ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

型式認定の思想的基盤

2024-06-10 11:18:45 | 社会・政治・一般

日本の教育における最大の問題は、思索することの軽視ではないかと思う。

これはある意味、哲学の欠如でもある。困ったことに、必ずしもデメリットばかりではないから困る。現在も続く自動車メーカーに対する型式認定試験における不正も、この問題につながっている。

果たして何のために型式認定はあるのか。もっと言えば、どのような思考のもとで、何が求められ、何が必要なのか。つまり良い製品を作るとは、誰のため、何の目的であるのかが明確である必要がある。

そして、型式認定とはその目的に沿った製品の完成に必要な手段である。型式認定が目的ではない、あくまでそれは良い製品を作る為の手段である。この思考がないと、型式認定は重要視されず、徒に製造現場の技術者の自己満足が優先されてしまう。

その典型例が昨年、一兆円以上の資金が投じられながら失敗に終わった国産旅客MRJではないかと思う。結果からすれば、アメリカの型式認定を取れなかったが故の失敗だとされる。しかし、その原因は決して単純ではない。

私は当初、日本国内の型式認定に拘る官庁側の指導誤りが主な原因ではないかと考えていた。これは失敗を認めない日本の官庁の悪癖もあり、かなり真実性を持っていると思っていた。しかし、その後ちらほらと出てきた情報からすると、そんな単純なものではなかった。

プロジェクトを主導した経済産業省はもちろん、ボーイング社のOBを採用しアメリカ(FAA)の型式認定に適合するように努力した三菱も必死な思いで努力はしていた。しかし、それでも通用しなかった。

実はアメリカのFAAの認証を得られなくても、MRJは空は飛べる。ただ欧米の空を飛ぶことは、安全性が十分でないとされて断られる。実際、シナで作られた旅客機であるC919はFAAの認証を受けていない。シナ国内を飛ぶだけなので不要と判断している。まぁ国内に膨大な航空路線を持つシナだからこそではある。

ボーイング社の元社員を採用してFAAの認証を目指した三菱だが、実は社内ではかなり揉めている。現場のエンジニアたちが従わずに、独自の考えで設計、製造した部品などがかなりの数になっている。三菱重工は技術力の高い企業として知られており、現場のエンジニアたちの影響力はかなり強い。

彼らは日本の役所が求める型式認定には嫌々従っていたようだが、アメリカのFAAの型式認定にはあまり協力的ではなかったらしい。困ったことに、経済産業省自体も西欧に通用する型式認定について、完全に意見統一されていなかったらしい。そこに現場のエンジニアたちの独断が加わり、結果的に一兆円の大プロジェクトは失敗に終わった。

少し整理すると、問題点は数点に絞られる。

1 日本の経済産業省の知識と経験不足。アメリカのFAAの最新の航空機に対する型式認定を完全に理解していなかった。
2 実際に旅客機を作ったことがない癖に、エンジニアのプライドが邪魔してアメリカの最新の技術水準を理解しようとしなかった三菱重工。

実はもう一つある。せっかくボーイング社のOBを採用したが、彼らもまた最新のFAAの考え方を十分理解していなかった。これでは失敗して当然である。実はボーイング社もFAAの型式認定には苦労している。

まっさらな新型旅客機を作ると、必ずFAAと揉めてしまい、それを回避するため旧型機の改良で済ませていた。その典型がボーイング737MAXである、そして航空機事故に詳しい方なら、この機体がしばしばトラブルを引き起こしていることはご存じだと思う。

ここからが日本とアメリカの違いが出る。

ボーイング社はFAAの型式認定に従ったが故に、最新機に無理が生じ、結果的にトラブルが増えたと考えている。要するにFAAのデスクワーカーたちは、最新の製造業の知識が足りないと言い出した。日本ではボーイング社がFAAの生産停止指示に従ったと簡潔に報じている。

しかし、アメリカでは既にFAAの型式認定そのものが時代に即したものかどうかを水面下で議論している。日本の経済産業省及び三菱重工のエンジニアとは製造に関する姿勢がまったく違うのだ。いや、日本の経済産業省内に、現行の型式認定基準に疑いを持ち、その有効性を調べ議論する役人が果たしているのか。

技術力に自信を持つ三菱重工のエンジニアで、FAAの型式認定の内容に異議を訴える気概と見識のある人が果たしていたのか。

日本の産業界は、戦後敗戦の荒野からアメリカを見上げ、アメリカを基準に考え、真似して、改良して良い製品を作ってきた。それは確かにかなりの実績を残した。でも肝心かなめの製造の哲学とも言うべき思索が足りないのではないでしょうか。

実は民間旅客機だけでなく、防衛産業などでこの傾向が非常に強く出ています。いずれ機会をみて取り上げたいと思います。

 

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型式認定

2024-06-05 09:23:33 | 社会・政治・一般

守られるべき形式認定制度が守られていない。

現在、トヨタ、マツダなど5社が国土交通省の立ち入り検査を受けて、慌てて対応に終始している。それを叩くマスコミ様は、まるで鬼の首を取ったように騒ぎ立てる。

あぁ馬鹿らしい。

悪法であっても法は法。守らねばならないことぐらいは分かる。しかし、よく考えて欲しい。形式認定制度を十分に守っていないが故に発生した事故は、どれだけおったのか。あるいは、形式認定制度をも持ってもなお車両の構造的欠陥で消費者が害されたケースはどれだけあったのか。

行政の在り方として、事前指導型と事後対応型がある。日本は長年、厳密な事前対策をすることにより国民を守ってきたとされている。だが、厳密な車検制度を守っていたにも関わらず、車両そのものの欠陥による事故が起きた場合、国はその責任の一部たりとも負ったことがあったのか。

あるとしたのならば、公害による健康被害や、予防接種による健康被害ぐらいではないか。これは因果関係がかなり明白なうえ、裁判での判決があったからこそ賠償が行われたに過ぎない。交通行政においては、ほぼ皆無ではないかと思う。

実例を上げよう。三菱のトラックのタイヤが走行中に外れて、暴走したタイヤにぶつかり母娘が死傷した事故がかつてあった。形式認定制度を守り、車検制度を通過していたにも関わらず起きてしまった事故である。

この時、国(国土交通省)は死傷した母娘の遺族に対して、自分たちは関係ないとの態度を崩さず。自分たちには責任はないと逃げまくった。では一体なんのために形式認定制度や車検制度はあるのか。そう噛み付いたのは、辛口の自動車評論で知られた故・三本和彦氏であった。

それにたいして大手のマスコミ様がやったことは、三本氏を干しただけだ。もちろん誰の意向を汲んだのかは明白だったが、そのことさえ無視したのがマスコミ様だ。おかげで矛盾だらけの車検制度は生き延び、実情に即さない形式認定制度はメーカーに無駄な努力を強いる。

もちろんメリットもあった。先細る退職役人の再雇用先に確固たる天下り先を確保できた政府のお役人様は老後の心配が減った。また国土交通省の記者クラブという出世コースを確保できたマスコミ様も安泰である。

え?消費者の保護、国民の知る権利?

そんなもの役に立ちはしない。大メーカーを叩いて自分たちの偉さを痛感させて、今後も天下り先の席を用意させれば良し。自動車事故と型式認定制度の有効性なんて曖昧な検証は面倒だし、そんな手間暇かけたくない。これが実相だと私は考えています。

ちなみに霞が関でも、行政の在り方を事前対策型から事後対応型へ変えようとの意見はあり、安倍政権の時には水面下で激しいやり取りがありました。しかし安倍氏の死後、若手の優秀な官僚を集めた官邸主導型の政治は姿を消し、変わって岸田のように役人の言う事は良く聞く政治にすり替わっています。

私は自動車業界とは無縁ですが、それでも税務、会計の世界で事前に提出せねばならぬ書類の多さから、相も変らぬ事前指導型が息を吹き返していることを実感しています。悪法であっても法は法。それが分かっているので仕方なく・・・ですけどね。

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情報統制自主規制

2024-06-04 13:05:15 | 社会・政治・一般

5月最終週は体調が著しく悪く、風邪に加えて小学生の時以来の結膜炎にまで罹患する始末であった。

だから週末も家にこもって安静に勤め体調回復を目指していた。さすがに暇なので、寝っ転がってのネット視聴で時間を潰すことが多かった。そんな最中の5月31日に日本テレビが、原作者を死に追いやった「セクシー田中さん」事件についての調査報告書を発表した。

正直結果は分かっていた。普通ならば弁護士等を入れての第三者委員会による調査なのだが、日本テレビは社内で調査委員会を立ち上げた。子供のいじめ問題と同様に、内々で調査をしたふりをしてやり過ごそうとしていることが見え見えである。

調査内容はほぼ予測通りで論じるに値しない。要はいちいち原作者の意向に沿った変更など時間的、物理的には出来ないといった言い訳をご丁寧に書いているだけだ。

私が驚いたのは、日本テレビ以外の大手マスコミ各社の報道姿勢で、これまた呆れるほどの金太郎あめ。臭い物に蓋をするが如く、当たらず触らずの簡便な転載記事が大半であり、一部マスコミ退職者のコメントで多少色を添えた程度のものであった。

私は漫画のアニメーション化についてフジTVやテレ東京などは比較的良心的だと思っていますが、やはり過去を遡ればひどいものも少なくない。明日は我が身との想いが報道を抑え気味にしてしまうのだろうと思います。

それにしても気になるのが、原作軽視の風潮。小説だとここまでひどくないと思いますが、漫画が原作となると改編当たり前で、原作者の意向など騒音としか思っていない。漫画をネタにして自分たちが映像化しやすく変えてしまうのは朝飯前。ひどい場合、スポンサーと出演タレントが第一でシナリオ変更は当然だとの傲慢さ。

それでいて日テレなんざオリジナルの脚本でドラマを作る能力は無くなっている。このぬるま湯に安住したいが故に、今回の調査報告書で幕切れにしたいとの思いが切々と匂ってくる醜悪な文章でしたね。

以前から書いてますけど、一人の漫画家を自殺に追いやった主犯たる番組プロデューサーは未だ表に出ず、当然に謝罪もない。まぁ自分が悪いとは思っておらず、むしろ被害者ぶっていることは既に知られてしまっている。

日本のテレビが次第に衰退していくのは必然かもしれません。実際、私はほとんど視てませんから。

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緩衝地帯

2024-05-30 09:20:16 | 社会・政治・一般

I Shall Return と捨て台詞を残してフィリピンから逃げ出したダグラス・マッカーサーは意気揚々と日本列島の厚木基地に降り立った。

彼は邪悪な侵略者たる大日本帝国を完全に潰すつもりであった。政治、役所、学校と至る所にアメリカ式の民主主義の仮面を被った独善を刷り込むつもりであった。侍の国・ニッポンから闘争心という牙を抜き、大人しくアンクル・トムの指図に従う子羊を育成するつもりあった。

アメリカでは大統領が替われば政治も社会も大きく変わる。それが当然なので、その感覚で日本列島の新たな支配者として、あるいは歴史に名を遺す変革者として自信満々であった。ところが朝鮮半島の北部のソ連の衛星国家である北コリアが突如として南に侵略してきた。

マッカーサーは軍人である。すぐに朝鮮半島に敵性国家があると、自分が管理している日本列島が危うくなることに気が付いた。大急ぎで本国へ報告して朝鮮半島への出兵許可をもらったが、途中で気が付かざるを得なかった。

邪悪な侵略者たる大日本帝国が半島に侵略を図ったのも同じではないか、と。

マッカーサーは悩んだが、結局背に腹は代えられないと知り、極東軍事裁判で有罪にした戦争犯罪人のうち生存しているものを釈放して日本列島及び米軍基地を警備するための軍隊の創設を命じた。さすがに軍事裁判の有罪判決の取り消しまでは命じなかったあたりが、軍人たる彼の限界だろう。

その後、参戦してきた共産シナ軍の人海戦術に怯えたマッカーサーは、中国本土への核攻撃をアメリカ本国に上申して、それはやり過ぎだと断られた挙句に本国へ帰国させられた。だが、それ以降、アメリカ軍の日本弱体化計画は大幅に緩和され経済再建と並び日本軍の拡大に方針転換した。

ちなみに南北に分断された半島の南部は、軍事政権にする以外統治方法がなく、経済再建の土台もなく、自らの統治能力も著しく低かったため仕方なく過干渉を承知の上で大幅な支援をしてなんとか自立させた。

この北に親ソ連、新共産シナ政権を置き、南に西側の政権を置くことで極東地域を安定させることが出来たため、同じ民族でありながら統一されることなく、それぞれ別個の国家として分断されたままの悲劇の民族としてコリアは我慢を強いられた。

統一されたドイツとは異なり、冷戦構造が維持されたアジアでは朝鮮半島は両陣営の緩衝地帯として役立ったため、コリア以外は誰も統一を望まぬ哀れな状況が今も続いている。西側諸国の支援で大きく経済発展を遂げた南コリアが次第におかしくなってきた。

元々儒教の影響により身の丈に合わぬ中華思想に染まった半島人である。いくら自らの優秀さをアピールしても、誰もそれを真に受けてくれない。仕方ないので隣の経済大国をこき下ろして肥大した自尊心を満足させようとしているが、アメリカの下っ端扱いされるのは耐えがたい屈辱だ。

そこで思いついたのが世界のバランサーたる南コリアだ。アメリカ、シナ、ロシアといった大国の間で調整役を務める重要な国家、それが南コリアだと前任の大統領あたりが言い出した。言うのは自由だが、誰もそれを真に受けてくれない。

そんないら立ちを唯一理解したふりをしてくれたのがシナだ。シナへの輸出や工場進出により大きな経済的利益を獲得できた。だが狡猾なシナはその間に技術を盗み、市場を分捕り、気が付いたら対シナ貿易は赤字となっていた。それでも笑顔で友好国家だと持ち上げてくれるシナとの関係は切りたくない。

米中の対立が顕在化した以上、本来南コリアのとるべき立場はアメリカ側なのだが、冷戦の最前線であった時期とは異なり、もはや二流国家としての扱いでしかない。それに比してシナはまだまだ南コリアのプライドをくすぐってくれる。

ここで再び大国の間で活躍する調整役(バランサー)としての南コリアという幻想が脳裏を占めてしまった。私の知る限り、コリアが大国間で調整役として認められて実績を残したことはないのですが、夢の世界で舞い上がる彼らには事実なんて知ったことではないのでしょう。

まぁ我が国にも日本は中立国家たるべしと本気で憂うる平和馬鹿ちゃんがいますから、あまり他人のことは笑えません。

ただ最近の南コリアの醜態をみていると、真の意味で緩衝役となっているのは、むしろ北コリアの方ではないかと思えるほどです。アメリカは本質的に独裁国家を嫌うので、北コリアとの親善は期待薄です。もちろんサウジのように資源や金を持っていれば別ですが、核ミサイルだけでは役不足。

それでもロシアであろうとシナであろうと他国からの干渉は断固として跳ね除けたい覚悟は、南コリアの比ではない。私には大陸との緩衝役は北で十分ではないかと、ついつい考えてしまいます。南は同じ西側先進国側といっても、それでは満足できない夢見がちな幼稚なところがあるので、まったく信用できません。

もちろん北も信用なんて出来ませんが、大陸との間で無言の抵抗者役を演じてくれるのは確かだと思うのです。まぁアメリカは絶対認めない気がしますけどね。

 

 

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教師を守るは我々ぞ

2024-05-29 13:15:34 | 社会・政治・一般

先生は聖職なんだぁ~との叫び声が聞こえてきそうだ。

横浜のある裁判所で教師と生徒との間での性わいせつ行為に関する裁判が行われた。現在までの計11回の裁判が行われたのだが、驚くべきはその裁判の傍聴席が、横浜市教育委員会のメンバー及び教職員で占められていたことだ。

この件に関して横浜市教育委員会は、理由について「不特定多数の人が傍聴することでプライバシーが守られないことが懸念される。被害者の保護者や弁護士から『不特定多数の人に聞かれないよう多くの職員に席を埋めてほしい』という趣旨の要請があり、思いをくみ取った」としています。

馬鹿なの?本当におバカなの?

では、教職員以外の人が加害者でわいせつ事件を起こした場合の裁判はどうなるの。馬鹿言うのもいい加減にして欲しい。通常この手の被害者のプライバシーが傷つけられるような裁判では、裁判所側も配慮しているのは常識。特に今回のような未成年の場合、顔などが特定されないように特別な配慮をすることが普通だ。

つまり、横浜市教育委員会としては加害者たる教職員を守るために、敢えて50人を超すメンバーを動員して傍聴席に一般の方を入れたくなかっただけだろう。なにせ傍聴した教職員には出張手当が支払われる始末。また第三者には教職員同志だと分からないよう、互いに声をかけないなどの指示が文章で配布されていたことも判明している。

このことを異常に思わない人たちが学校で教鞭を取っているというのだから恐ろしい。教育員会にとって守るべきは教師であって、その教師の性欲の毒牙にかかった児童ではないことがよく分る。私からすると教師は聖職ではなく性食にしか思えませんけどね。

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