代の青春の日々を回想する歌であり、「二」は子供時代を過した渋民村望郷の歌である。ここには、冒頭の歌のほか、「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」の歌もある。石川 啄木「一握の砂」(いちあくのすな) 【青空文庫】参照。
冒頭の歌の「停車場」とは、上野駅のことである。上野駅は、東京と行き来する東北地方・北陸地方の人々にとって長らく東京の表玄関の役割を果たして来た。そのために文学や歌謡曲の分野で上野駅を扱った有名な作品が幾つもあるが、 啄木のこの歌は、特に有名である。また、 今年(2007年)1月17日に亡くなられた井沢八郎が歌った『あゝ上野駅』がある。
どこかに故郷の 香りをのせて 入る列車の なつかしさ
上野は俺らの 心の駅だ くじけちゃならない 人生が
あの日ここから 始まった
就職列車に ゆられて着いた 遠いあの夜を 思い出す
上野は俺らの 心の駅だ 配達帰りの 自転車を
とめて聞いてる 国なまり
作詞:関口 義明、作曲:荒井 英一「あゝ上野駅」の曲は以下で聞ける。
井沢八郎・「あゝ上野駅」(おやじの唄)
http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/AhAh_UenoEki.htm
井沢は、1963 (昭和38)年に「男船」でレコードデビュー。翌1964(昭和39)年にリリースした「あゝ上野駅」が、東北地方からの集団就職者の愛唱歌として爆発的にヒットした。
農家の次男以降の子が、中学校や高校を卒業した直後に、都市部の工場などへ集団就職する例は第二次世界大戦前にもあったが、戦後の高度成長期には、臨時の集団就職列車に乗っての大規模な集団就職者が上野駅へやってきた。それらの集団就職列車は1954(昭和29)年に運行が開始され、1975(昭和50)年に運行が終了されるまでの21年間に渡って就職者を送り続けた。就職先は東京が多く、中でも上野駅のホームに降りる場合が多かった。こういった若年の労働者は、将来性が高いという意味と、安い給料で雇えるという意味から金の卵と呼ばれてもてはやされた。1999(平成11)年に使用を停止した後に線路を撤去した上野駅の18番線は、集団就職で「金の卵」ともてはやされた東北地方からの若者を乗せた上京列車の到着ホームであった。「あゝ上野駅」作詞の関口義明は、上野駅で見かけた集団就職の少年たちを題材に詞を書き上げたものであり、当時の情景をよく表している。
丁度この歌が大流行する前の年に、私は、大阪から東京の会社へ転職した。まだ、東海道新幹線が開通する前の年であるため、地元の神戸駅から夜行列車の「銀河」での旅であった。東京へ行ってから、会社仲間に東京の色々なところへ案内して貰ったが、その中に、上野駅もあった。記憶では、陰気で汚い駅といった印象が強かった。そして、駅には、何か妖しげな男達がうろうろしていたが、仲間の者に聞くと、上記のような集団就職者ではなく、単独で家出などをして東京へ出てきたものを待ち構えているのだと言っていた。高度経済成長期に求人をしても人の集まらない中小の業者などに斡旋して金にしたり、女の子などはどこかへ売り飛ばされてしまうのだと言っていた。上野駅は、当時そんな物騒な駅であった。今では、北へ向かう各路線の優等列車と新幹線が発着する東京の「北の玄関口」として栄えている。
2003(平成15)年には上野駅広小路口に「あゝ上野駅」の歌の歌碑が建てられている。(ああ上野駅歌碑)その当時集団就職された方々も、私同様、定年で第二の人生を歩まれていることだろう。
当時、故郷を遠く離れて東京で就職した人たちにとっては忘れられない歌であろう。
(画像は、コレクションの絵葉書より「上野停車場」。賑わいを見せ始めた明治末年頃のものと思われる)
参考:
上野駅 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E9%A7%85
駅の記憶・第02話 上野駅|今、むかし
http://ekitan.com/kioku/ueno/now.shtml
おやじの唄
http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/Frame/JapaneseTraditionalSongs.htm
試聴:井沢八郎 (いざわはちろう)(イザワハチロウ)
http://listen.jp/store/artist_1148651.htm
井沢八郎さん(演歌歌手)が食道がんのため死去(nikkkansports.com)
http://www5.nikkansports.com/general/obituary/2007/20070119-29512.html
高崎線の歴史
http://park2.wakwak.com/~genzo/takasakisen/history/index.html
ときエクスプレス [ときの歴史]-[特急〔とき〕誕生前史(上)]
http://www.fujii7.info/toki-exp/history/history01.html
電子図書館 #石川啄木
http://www.eonet.ne.jp/~log-inn/04chosya_ai.htm#石川啄木
啄木勉強ノート・啄木短歌を楽しむ啄木短歌勉強室
http://www.echna.ne.jp/~archae/tanka.html
銀河 (列車) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E6%B2%B3_(%E5%88%97%E8%BB%8A)
ときエクスプレス [ときの歴史]-[特急〔とき〕誕生前史(上)]
http://www.fujii7.info/toki-exp/history/history01.html