ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

政治献金

2024-01-31 09:38:15 | 社会・政治・一般

手ぶらで会える訳がない。

同時に、多少お金を包めば直に政治家に会える政治家主催のパーティーはありがたい。

政治家の力を侮ってはいけません。馬鹿タレント出身であろうと、単なるお飾りであろうと数は力です。票を集めた結果を出した政治家様には、霞が関のエリート官僚でさえ内心はいざ知らず敬意を払うもの。

なんといっても議会での予算、法案成立は与党国会議員の一人一人の票こそがものをいう。だからこそ、政治家に直接会ってこちらの意向を伝えることが重要なのです。しかし、議員は忙しいので、なかなか個別には会ってもらえない。

だからこそ政治資金集めのためのパーティーに金を投じて、目当ての政治家にアピールする。そして、その実績を背景に個別での面談を求めてこちらの意向を伝える。すると、政治家も無下に断ることはしてこない。

実際、政治家を動かして法令の改正や、行政の運用に変化を加えることは民主主義の王道である。少しでも早く、また真剣に応じてもらうためにも政治献金は必要不可欠だ。

この当たり前のことが分からない人がけっこう居る。社会の木鐸を旗頭に、厚かましく取材と称して政治家にまとわりつくマスコミがその典型だ。また口先だけの正論が有権者に評価してもらえず、政治活動資金に汲々としている野党政治家も分かっていない。自分は正しいのだから、その正しさを主張するのに政治献金は不要だと思っているらしい。

もっと言えば、日本人には政治家は清廉潔白であるべきだとの錯覚がある。はい、間違いなく錯覚です。霞を食って生きていける仙人様と勘違いしている。

どんなに取り繕うと、政治家とは権力者であり、権力には富と力が必然的に集まるものです。歴史を振り返ってみることです。日々の生活に四苦八苦している名政治家がいましたか?自分の生活でさえ潤せない政治家に、国民を幸せにすることができますか?

特に民主主義は欲望の正当化という性格を持ちます。最も多くの人が望む欲望を実現することこそが民主主義の要です。云わば欲望の実現の代理人が政治家なのです。お金に疎い人に務まる仕事ではありません。

実際、理想の政治を掲げた民主党政権時代、彼らは自分たちが長年望んでいた政治を実現するためにこそ奮闘しましたが、有権者が望んだ政治には関心を寄せませんでした。だからこそ民主党政権は悪夢の時代として記憶に残っています。

現在、ここ近年与党政権を牛耳ってきた安倍派に対する攻撃材料として、政治家のパーティ収入と、そのキックバックがやり玉に挙がっています。あれは、明らかに政治資金規正法に反するものだから批難されて当然です。

しかし、政治にお金は必要だし、バラック小屋に住んでいる清廉な政治家なんて信用できません。仙人を求めている訳ではなく、現実に官僚と議会を動かせる政治家こそ求めているのです。確かに金儲けに囚われている欲深き政治家も実在すると思います。それを規制することは必要なこと。

なにごともほどほどが一番。私としては政治家に会える機会があるのなら、主に税制面で言いたいことは数多ある。しかし、手ぶらで会いに行くほど厚顔無恥にはなれません。だから合法的な政治献金はありがたい。

実際には税理士政治連盟に参加して、寄付などの形で税制面での要望を主要な政治家に伝える程度ですが、なにもせずに口先だけで政治批判をしても意味はないと考えています。

ただし、人は欲望に負けやすい。政治献金を私的に流用する政治家は与野党問わず必ずいるでしょう。政治資金規正法に則った収支報告書に記載のない献金(今回のキックバックを含む)は政治家個人の所得として課税すればよい。そうなると追徴税額が所得税、住民税、社会保険等に響くので、政治家は嫌がるでしょうけど本来はそうすべきものだと思いますよ。

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四川飯店

2024-01-30 09:18:03 | グルメ

年末のことだが、知人と久しぶりに四川飯店に行った。

昨年お亡くなりになった「中華の鉄人」こと陳健一氏がオーナーを務めていたお店である。赤坂店にいったのだが、年末とはいえコロナ禍もひと段落したせいか、8割がた埋まっていた。

正直言えば私は辛いものが苦手である。だから本格的な麻婆豆腐はいささか苦手である。だが、四川飯店の麻婆豆腐は日本人向けに辛さを弱めてあるので、私でも十分美味しく頂ける。

でも私の本命は炒飯である。もしかしたら陳さんは嫌がるかもしれないけど、ここの炒飯は美味しい。私の師匠のS先生は中国料理のコックさんの腕前は炒飯で分かるとの持論をお持ちであった。これって結構合っていると思う。

どんなにマスコミが美味しいで宣伝しても、実際に行ってみて炒飯の美味しくない店は他の料理もイマイチの事が多かった。私は家でも炒飯を作るが、火力が足らないのか店で頂けるようなパラッとして、かつさっぱりと食べられるような味にはどうしてもならない。

その点、四川飯店は赤坂店でも日本橋店でも美味しい炒飯が頂ける。もちろん、それだけでは悪いので点心などを幾つか頼んで楽しんでいた。多忙を極める陳健一氏にお店でお会いしたことはないが、きっとしっかりと指導していたのだと思う。

昨年、その訃報を聞いてから早めに店を訪れたいと思っていたのです。年末ギリギリになってしまいましたが、美味しい中華でしたよ。

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追憶売ります フィリップ・K・ディック

2024-01-29 09:29:14 | 

売れれば正義。

それが資本主義社会の鉄則である。どんなに原作が優れていても、売れなければ意味がない。いや、そこそこ売れたはずだ。なにせ高校生の私が覚えていたくらいだから。でも本当に売れたのは映画化された方だ。世界的な大ヒット作品であり、二回も映画化されたほどである。

ただし二度目の映画化は原作に忠実ながらイマイチだったと思う。でもA・シュワルツェネッガーが主演した一作目は間違いなく傑作だった。映画館での興行成績も素晴らしいが、ヴィデオの販売数、TVでの再放送数も立派なものだ。

それでも原作とは違う。でも面白かった。それが気に食わない。エンターテインメントとしては映画化された第一作のほうが優れている。特撮技術も今となっては稚拙なものだが、当時は衝撃の映像として話題になった。

もっとも私とて原作を読んだのは高校生の時であり、気に食わないと感じる根本的な原因が自分でもよく分かっていなかった。多分古本屋で安く買った本であることは覚えていたが、どんな本だか思い出せなかった。

そこで改めて調べてみたら早川書房のベストセレクションのなかの短編だった。記憶に強く残っていたので、まさか短編だとは思わなかった。そして四十数年ぶりに再読してみて、私が何を気に入らないのかが分かった。

主人公の設定が違いすぎる。

原作では会計士の男性が主人公なのだが、この作品の映画化に熱心だったA・シュワルツェネッガーが自分に合わせて肉体労働者にしてしまったのだ。そのためアクションシーンが映画では楽しめるが、原作の記憶の改変の部分がぼやけてしまった。

ちなみにリメイクされた二作目は、原作の設定に忠実なのだが、一作目と比較されるとどうしても地味になってしまう。だから映画評としては凡作とされている。原作の雰囲気を大事にしているのは、間違いなくリメイク版なのですがね。

しかし、圧倒的に売れたのは1作目なのです。こうなると、原作を文字通り力業でSFアクションに変えてしまったシュワルツェネッガーが正しかったのか。私としては、いささか悩ましいですね。まぁ機会があったら原作も読んで欲しいと思います。

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静かすぎる

2024-01-26 09:11:01 | 日記

沢登りという登山形態は日本独特のものだそうだ。

普通、山に登る場合尾根沿いに登るのが王道なのだが、緩やかな沢ならば沢沿いに登り詰めて、最後は急斜面をじくざぐに登る山道もある。ただ降雨量の多い日本だと、沢沿いの山道はどうしても崩落の可能性が高い。だったら沢を直接遡行すればいいじゃないか。

実際、高校生の頃に丹沢は塔ノ岳から下る際、豪雨のなかを沢沿いに無理やり降りたことがある。思い出すのは、やたらとツルツルと滑って、半ば泥だらけになって下着の中にまで泥が入り込んだことだ。雨のなか沢沿いに下る愚かしさは、しっかりと脳裏に刻まれたものだ。しかし、暑い夏場に沢を登っていくのは爽快だ。

高校を卒業して大学受験浪人中に、高校WV部のコーチだったA先輩に誘われて、山梨の沢を遡行したことがある。A先輩の車で青梅街道をクネクネと走り、山梨県側に入り小一時間ほどで目的の沢に辿り付いた。車を置いて地下足袋を履いた上に草鞋を履く。これが当時一番沢登りに向いたスタイルであった。

夏だったので冷たい沢水が気持ちよく、難所は巻いてすいすいと登り詰めた。藪漕ぎはせずに途中から稜線の道にトラバースして、そのまま稜線を下り車のところに戻るつもりであった。しかし、稜線を一本間違えたようで、見知らぬ場所に降りてしまった。

ただ幸い沢伝に歩道らしき山道があり、いったん休憩して二万五千図で現在地を確認したところ、稜線を巻くよりもそのまま青梅街道まで出て、歩いて車を置いた場所に行くのが近道だと分かった。

既に3時を過ぎていたので、コンロでお湯を沸かして甘味でも食べようかと思ったが、A先輩がさっさと行こうと急かす。リーダーの言なので、内心の不満を隠しつつ歩きだした。一時間もかからずに車の場所に戻ったのだが、A先輩の様子が変だった。

車のトランクに荷物を入れ、着替えているとA先輩がなにやら両手を合わせてお祈りをしているではないか。同行したTと顔を合わせて、何だろと不審に思っていたら、A先輩に「おい、お前らもお祈りをしておけ」と命じられた。

何じゃらほいと思ったが、まぁ体育会系の本能で先輩の言う事は絶対だと思って従う。ところで、どこに向かってお祈りをしたらよいのか分からない。とにかくA先輩の真似をして、取り敢えずお祈りのポーズをした。

そのあと皆で車に乗ってA先輩の運転で帰京するのだが、あの狭くてクネクネした道を飛ばす飛ばす。まるで何かに追い掛けられているのかと思ったが、A先輩の真剣な様子に黙り込まざるを得なかった。

まだ日が沈まぬうちに都内に入り、そこでようやくファミレスに車を止めて空腹を満たすことになった。少し早めの夕食を食べ、ドリンクバーで珈琲を入れて席に戻ると、A先輩が「お前たち、何も感じなかったのか?」と呆れ気味で問われた。

なにせお化けレーダー未搭載の私とTである。なんのこっちゃいと思ったが、A先輩は真剣だった。なんでも稜線から見知らぬ沢沿いの小道に降りた時、異様なほどの寒気を感じたそうだ。その寒気はしばらく続き、車を運転している時でさえも感じられ、都内に入った頃にようやく落ち着いたという。

私もTもお化け音痴というか霊感皆無なので、さっぱり分からなかった。ただ、こんな時に茶化したり、笑い話で誤魔化すべきではないことぐらいは知っていた。「先輩は感性が鋭いのですねェ」と返して、話題を切り替えようとしたことだけは覚えている。

あれから30年以上経ったが、最近になってようやく原因が分かった気がする。

日本にあるオカルトスポットとして有名な場所の一つに「おいらん橋」がある。その名前を聞いた時、私はてっきり関西の方かと思ったが、実は山梨県であった。なんでも金山で有名な武田の領地で、その金山の在りかを隠すため、橋の上で女性たちを踊らせて、観客もろともその橋を切り落として殺した場所らしい。

よくよく調べてみたら、私たちが沢登りをした後、下った場所の沢の近くではないか。霊感の強い人は近寄るのさえ嫌がる怖い場所だそうだ。

全然気がつかなかった・・・ただ、改めて思い返してみると、あのあたり虫の気配がしなかった。あの時期だと蝉の声がうるさいほどが普通なのだが、何故だかあのあたりは静かだったように思う。

ちなみに青梅街道は旧道として閉鎖され、今は直線の多い走りやすい道となっているので、わざわざ旧道を行くことは今後ないと思います。別に今更興味がある訳ではないのですが、なんか思い出してしまったもので書いた次第。

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軍事協力

2024-01-25 09:27:22 | 社会・政治・一般

戦後の日本の最大の欠陥は軍事知識の欠如だと思う。

その最たるものが、平和=戦争がないこと。すなわち戦争を起こす道具=兵器がなければ戦争は起きないと思い込める暗愚さだ。人類が国家を造るようになって以降、平和を保つためにこそ適切な軍備が必要なのが常識であった。

これは日本に限らず、世界中で通用する常識であったのだが、第二次世界大戦後の日本では、アメリカ軍が日本の国防を代替することで、かつての仇敵である日本を封じ込めた副作用として、おかしな平和幻想がまかり通るようになってしまった。

日本を非武装国家として利用するつもりであったアメリカも、朝鮮戦争の時には再軍備を日本に推奨する羽目になり、当初の非武装国家戦略は破綻した。ただしアメリカは日本軍をアメリカ軍の補助兵力として活用するつもりであったため、日本の軍隊はかなりいびつな形で存在している。

なにせ陸軍はソ連の日本列島侵略を防ぐためであり、海軍は潜水艦と護衛艦中心でアメリカ軍第七艦隊を守る為、そして空軍は在日本米軍基地を防衛するための存在である。そのために日本の軍隊が保有する敵味方判別装置はアメリカ軍が提供するブラックボックスとなっている。私が自衛隊をアメリカ軍護衛隊と揶揄する所以である。

だが湾岸戦争以来、国連決議があれば日本は海外に軍隊を派遣できるようになっている。法令上で明文化されていないのが怖いが、第二次世界大戦を軍事統制の失敗だと適切に反省していないツケである。幸い、これはアメリカの暗黙の了解の上での行為なので、なぜだが霞が関も永田町も実効性のある反対はしていない。

この先例に味を占めたアメリカ軍は、今後国連の名のもとに日本軍の海外活用を推し進めたいのだろう。そして、そこで終わらないのがアメリカの怖いところだ。一応、日本は武器の輸出を禁じている。ただし、これはアメリカのような同盟国には適用されなくなっている。しかも、いつのまにやらである。

脳内お花畑の平和原理主義者がこの意味を理解していないのは、ある意味当然である。しかし、ある程度の知識があるはずの新聞やTV局が兵站の協力が立派な軍事行為であることを理解していないのは困る。間違いなく今の日本はアメリカの軍事協力国である。

だが軍事同盟を締結しているアメリカ相手なら、まだ致し方ないと理解できる。次期国産戦闘機とされるF3のイギリス、イタリアとの共同開発もまぁ理解の範囲内だ。しかし、台湾はどうだろうか。

日本の平和に真剣に関心がある方なら分かると思うが、実は昨年台湾が新型潜水艦を建造した。実はこれが台湾初の国産潜水艦なのだ。通常型、すなわちディーゼルエンジンとリチウム電池との併用型であり、基準排水量は3千トンを超える巨艦である。

軍事用潜水艦を製造できる国はそう多くない。断言するが、過去に一隻も潜水艦を製造したことのない国だとライセンス生産でさえ難しいはずだ。実際ライセンス生産の経験がある某半島国家は、未だにまともに運用できる潜水艦を作れずにいる。

今回台湾で建造された潜水艦には欧米の非公式な支援があることは公表されている。特に武装管制システムはアメリカである。何故だが、この点をもって日本よりも高性能だと報道した記事を見かけたが、アメリカが最新装備を提供することはなく、常に型落ちの装備を輸出することを知らない人の書いた記事だろう。

また潜水艦用のディーゼルエンジンは特許の塊であり、どの国のものを使ったのかは不明だが、おそらく日本だと思われる。日本のマスコミ報道では、台湾の潜水艦建造に日本政府は消極的だとされている。しかし、日本において自衛隊用の潜水艦を建造している三菱重工と川崎重工の退職した社員たちが台湾を訪れていることが一部専門誌が報じている。おそらくそれが真実だと思われる。

何故なら通常型大型潜水艦を運用しているのは日本ぐらいであり、ロシアもドイツもあまり上手く運用できていない。ましてや大型潜水艦用のリチウム電池ともなると日本のメーカーだけが成功しているのが実情だ。小型艦や中型艦ならばあるのですけどね。

日本政府が公式には消極的だと報じられているのは、共産シナが反発するからだ。ちなみに某半島国家が設計図を盗まれたと騒いでいたが、彼らが実現できなかったX舵を台湾は採用しているので、せいぜい参考にした程度だと思う。むしろ日本の大鯨型に似ているのだが、日本はまったく騒いでいない。

つまりは、そういうことなのだろう。

で、軍事的同盟を締結している訳でもない国に、機密事項の塊である潜水艦の建造を協力したと推測される日本の立場をどう考えたら良いのだろうか。実はもう答えは出ている。麻生・元首相が発言したように「台湾有事は日本有事」、これが答えだと考えてよいはずだ。少なくても日本政府は内心そう考えているし、アメリカもそれを黙認している。

このあたり、秘密事項ばかりだから正解が公にされることはないと思う。でも、アメリカの考えは想像がつく。すなわち台湾有事の際には、まず日本が単独で動き(多分、国連は役に立たない)、その日本を支援する形でアメリカ軍が動く。そんな流れではないかと想像しています。

もっとも日本は人道的支援を名目に動いて、共産シナの攻撃を受けて被害が生じて初めて自衛隊が動く形をとると思います。で、憲法9条はどうなるの、なし崩しで現実追認するの?

日華事変の頃とまるで変わらぬことに、ある種の絶望感と諦念を感じてしまいますね。まぁアメリカがコントロールしてくれるでしょうけどね。

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