日々是好日

懐かしき過去、期待の未来を希んで!

担当学科の最終の講義が5月の真夏日

2010年05月21日 | Weblog
 責任者としての学科の最終講義の日だ。臨床の経験を生かして教科書の説明に余談を入れて記憶を関連させる為に、その心積りを学生にも伝え、時間が超過しないように工夫して講義して来た。つくずく授業は難しいものだと思う。何故なら学生が果たしてどの程度共感して身に付けたであろうかと言うことである。医療倫理、患者心理、脳死、尊厳死など時代と共に解釈が変移する事もあり得るからである。さあもう一息頑張ろう!
 今日は今年最高の気温で熊谷では30、2度Cで、東京でも28度C真夏日となったのである。講義が終わってから6月の緑樹祭の原稿を書き直してみた。意表を衝いた表現を考えたが、それは駄目と自らに言い聞かせて,妥当な表現に変えた。帰宅して若干疲れが有ったので,夕食後早めに床についた。さあ明日から気分一新また頑張ろう。

ブログの開始から1,411日目、悲憤慷慨、憂国の至情哮る

2010年05月20日 | Weblog
 目覚めてブログを開く。なんと開始から1,411日目と出ている。積もり積もって月日は通り過ぎ行くものかわ!と言う感じだ。夜来の雨が今朝もしとしとと降っている。昔の森羅万象自然は、本当に四季の季節の移リ変わりに伴い、そのままにそれこそ自然に推移し、人はそれに自ずと馴染み順応して、ごく真っ当に、心豊かに自然と共に生活を送っていたものである。従って凡そ70年前の昔の時代(昭和初期)は、人情も細やかで穏やかで社会も平和そのものであった。強盗・殺人などの言葉はなかった。自然破壊で地球も皆狂ってしまったのか、とさえ思えてならない。
 人と人との関係も決して良くは無く、悪逆非道が日常散見されている。自殺者が3万3千人を超えている現状が、社会があれよあれよと手をこまねいているばかりで、国家的根源的な施策や手立てが打てない現状は、本当にどうかしている。科学も社会も学問としての教育、哲学も倫理も本領が発揮出来ず、彷徨うばかりだ!情けない。科学万能が本当に日本社会を蝕んでしまっているとしか言いようが無い。それ以上に、今の政治は最悪で全くいい加減で、出たらめである。正しく人間不信で後退だ!一世一国の救世主出でよ!と、声を大にして叫びたい気持ちである。
 以上、天候不順に因んで、一喝、思い半ばに過ぎるものが大いにある。寝覚めの一言を記して、以て憂国の至情と若干の警世の言葉を綴った次第である.丁度今午前5時40分の、近くのお寺さんの朝の勤行が太鼓の音と共に始まった。そろそろゆっくり寝ることとしよう。

夜来の夢と目覚めた後

2010年05月19日 | Weblog
 些かの腰痛の為、昨夜は早く就寝した。そのせいか早曉夢をみて目覚めた。4行文字熟語が次々に身に降り掛かる、更にそれが持続するので、字引で改めて引き出してその意味を玩味しようと起きたが、深夜中であり、それだけの勇気がなくすぐまた床に就いた。不即不離、以心伝心、一期一会、闊達敢為、脚下照顧、安心立命などなど。睡眠中の夢を見ている中では、考えが視野狭窄を起こし、繰り返しそのことだけを考えそれが募るようだ!起床して考え直せばそれがどうだこうだということでは無い。

日本人と桜と漢詩

2010年05月18日 | Weblog
 桜に因んだ詩歌は多いが、漢詩もまた風雅で朗誦したいものがある。桜花も散り既に青葉若葉の季節入りになっているが、一昨日楠公父子の訣別の事柄を書いたので、今日は旧制中学時代習った吉野懐古を思い出し、記述することにしたい。「古陵の松柏天飇に吼ゆ、山寺春を訪ぬれば春寂寥、眉雪の老僧時に箒を輟め、落花深き処南朝を説く」そう言えば車で家内と一緒に、吉野山を訪ねた折、後醍醐天皇陵に参拝し、具に往時の歴史を懐古した時の心情「芳野懐古」を思い出している。

二宮尊徳の教えと現世

2010年05月17日 | Weblog
 先日購入していた二宮尊徳の一日一善の書、本日改めて読み直してみた。そこには平易な理を、人間倫理として単文に纏め、成る程と思う節が数多く認められる。蓋し人間の倫理実践の本である。昨日は、恩を忘るる勿れ。陰徳あれば陽報ありが一昨日の教え。今日は忠勤を尽くして報徳と思わば忠信に到る、とある。少し難しい教えであるが熟読玩味の意義はある。
 学校に到りて校門脇の一本のねずみ黐が水枯れで萎れ、今にも枯れそうであった。先週金曜日にちゃんとお願いして、葬儀の為やむを得ずそう言って出掛けてしまった筈なのに、やってなかった。やむを得ず如露で4杯ばかり水を掛けてみた。まだ生きているようだから、2~3日水やりを続ければ、大丈夫であろう。朝からなんだか妙によい事をしたような気分になって、植物が生き返る事を切に願っている。植木と共に今日一日きっと元気で頑張れる事であろう。
 さぁ-これから朝礼である。何を喋ろうかと思案中である。昨夜就寝中に数々の事どもを考え付いていたが、今朝起きてみるとそれらは皆忘れ果ててしまっている。思い直しつつ今日これから、一週間の勤務要項を発表することにしよう。夕頃からカリキュラム委員会が予定されている。

楠公父子桜井の駅に訣別の日、街角にはみかんの花の香り

2010年05月16日 | Weblog
 昨日は5.15事件、今日は楠公の分かれの日と、歴史的な事柄が続いた今日の日頃である。昔訪れた京都天王山麓に、父子別れの場所が史蹟として残っている。付近は静かな清水の湧く落ち着いた雰囲気の場所であった。石像の前に佇んで暫し祈りと黙祷を捧げた思い出が、いま甦る。歴史は非情なものである。楠公父子に思いを馳せ、省みて感慨無量である。“桜井の駅の址なる若葉かな!” 陸士の大先輩が書いたこの日の俳句である。
 今朝のメイは、吃驚するほど鞠投げを繰り返し、全力疾走で10数回も実施した。お散歩だけのわんちゃん達を尻目に、“メイちゃん元気ねぇ”と褒められっ放しであった。元気で嬉しい。このところ掻痒症が軽快して体調が回復したらしい。
 お散歩がてら、街角からみかんの花の香りがとても香ばしく匂ってくる。清潔で奇麗で奥床しい香りだ!思わず足を止めて暫し匂いを嗅いでしまう程である。これまたこの季節ならではの香りである。窓を開き放し風通しを良くしつつ、家中の掃除機による大掃除を実施した。掃除後が何とも気持ちが清々しくよいものだ。午後少しく午睡の後、夕傾から外の「流し」周辺のペンキ塗りを実施した。長く腰を曲げて塗装し続けたので、腰を若干痛めてしまったが、今夜十分保護すれば回復するであろう。僅かな痛みでも勤務に差し支えがあっては大変だ!大事にしようと改めて思った次第である。

爽やかな初夏の風に青葉若葉がそよぐ

2010年05月15日 | Weblog
 昨日14日は講義、葬儀、会合と、午後の短時間の間に予定予定外のしごとが集中した。それら3大行事?を次々に丁寧に終了できた今ほっとしている。最後の友人との会合でお酒が入り、昨夜はトイレに行く回数が一寸増えて十分な睡眠ではなかった様な気がした。が、今朝は元気でメイとの散歩も十分にこなした。爽やかな青葉若葉のそよかぜが書斎の窓辺に訪れて気持ちが良い。そんな環境で今ブログを書いているところである。狭い庭の片隅に、セキショウ撫子、かすみ草、ポピーの種をバラまいたが、その内どれだけが芽を出して育つであろうか!楽しみである。伊豆の庭に紫花菜一面に咲いていた、このブログに載せるのを忘れていた。今日思い出してここに掲載した。この色が好きである。

友あり遠方より来る、また愉しからずや

2010年05月14日 | Weblog
 昨夜今日の学校関係者のお通夜の支度をしている最中、久し振りの友人から遠方より電話が入り、明日夕頃会いたいとの由。急ぎスケジールを立て直しをして、明日のお通夜を懇ろに相済ませた後、晩に新宿で会合する事とした。当然晩餐を共にする必要があり、早速行き付けの料亭に部屋の予約と、お料理の内容の選択もし、万般依頼できた。わずか30分間ぐらいの間に急ぎ予定の変更を決意、もてなしのスケジュールが決定できた。忙しかった。何しろ午後9時20分頃の電話で、その時丁度、家内に調髪を依頼、その最中だったから慌てた。でも速戦即決で、円滑に予定が建てられてほっとした。今夜の会合はきっと楽しいものとなろう。何しろ仲の良いドクター同士であり、消息をお互いに気に懸けている居る間柄でもあるからである。
 お通夜も少し早めに出かけて、祭壇に進み出て焼香を済ませて後、ご家族一同に懇ろにご挨拶を致す事も出来た。この点でもホッとしたところである。

5月中旬になっての好天気

2010年05月13日 | Weblog
 久し振りに今日は朝から好天気.湿度30%、気温22度C、メイが又腹部の3カ所に発赤を認めたので、抗生剤入りのステロイドを塗布して、遠路世田谷公園迄散歩した。軟膏の効果を、掻かずに長持ちをさせようとの魂胆からだ!青葉若葉に風薫る公園のベンチに座って、噴水越しに眺めた欅の緑は抜群であった。
 行きずりに3人の人に可愛いですねと!メイは頭を撫でられて、10時帰宅したという次第である。この間往復で5.183歩であった。帰って早速メイは水を良く飲みその後ブラッシングを丁寧に実施、気持ちが良くなったらしい。その後廊下で家内と鞠投げに興じて後に、ゆっくり朝食を摂った。今朝は十分なお通じがついたこともあって、さらによい天気だったので遠出も左程疲れ知らずだったことと思う。皆にとっても健康的で気持ちが良かった。

雨降りとメイの送り迎え

2010年05月12日 | Weblog
 雨降りにはメイの歩並が遅い。億劫なのかも知れない。今朝の公園ではゆっくり歩きながらも、両方の用を済ませて、そそくさと帰宅してしまった。家の中でのボール投げは、いつもの通りで元気だ。5回やって5粒のご褒美が貰えるからかも知れない。
 何時もの習慣か、今朝も出掛ける時にパパの見送りね!と家内が言うと、先回りして玄関から車庫に出る。頭を撫でてやると、道路端のシャッターのところへ行き、そこで桟越しに見送りのポーズで吠える、のが、お決まりの見送り行動である。可愛いものである。そっと黙って出掛けようとしても,様子を察知して、“行ってらっしゃい!”をやるのね!と、家内が言うと、それより先きに足下に纏わり着き、玄関に出てしまう。それが毎朝の“行ってらっしゃい”行事となってしまった。もうかれこれ何年になるであろうか!
 また、帰宅したときの喜びようは一様ではない。廊下寝室居間を猛スピードで往復、走り回り、最後に人形を銜えて見せにくる始末。これも帰宅を迎えるメイの一連の行事だ。全くもって可愛いものである。