私のブログは「メイのお散歩–日日是好日である」ーから始まる。唐末五代の禅僧で、韶州の雲門山に住んだので世に雲門禅師と謂れている。「どの日も来る日も明るい心、朗らかな気持ちで暮らして来た、良い日ばかりが続いた」と述懐されている。修養の結果だろうが幸福な名僧である。誰人共に、斯く有りたいと願うのは、人の心での常のであろう。昨日も今日も好天気で、この分だと真夏日になるであろうとの気象庁の予報である。お陰で屋上には薄布団が先程から干してある。
昨夜の夢で、綺麗な花々が咲き誇り、町並みや家々の周囲を、花園の様に囲み乱れて咲いていて、その美しさは限り無しと言うばかりである。その道筋を自転車で学校の事務長と語り乍ら、心も晴れ晴れと町中へ進んでいた。軈て小学校へ着いて広い教室で大勢が待っていたようである。やおら口を開いて皆に語りかけた。愛弟子のK君が丁度居合わせて、講演の合間に合いの手や説明をつけ加えられて、会場も良い雰囲気に盛り上がって、非常に明るく気持ち良く講話が進んだようであった。こんな爽やかで気持ちの良い講演や会話は夢とは言え、初めてであり、幸せそのものであった。夢から覚めて、もう一寸続けて夢見ていたい気持ちであった程である。竜宮城の浦島太郎の心境であったようである。花壇や花園の美しいお花達これが夢で無かったらと、目覚めてしばし思いを巡らすこと一少時間掛かった次第である。