確か、9月8日近くの駒繋神社に参詣した。社頭には菅原道真の社訓が掲げられてあり、其処には「未だ嘗て邪は正に勝てず」と書かれてある。たまたま一週間前のこの9月1日、新宿の成子天神社に66年振りに、お参りする機会があった。社前でこの神社訓(生命の言葉)を5枚程戴き、当夜の同門会で、会長と幹事長に差し上げたばかりである。これは私の信念で持論でもある。自宅近くの駒繋神社の社頭にも、全く同様な神社訓-(生命の言葉)が掲げられてあった。吾が意を得たりと、快哉を叫びつつ、この8日にお参りした訳である。
今日9月10日のこの日は、題して「九月十日」菅原道真が京都の清涼殿で、例の有名な [去年今夜持清涼 秋思詩編独断腸 恩師御衣今在此 捧持毎日拝余香] と詠じられた。と、史実には書かれている。それがこの日なのである。神社訓と言い、9月10日と言っても、そこに菅原道真の在りし日を憶い出す縁が、今日であり、濃厚なのである。奇しき縁と言わざるを得ない。私の家の家紋は、梅鉢であり菅原家と同一なので、そのせいか、妙に親しみを禁じ得ないのである。娘の家の至近に長岡天満宮がある。京都へ行く毎にお参りしているが、其処には、「海ならずたたえる水の底までも清き心は月ぞ照らさむ」と詠まれた石碑が建っている。道真が1月25日は、太宰権帥に配流された日である。その配流の西下の途次、今の長岡天神の場所で宿泊、休息し、この歌を詠まれたとされている。由緒深く、顧みて感慨無量である。
今日9月10日のこの日は、題して「九月十日」菅原道真が京都の清涼殿で、例の有名な [去年今夜持清涼 秋思詩編独断腸 恩師御衣今在此 捧持毎日拝余香] と詠じられた。と、史実には書かれている。それがこの日なのである。神社訓と言い、9月10日と言っても、そこに菅原道真の在りし日を憶い出す縁が、今日であり、濃厚なのである。奇しき縁と言わざるを得ない。私の家の家紋は、梅鉢であり菅原家と同一なので、そのせいか、妙に親しみを禁じ得ないのである。娘の家の至近に長岡天満宮がある。京都へ行く毎にお参りしているが、其処には、「海ならずたたえる水の底までも清き心は月ぞ照らさむ」と詠まれた石碑が建っている。道真が1月25日は、太宰権帥に配流された日である。その配流の西下の途次、今の長岡天神の場所で宿泊、休息し、この歌を詠まれたとされている。由緒深く、顧みて感慨無量である。