本書は沖縄の暴走族などの若者に参与観察したものだが、大きな特徴としては、
著者が自らを「恵まれたボンボン」と自覚し、生まれつき様々な面で恵まれていることを考慮して、
参与観察に当たりパシリとして様ざまなことを引き受け、時には金銭的な負担も押し付けられながらも、
長期にわたり関わり続けたことだろう。
このような研究がこれまであまりなかったのは、研究者やジャーナリストが自らは優秀で
高い教育を受けているので、相手より様々なことを知っている、考えることができる、価値がある
などの優生主義的な価値観から来る理由により、自分の国の貧しい層に関心を持たず、
海外の日本とは大きく違う対象にしか興味を持ったり参与観察しなかったからだろうか。
本書の著者の世代は、恵まれた環境に育ち高い教育を受けていても普通に就職することも
ままならない割合が多かったので、あまり教育を受ける機会もなく就労せざるを得ない若者たちに対して、
自らが生まれつき恵まれていることにある程度の負い目を感じて、
平等な視線で関わった事が本書の背景にあるのだろう。
著者は関わるため調査対象と同じ建設現場で一作業員として働き、きつく危険で賃金の低い仕事をしたのも、
お互いの出身階層が偶然違っていて成育環境や成育歴や、そこから来る様々な能力に違いがあっても、
同じ人間であるという視点を外さなかったことが、長期にわたり研究を続ける基礎となったと思われる。
抽象的な価値観から来る普遍性も大事なのだろうが、そのようなものに説得力が無くなってきた現代に、
このような研究は大きな意義を持つと思われる。
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