ガイドさんが門の鍵を閉めるところです。このようにガイドさんは、各家の鍵を持っています。このガイドさんは、名前をなのり、「小李」と呼んでくれと言いました。この集落かどうかは聞き漏らしましたが、この地域の出身者であることは間違いありません。集落の皆さんとも顔見知りです。鍵を持っている位ですから。言葉は、正確な普通話(北京語)です。中国の学校では、皆普通話を使っていますが、教育の成果です。中国語のYesは「対」(dui)ですが、外国人(というより私)は、この綴りに引きずられて「トイ」と言ってしまいますが、彼女は「トゥェイ」とdueiに近い発音をしまして、普通話を話す先生の教えをよく守っているなあと思います。
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2枚目のこの写真は、解放後のコンロと流しです。右側は調理台でしょうか。白いシンクのあるところは、昔はここも竈だったのかもしれません。下に孔が見えます。白いシンクの奥は少し凹んでいますが、ここが流しだったように思います。
この台所の風景は50年前の私の田舎と変わりありません。水道はなく、ポンプで水を汲んでいました。後でモーターに変わりましたが、水道がついたのは私が成人してからでした。また、昔は竈で燃料店で買った薪を燃やしていました。母の実家は農家だったので、藁や籾殻も燃やしていました。調理は、炭によるコンロを使っていました。このコンロはすき焼きの時、まるいちゃぶ台の真ん中に孔があってそこにはめ込んで使っていました。多分、小学生の頃にガスボンベとコンロが入ったのでしょう。関麓の台所は昔を思い起こさせる懐かしい風景です。
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この台所の風景は50年前の私の田舎と変わりありません。水道はなく、ポンプで水を汲んでいました。後でモーターに変わりましたが、水道がついたのは私が成人してからでした。また、昔は竈で燃料店で買った薪を燃やしていました。母の実家は農家だったので、藁や籾殻も燃やしていました。調理は、炭によるコンロを使っていました。このコンロはすき焼きの時、まるいちゃぶ台の真ん中に孔があってそこにはめ込んで使っていました。多分、小学生の頃にガスボンベとコンロが入ったのでしょう。関麓の台所は昔を思い起こさせる懐かしい風景です。
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黄山黟県関麓の民家の内部の続きです。
台所です。この民家には清代の竈、解放後の竈、現代のガスコンロがあります。この写真の一番奥が清代です。調理するのは竈のむこうと側です。薪をくべるのは竈の手前です。四角の孔が薪を入れる口、下の長方形の孔は空気吸い込み口だと思います。竈の右手に煙突が見えます。
ガイドさんに向かって右に見える丸い鍋があるところが、解放後の竈です。竈というよりコンロでしょうか。コークスか石炭を燃やしたのではないかと思います。その右手は流しです。
現代のガスコンロは写真に映っていません。写真の撮り手(私)の後ろにあります。日本にもある小型のプロパンガスボンベと鋳物製のコンロが一つあるだけです。ガスレンジというものではありません。
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台所です。この民家には清代の竈、解放後の竈、現代のガスコンロがあります。この写真の一番奥が清代です。調理するのは竈のむこうと側です。薪をくべるのは竈の手前です。四角の孔が薪を入れる口、下の長方形の孔は空気吸い込み口だと思います。竈の右手に煙突が見えます。
ガイドさんに向かって右に見える丸い鍋があるところが、解放後の竈です。竈というよりコンロでしょうか。コークスか石炭を燃やしたのではないかと思います。その右手は流しです。
現代のガスコンロは写真に映っていません。写真の撮り手(私)の後ろにあります。日本にもある小型のプロパンガスボンベと鋳物製のコンロが一つあるだけです。ガスレンジというものではありません。
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