ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

ネタあかし

2012-09-28 13:35:00 | 日記
私は仕事柄、守秘義務に縛られている。

知っていても、知らないふりをしなければいけないことは少なくない。また、知っていながら何も出来ずにいることも多々ある。出来るのに、何もせずにいることは、相当な心理的葛藤を伴う。

それでも云わない、話さない、何もしない。守秘義務は信頼の礎であり、その確かさを信じてくれるからこそ得られた情報である以上、断固守らねばならぬ。

ただ、守秘義務の範囲は、意外と線引きが難しい。私の仕事の場合、交流が広いので、殊更どこまでが守秘義務の範囲なのか迷うこともある。たとえば顧問先の社長さんと飲んでいて、たまたま同じ店で出会い、同じテーブルに誘い、飲み交わしたAさんという人がいたとする。

このAさんから得られた情報は、果たして守秘義務の範疇なのか。

悩ましい部分もあるのだが、やはり守秘義務の範疇だと私は考える。何故なら、そのAさんが話してくれた情報は、あくまで知人である社長さんが同席したからであり、その社長の連れである私が好き勝手喋れば、社長の信用が喪われる。

やはり沈黙は金と、肝に銘じるべきなのだ。

だから、私はこのブログに記事を書く際にも、極力その守秘義務を意識して書く。その情報を出してくれた人が、このブログを読んでも自分が情報源だとは分からないぐらいに設定を変えてしまう。

おかげで、今まで苦情等を受けたことはない。だからといって油断は出来ないので、極力仕事上で得られた情報の扱いには神経を注ぐようにしている。

そんな私にとって極めて有用なのが、研修や講演で聞き及んだ情報だ。ここで得られた情報は、特殊な場合を除けば概ね公表されたものなので、ブログのネタに使いやすい。ただ、単純に使っても分かりづらいので、ドラマよろしく脚本仕立てにして、書くようにしている。

実際、このブログで書いた税金絡みの話の大半の元ネタは、研修会で学んだ事例集や、講演で聞いた雑談などがほとんどだ。ただ、一ひねり加えてあるので、講演者が読んでも自分が元ネタだと分からないぐらいに変えてある場合もある。

ただし、例外というか本来というべきなのか。私がたまに書く怪談話と登山の話はほとんど実体験に基づくものばかり。というか、こればっかりは生々しすぎて、そのとおりに書くしかない。

毎年、夏場の時期は比較的仕事が暇なので、もっぱら研修など外部での学習に充てるようにしている。今年もいろいろとネタを仕込めた。自分なりに勉強して、もう少し裏をとったら例年のように、このブログの記事に上げようと思っています。

ただ、いささか専門的に過ぎる、あるいは枝葉末節というか我々専門家には興味が尽きぬことでも、一般的には理解も共感も得られぬネタが多かったのが今年の特徴でした。抜本的な改革が、なにひとつ出来なかった民主党政権下での税制なんて、そんな程度なのかもしれません。

だから、ちょっと悩んでいます。こんな細かいネタ、記事にしても面白いのかな?

実を言えば、民主党政権下では税制に限らず、いろいろと細かい改正は頻繁に出ています。しかも年一回ではなく、いささか時期外れの時期に公表されている。参院で与野党逆転しているせいもあるようですが、どうも実務がやりづらい。

ちょっと油断していると、いつのまにやら書式が変わっていたりする。そうなると、行政側も民間も二度手間となり、無駄な時間だけが増える。政治がだらしないと、庶民は苦労するばかり。困ったものです。

衆議院解散総選挙を望む人は多いと思いますが、私は任期ギリギリまで解散しないのではないかと疑っています。はずれて欲しいのですがねぇ。
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外堀は埋まったか?!

2012-09-27 12:16:00 | 経済・金融・税制
物事には必ず良い面と悪い面がある。

今年は昨年以上の不況ではないかと感じる。その原因の一つに政府の無為無策がある。とにかく、今の民主党政権は内向きで、国民の暮らしぶりに対する関心がまるでない。野田首相ばかりでなく多くの閣僚が霞が関の方ばかり向いていて、国民生活の実態から目を背けている。

もはや選挙では勝ち目なしと諦めているのか、多数派に目を背けて、従来から自分たちを熱心に支持していた依怙地な少数派(反原発、反米軍基地)に媚び売ることで、糊口をしのぐつもりらしい。

霞が関(官僚)は相変わらず、お役所村の秩序維持にしか目がいかず、下々のことなど気にもとめない。もちろん、地方自治体は悲鳴を上げているので、霞が関詣ではしているのだが、昔と違い官官接待がなくなったので、エリートさんたちには耳が痛い情報が伝わっていない。

何度か書いているが、明るい会議室で下級職にある者が、上級職にある者に対してその仕事の瑕疵を口に出来るわけがない。昔なら酒の席で、やんわりとそのあたりを指摘してご理解いただく知恵があった。だが飲食を伴う接待なんか必要ない、との浅薄なお利口さんたちが夜の情報交換を禁じてしまった為、下々の本音は霞が関には伝わらない。

だから霞が関の頭のいいはずのエリートさんたちが打ち出す政策の多くが、空振り続き。東北関連の復興予算でさえ、この秋の段階で一兆円以上余っているというのだjから、信じがたい非効率ぶりだ。

これは現場の本当のニーズを取り込めなかったが故の失態なのだが、主導すべき政治の不在が根幹にあるため、その責任を官僚だけに押し付ける気はない。今の政治家、これは民主、自民を問わず、本当に現場に行かない。

かつて田中角栄が派閥の末端議員にまで厳しく命じたドブ板選挙の伝統は、既に廃れてしまったのだろうか。自ら足を運ばずして、有権者の本音が引き出せると思っているのだろうか。だとしたら傲慢甚だしいし、国民の本音が分からないのも当然だと言える。

ところで、私は今年は昨年以上に不況だと冒頭で書いた。その根拠は、市中にお金が十分に回っていないことを実感しているからに他ならない。

その原因は日銀が、相変わらずデフレ政策を継続しているからだ。景気が冷え込んでいる時に、財政緊縮政策をやっているのだから、不況は必然の結果に他ならない。夏前に、日銀の新しい政策委員に、脱デフレが持論の新人を送り込んだようだが、結果をみれば相変わらずのデフレ政策維持である。

私に言わせれば、脱デフレは白川・日銀総裁が二期目を狙って、口先だけで唱えただけに過ぎず、本音はデフレ政策の維持なのだろう。そのことは、今年の円ドル相場を見れば一目瞭然なのだ。

民主党政権は、円高に苦しむ企業なんかに興味はないし、実質賃金の目減りに苦しむ国民にも興味はない。興味があるのは、反対者が多数の人権救済法案であったり、熱烈な少数派の主張する脱・原発政策ぐらいなものだ。

日銀の白川は、そのあたりを見越して、口先だけの脱デフレで誤魔化すつもりだったのだろう。幸い、日経や朝日など主要マスメディアは、記者クラブを通じて上手くコントロールできているので、世論は無視できると踏んでいたはずだ。

しかし、そうは問屋が卸さなかった。

今年も欧州の金融危機は、未だ危険水域にあることに変わりはなく、アメリカでも景気回復の足取りは鈍い。大量のユーロ紙幣、ドル紙幣を刷ってきた欧米は、日本だけが緊縮策を堅守しているがゆえに苛立ちを隠せなくなった。

世界経済を牽引してきたシナ経済にも陰りが見える以上、日本に景気拡大を迫らざるを得なくなってきたからだ。そうなると、デフレ政策を頑なに守ろうとしている白川・日銀が邪魔であることは明らかだ。

慌てた白川は、10億ドル規模の資金注入を言い出したが、この程度ではデフレ解消にはほど遠い。官僚的な「追加策の小出し」は国際的には通用しない現実を認められないらしい。実際、日銀が小出し、小出しの追加策をやるたびに円は高くなっている。誰かいい加減、その事実を日銀につきつけてやれよ。

国際金融市場は、既に白川・日銀総裁にイエローカードを突きつけたと私は思う。日銀の記者クラブで懐柔されている腰抜け記者たちは、さすがに其処までは書けない。だから外堀は埋められたなどと、他人行儀な記事で誤魔化している。

だが、そろそろ本気で白川の後任探しが始まっているとみるべきではないか。私は期待を込めて、そう願っている。

もし日銀が本気でデフレ政策からインフレ政策への舵を切れば、おそらく円相場は一ドル90円台はおろか100円もありうる。図体がでかいだけのメガバンクや、上っ面だけのIT企業では、日本経済を牽引できない。やはり輸出で稼ぐ自動車、家電などの製造業こそが主軸だと私は考えている。

ただし、物事には良い面、悪い面がある。デフレ政策は不自然なまでに円の価値を押し上げてしまった。そのために輸出企業は辛酸をなめたわけだが、その反面輸入する原材料、石油、天然ガスなどの価格を抑制していたのも事実だ。

忘れてもらっては困るのだが、石油等の化石燃料は世界的になだらかに高騰を続けている。この傾向は長期的なもので、輸出で稼いでいるはずの韓国やシナの国内経済が不振なのは、生活費を直撃している輸入原材料の高騰が大きな原因だ。

ここ最近の反日暴動(デモでは甘いと思う)の根底には、生活が苦しい人々の不満があると思う。反日という狼煙は、自国政府に対する不安を誤魔化すのに最適の手法であることは、シナにおいて今も昔も変わっていない。

同じことが日本にも起きる可能性は高い。ただでさえデフレ不況の苦しむ日本に、生活費の高騰を招く円安は極端な排外主義や民族主義を生み出す元凶になりかねない。これを防ぐには、円安を景気上昇につなげて雇用回復と実質賃金増加に結び付けることこそ理想なのだ。

民主党のように金をただばら撒くだけの景気対策、雇用対策は誤魔化しにすぎない。やはり仕事の機会を増やし、働いて金を稼いで生活を安定させることこそ王道だと思う。

そうなると、今の民主党政権及び白川・日銀には出来ないことは明らかだ。私としては一刻も早く総選挙を行い、実務型の政権樹立を待ち望んで止みません。
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軍事帝国中国の最終目的 杉山徹宗

2012-09-26 12:53:00 | 

期待と予測は違うべきだ。

シナのことになると、なぜか将来は分裂するとの予測を述べる識者は多い。これは日本だけでなく欧米にも散見する。たしかにシナの歴史を顧みれば、急成長と拡大の後、地方に軍閥などが出来て中央政権の云うことを聴かずに事実上の分裂状態を招いたことが何度もある。

あるいはシナの民が蛮族と馬鹿にしていたチベット、モンゴル、ツングース、ウィグルなどの異民族の侵略を受けて、シナの大地が分裂統治されたこともある。五胡十六国時代などが典型だ。古来より侵略を招きやすい国柄だともいえる。

つまりシナの大地は、侵略と支配、分裂と統一を繰り返してきた歴史を持つ。それが当たり前の感覚としてシナの民には脳裏に深く刻まれている。

だからこそ、シナを統一させた政府は、まず第一に軍事的優位に立つことを至上の命題と肝に銘じる。それは現在の中国共産党の一党独裁の下で統治されている中華人民共和国でも変わらない。

ところでシナは分裂するだろうか。

私の考えでは、当分分裂することはないと思う。中央政府(北京)の指示に従わいたくない地方政府は、けっこう多いようだし、面従腹背で臨んでいるようにもみえる。しかし、正面切って堂々逆らう地方政府は、現在のところ存在しない。

実のところ、シナの外的状況は決して芳しくない。膨大な国境線でもって対峙するロシアとは、表面上は友好状態にある。しかし、お互い宿敵であることを自覚した上での笑顔の握手なので、空いている手には常にナイフを隠し持つ間柄だ。

実際、経済力を背景に平和的進出をシベリア地方に繰り返すシナには、ロシアは警戒を隠すことは出来ずにいる。シナはシナで、最新の兵装を備えた部隊を中露国境近くに配置し続けている。油断なんて出来やしない。

更に中央アジアには、イスラム系の異民族が数多く存在し、シナにとっては悩みの種以外のなにものでもない。ウィグル人に対する人道無視の拷問的抑圧は、シナ政府が如何に彼らを恐れているかの証しでもある。

そしてチベット、背後にいるインドとの関係も含めて、シナにとっては最も気の抜けない問題でもある。日本人は忘れているが、チベットは五胡十六国の時代から常にシナの宿敵であり、何度も中原の地を侵略され支配されている。

シナ政府はパキスタンを軍事支援することで牽制しているインドは、シナに匹敵する人口大国であり、その潜在的経済力は無視できない。インドとシナは、今もかなりの緊張状態にあり、かなりの兵力を割いて警戒に当たっているのが実情だ。

更にミャンマー、ラオス、ヴェトナムとの関係も気が抜けない。経済こそ華僑たちが握っているが、アメリカをはじめとした西側諸国が着々と進出しており、友好的衛星国とは言いかねる。

そして北朝鮮と韓国。表題の本でも触れられているが、北京政府は絶対に韓国主導での南北統一を認める気はない。歴代のシナ帝国がいずれも難治の地として苦労した朝鮮半島に、友好、敵対を問わず大きな勢力が産まれる事を望むほど、シナ人は暢気ではない。

しかも、東北部には一千万人を超す朝鮮族がいて、彼らを抑えておくためにも統一コリアの実現は望ましくない。北にシナの傀儡政権が出来て、その主導での統一ならともかく、韓国主導の統一なんぞ絶対認めないだろう。

要するにシナの周囲は敵対性国家ばかり。そんな状況下で分裂を望むシナ人なんているわけない。まとまっていなければ、いつ攻め込まれるか分からない。そんな不安を抱えているが故にシナは統一国家であり続ける。

では、シナ人が安心して眠れる日は来るのか。

ある。それがシナの周辺国家が北京政府の支配下に置かれ、少なくても太平洋の西半分がシナの支配下にあり、シナの主張が世界の正義として通用する社会が到来する日だ。そうなってこそ、初めてシナは安心できる。世界に冠たる大中華帝国の成立である。

シナの平和こそが、世界の平和。それがシナ人の世界観。

表題の書は、そんなシナ帝国が如何に軍事力を駆使して、シナ人のための平和を実現するために、如何に努力を重ねているかを記している。いささか、シナ嫌いが甚だしすぎる気もするが、日本のマスコミが報道したがらない事実を上手くまとめているので参考になると思います。

ただね、分裂待望論はともかく、レーザー兵器だの宇宙防衛システムの構築などを語らなければ、もう少し評価は高いのですがねぇ。ちょっと冷静さを欠くと思います。

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ファインディング ニモ

2012-09-25 12:01:00 | 映画

やっぱり映画は劇場で観るに限る。

そう痛感したのが、今回3Dにリメイクされただけの「ファインディング・ニモ」だった。数年前に大ヒットした作品だったが、私は劇場には行かず、レンタルDVDを借りて家で観た。

子供向けの作品ではあったが、その映像表現も含めて十二分に面白いといえる映画であった。だから、結構覚えていた。今回は、たまたま付き合いで観る羽目に陥ったので、あまり積極的に観たいと思っていた訳ではない。

ただ、暑さから逃れて薄暗い劇場内で仮眠でもとれたらぐらいの軽い気持ちであったのは確かだ。ところが、2時間あまり私は結構真剣にスクリーンに見入ってしまった。

3Dにリメイクされたとのことだったが、その3Dは控えめで、むしろ自然な感じが好印象なのだが、上映中はそれほど気にもしなかった。やっぱり作品として面白いからこそ、二時間あまり見入ってしまった。

映画館の広大なスクリーンだからこそ、海の広がりが表現できているし、細かいところの映像技術もたいしたものだ。だが、なによりストーリーとシナリオが素晴らしい。だからこそ、大人の私も楽しめたのだと思う。

公開後、数日たっていたが、思いの外観客は多く、その大半が当初の2D版(当時、そんな表現はしなかったけどさ)を観ていると思われたが、皆さんけっこう楽しんでいたことが良く分かる。

だって、本編が終わっても、劇場が明るくなるまで、ほとんどの観客が席を立たなかったから。

下手な続編を見せられるよりも、よっぽど楽しめた2時間でしたよ。やっぱり映画って映画館で観るのがいいな。

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恐るべきさぬきうどん 麺通団

2012-09-24 11:42:00 | 

なに、この美味しさは・・・

ビックリしてしまうほど美味しいウドンであった。食いしん坊ではあるが、美食家には程遠い私が、今でも忘れがたく覚えているのが、高松駅の構内の立ち食いウドンだた。

あれは大学3年の時、現役部員として最後の合宿である長期の春合宿を三パーティーに分かれて四国を縦断するつもりだった。私のパーティーは、宇和島から宿毛を抜けて足摺岬まで170キロ余りを踏破する計画であった。

東京駅を夜行列車で発ち、明け方に当時2年生のYの実家のある姫路駅で豪華なお弁当の差し入れを戴き、腹いっぱい食べて、数時間後には連絡船で高松に着いた。ここで三コースに分かれ、我々は宇和島行の列車を待つ時間を持て余していた。

空腹ならば、ちょっと駅を抜け出して散策に行くのだが、なにせ満腹状態で動く気になれなかった。ところが一年生のNは、もう既に胃袋に隙間が出来たらしく、立ち食いのソバでも食べてきますと待合室を出て行った。

しばらくして、興奮した様子でNが戻ってきた。「ウドン、もの凄く美味いです。信じられません~!!!」と騒ぐ。そいえば、高松は讃岐うどんの本場だったと思いだした。まぁ、ウドン一杯ぐらいならいけるかと思い、Kと一緒に食べに行くことにした。

高松駅構内にある、なんでもない只のウドン屋である。ただ、香りが上品に思えた。

よく西はウドン、東はソバというが、私はあまり意識したことはない。近所にソバ屋もうどん屋もあったし、小腹が空いた時には食べに行くこともあった。正直言えば、ソバもウドンもそれほど好きではない。

不味いとは思わなかったが、あの出汁の匂いが鼻について嫌だった。味の素だか、ホンだしだか知らないが、化学調味料で香りだけを強調した出汁は、匂いがあまり好きになれなかった。ちなみに食べてる時には、それほど気にならない。

気になるのは、エレベーターの中とか、電車の中で漂ってくる出汁の匂いだ。あまりにきつすぎて、私は不快に思っていた。これは今でも変わらない。朝の通勤ラッシュの電車に、今さっき立ち食いソバを食べてきたばかりのサラリーマンがいると、10メートル離れていてもすぐ分かる。そのくらい、きつい匂いだと思う。

食べるものに好き嫌いが、ほとんどない私だが、あの出汁の匂いだけは好きになれなかった。だからこそ、高松駅の立ち食いウドン屋から漂ってくる、薄くてあっさりした感じのする出汁の匂いに驚いた。

そして、いざ目の前に出されたウドンに驚いた。なんだ、この薄味で透明感さえ感じる汁は。これが、いわゆる関西風という奴なのか。ウドンの麺も、さらっとして、つるりと呑み込めるくせに、しっかりとコシがあって好感が持てた。

これが私が食べた初めての関西版、いや、本場のうどんの味であった。空腹状態ならまだしも、ほぼ胃袋8割がた埋まっている状態で、美味しいと感じさせるのだからたいしたものだ。

四国には三週間あまり滞在した。さすがに合宿中はダメだったが、その後は可能な限り食べ歩きをして楽しんだ。一日一回はかならずウドンを食べていた。東京というか関東風のウドンだったら毎日は無理だろう。

その後、神戸、大阪と食べ歩いたが、美味であると同時に安価なのに感心した。ただ、さすがに最後のほうになると東京の味が懐かしくなったのは確かだ。でも、帰京してから、ウドンを食べたいとは思わなくなった。

ソバなら関東風の濃い味付けで構わないが、ウドンは関西風のほうが美味いと思う。例外はカレーウドンぐらいなものだ。残念なことに、当時の東京には身近なところに関西風のウドンを出す店はなかった。

その後、しばらく病に伏せたため、外食自体を手控えるようになったため、更に関西風ウドンから遠ざかった。やがて病が癒えて社会復帰する頃には、関西系のウドン店が東京にも進出してきて、あの薄口の出汁のウドンを食べることが出来るようになった。今じゃセルフ式のうどん屋も珍しくないほどだ。

まぁ、美味いことは美味い。でも、初めて食べた時ほどの感動はない。やっぱり本場、高松へ行くしかないかな。その際、表題の本がどれだけガイドブックの役割を果たすのか、地図がしょぼいのでいささか不安。

それでも一点同意できたのは、本当の讃岐ウドンはゆで上げた後、冷水でしめたもの、ってところでしょうかね。私もそのほうがウドンは美味いと思うのでね。

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