愛宕神社へ初詣
仕事初めの日、会社近くの愛宕神社へ初詣に行った。
神社がある愛宕山は標高26M。
東京23区内ではもっとも高い山です。
愛宕神社に上がる石段は「出世の石段」と呼ばれています。
ものすごく急な階段です。
愛宕神社のHPによると↓
江戸三代将軍、家光公が将軍家の菩提寺である芝の増上寺にご参詣のお帰りに、ここ愛宕神社の下を通りました。
折しも春、愛宕山には源平の梅が咲き誇っておりました。
家光公は、その梅を目にされ、
「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」
と命ぜられました。
しかし、この愛宕山の石段はとても急勾配です。まあ、一度いらしゃってみて下さい。歩いてのぼり降りをするのだに、ちょっと勇気が必要なのに、馬でこの石段をのぼって梅を取ってくることなど、とてもできそうにありません。
下手すれば、よくて重傷、悪ければ命を落とします。せっかく江戸の平和の世に、こんなことで命を落としてはたまりません。
家臣たちは、みな一様に下を向いております。
家光公は、みるみる機嫌が悪くなってきます。
もう少したてば、怒りバクハツ!というそのときに、この石段をパカッ、パカッ、パカッとのぼりはじめた者がおりました。
家光公。その者の顔に見覚えがありません。
「あの者は誰だ」
近習の臣に知る者はありません。
「おそれながら」
「おう」
「あの者は四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎(まがき・へいくろう)と申す者でございます」
「そうか。この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれである」
平九郎は見事、山上の梅を手折り、馬にて石段をのぼり降りし、家光公に梅を献上いたしました。
平九郎は家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名は一日にして全国にとどろいたと伝えられております。
この故事にちなみ、愛宕神社正面の坂(男坂)を「出世の石段」と呼び、毎日多くの方が、この男坂の出世の石段を登って神社にお参りにみえております。
■出世の階段
■東京23区で最も高い山との案内板
(愛宕山 海抜26m)
■境内の中にある招き石
犬の形?をした招き石。
頭部とおちんちんの部分を参拝客にナデられテカテカしていた。(笑)
仕事初めの日、会社近くの愛宕神社へ初詣に行った。
神社がある愛宕山は標高26M。
東京23区内ではもっとも高い山です。
愛宕神社に上がる石段は「出世の石段」と呼ばれています。
ものすごく急な階段です。
愛宕神社のHPによると↓
江戸三代将軍、家光公が将軍家の菩提寺である芝の増上寺にご参詣のお帰りに、ここ愛宕神社の下を通りました。
折しも春、愛宕山には源平の梅が咲き誇っておりました。
家光公は、その梅を目にされ、
「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」
と命ぜられました。
しかし、この愛宕山の石段はとても急勾配です。まあ、一度いらしゃってみて下さい。歩いてのぼり降りをするのだに、ちょっと勇気が必要なのに、馬でこの石段をのぼって梅を取ってくることなど、とてもできそうにありません。
下手すれば、よくて重傷、悪ければ命を落とします。せっかく江戸の平和の世に、こんなことで命を落としてはたまりません。
家臣たちは、みな一様に下を向いております。
家光公は、みるみる機嫌が悪くなってきます。
もう少したてば、怒りバクハツ!というそのときに、この石段をパカッ、パカッ、パカッとのぼりはじめた者がおりました。
家光公。その者の顔に見覚えがありません。
「あの者は誰だ」
近習の臣に知る者はありません。
「おそれながら」
「おう」
「あの者は四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎(まがき・へいくろう)と申す者でございます」
「そうか。この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれである」
平九郎は見事、山上の梅を手折り、馬にて石段をのぼり降りし、家光公に梅を献上いたしました。
平九郎は家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名は一日にして全国にとどろいたと伝えられております。
この故事にちなみ、愛宕神社正面の坂(男坂)を「出世の石段」と呼び、毎日多くの方が、この男坂の出世の石段を登って神社にお参りにみえております。
■出世の階段
■東京23区で最も高い山との案内板
(愛宕山 海抜26m)
■境内の中にある招き石
犬の形?をした招き石。
頭部とおちんちんの部分を参拝客にナデられテカテカしていた。(笑)