ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

悪戯

2021-07-30 11:55:00 | 日記
私の事務所に置いてある冷蔵庫は、けっこうな年代ものだ。

先代のS先生の頃から使っているから、間違いなく30年は経っている。でも、別段性能が落ちている訳でもないし、第一ジュースやお茶ぐらいしか置かないので、買い替える気もない。

ただ、古いタイプだけに製氷室が氷結してしまう。そのため、一定期間ごとに解凍するのだが、そのたびごとに凍った水を捨てる作業が必要になる。

別にたいした手間ではないが、私は時々この板状に氷結したやつを男子トイレの小用便器に残置してしまう。

知らん顔して立ち去るが、この後が面白い。

少し時間が経ってから見にいくと、ほぼ間違いなく皆様方、この板状の氷めがけて用をたしている。おかげで真ん中に穴が開いている。この雑居ビルには、現在日本人のみならず、フランス人やイギリス人がいるのだが、どうもやることは同じみたいだ。

おかげで、あっという間に氷は解けてしまう。

他愛無い悪戯であるが、やるたびにニヤついてしまう。どうも、男って幾つになってもガキンチョの心を忘れないらしいぞ。
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ウクライナ

2021-07-29 11:50:00 | 社会・政治・一般
私がウクライナに興味を持ったのは、好きなピアニストの一人であるホロビッチの出身地だからだ。

もっとも、その頃はソ連の南方にある自治共和国程度の認識に過ぎなかった。昔はキエフ公国であったことは、世界史の授業で習っていたが、その程度の認識であった。

その後、税理士事務所のスタッフとして働き出して、売上制のホステスさんの確定申告を担当になった時のことである。その一人にAさんがいた。私よりもずっと年配の女性であったが、落ち着きのある方で、若い頃は銀座でも働いていたが、ノルマの少ない新宿に流れてきたと言っていた。

ちなみに売上制のホステスとは、店に雇用契約で給与制で働くホステスとは異なり、自分の売上から店に一定の手数料を払う、いわば派遣型というか、半独立自営で稼いでいる。だから、年末調整ではなく、確定申告で税金の申告をする関係で、うちの事務所に依頼している訳だ。

Aさんは落ち着いた雰囲気が素敵な人だったが、けっこう人気があり、一か所の席に落ち着くことは稀だった。そのため、ヘルプとして若いホステスを使って場を持たせるようにしていた。

その時、ヘルプに付いたのはロシア人の女性二人であった。抜けるような白い肌の長身の美人であった。Aさんが「ロシアから来たマリアとアーニャです」と紹介してくれたが、マリアはすぐに「いえ、ウクライナから来ました」と訂正した。

戸惑うAさんと、もう一人のロシア人の女性との奇妙な緊張感が不思議だった。後でAさんに訊くと、普段は凄く仲が良く、いつも二人一緒に行動するが、マリアはロシア出身と云われるのを嫌がるようで、アーニャはこのことに関しては顔を背けて知らんふりだそうだ。

当時、ソ連邦は解体されて、各地の共和国が独立していたので、民族感情に火が付いたとの報道は本当なのだと私は理解した。ただ、この二人をみても分るように、相当に込み入った複雑な事情がある。

ウクライナがロシア文化圏の一員であることは確かだが、必ずしも親ロシアではない。もちろん大勢力であるロシアとの友好的な関係を重視する穏健派が多数だが、どうしても反感を持たざるを得ない事情がある。

それが「クリミア半島の領有」問題だ。

ロシア南部にある黒海に突きだしたクリミア半島の先端には、セバストャ褐R港がある。ここはロシアにとって貴重な不凍港であり、直轄領として支配している。これがウクライナの民にとって、きわめて不快な問題となっている。

ロシアとウクライナは兄弟のような関係にあるが、ロシアの飛び地として領有されるクリミア半島は、咽喉に突き刺さった小骨のように、両者の友好にチクチクと不快感を与える。

ウクライナ同様にロシアとは兄弟のような関係にあるベラルーシ(白ロシア)には、そのような問題は少ないため、余計にウクライナとロシアの緊張関係が目立ってしまう。

ここに目を付けたのがアメリカとEUである。なんとかウクライナを西側に付けようと、あれこれ画策している。しかし、大ロシアはそれを断固許せない。ウクライナに対して天然ガスの供給を止めたり、軍事演習を国境近くで行ったりして恫喝にかかっている。

豊かな穀倉地帯と、高度な工業力を持つウクライナは、ロシアにイイとこ取りをされてきたこともあり、西側からの援助を断ろうとしない。それがロシアには許せない。

以前、北コリアの有する弾道ミサイルや核兵器は、ウクライナから流出した可能性が高いと書いたが、その背後にいるのがロシア軍を解雇されたウクライナの軍人たちである。

彼らはマフィアとも呼ばれているが、PMCを作ったりして、戦争関連事業に積極的だ。西側とも裏でつながっていると噂されている。総合格闘技の世界でも、ウクライナ出身の選手の活躍ぶりは有名である。

かつての東欧諸国とは微妙に違うが、ロシアとは一線を画そうとするウクライナの存在は、21世紀のヨーロッパにおける最大の導火線だとも云われている。この国の動向には、もう少し注意を払う必要があると私は考えております。
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PCの修理

2021-07-28 11:58:00 | 日記
パソコンが私たちの生活に入ってきてから20年以上となる。

実のところ、けっこう故障するのがパソコンであろう。故障の原因はいろいろあるのだろうが、問題は修理である。仕事で使うPCだと、私の場合某O商会にお任せなので、あまり困ったことはない。

問題は家で私用に使っているPCの修理である。過去、3回ほど製造元へ送り、修理を依頼したことがあるが、その結果は満足のいくものではなかった。

まず時間(二週間かかった)がかかり過ぎる。またコスト(2万から3万)に見合った結果ではなかった。そのくせ、やたらとサインする書面が多く、よく読むと、データー紛失を警戒するものばかりである。

バカらしい。

要は直すよりも買い替えろということなのだと、私は理解した。ちなみに予想はつくと思うが、修理に出したのはWIN―ME、WINーVISTAである。ハズレだとの評判は相当だと思っている。

修理について愚痴っていたら、知人から秋葉原のPCショップを教えてもらった。その日のうちに直してくれるが、データー等の保証は皆無なので、バックアップだけは自分で取って置くように助言された。

そこで、リュックにノートPCを詰めて秋葉原に行ってみた。教えられた店は、外国人観光客用のお土産屋さんであった。ちなみにオーナーは台湾人で、店員は台湾の人と、パキスタンの人が半々であった。

店頭に並ぶ商品は、外国人がイメージする日本的な土産物ばかりで、正直その微妙な可笑しさに笑ってしまう。いや、正直、これを日本土産として認識されるの、ちょっと嫌なんですけど・・・

本当にここかよ?と思いつつ、地下1階に行ってみると中古から新品までPCが並んでいた。珍しい英語版のWINDOWSもある。そこで、片言の日本語を話すパキスタンのお兄ちゃんに相談すると、2時間あればなんとかするとの話。

俄かには信じがたいが、任せてみる。二時間ほど秋葉原の電気街をうろうろして、少し食べてから再び店に戻る。驚いたことに、直っていた。メーカーに修理に出しても、完全には直らなかった奴なのに、である。

データーは飛んだみたいだが、それは事前に聞いてあったので大丈夫。それよりも快適にサクサク動いてくれるほが嬉しかった。

はっきりと断言するが、某NECや某東芝へ送った時よりも格段に良くなっていた。日本の大手家電メーカーの失墜も当然だと思っている。あれ以来、私は自宅のPC関連用品の修理は、ここでやっていた。

現在、自宅で使っているWIN10は快調で、修理の必要を感じていないので、この店にも行かなくなっていた。ところが、先日ある人にこの店を紹介しようと思ってグーグルビューで調べたら、なんとシャッターが降りていて閉店していた。

考えてみたら、コロナ禍のせいで外国人観光客が激減しているのだから、ある意味閉店は当然なのだろう。仕方ないことではあるが納得できる。しかし、今後、PCの修理はどうしよう?

困ったなぁ。
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プロレスってさ シゴキについて

2021-07-27 11:33:00 | スポーツ
人間、誰しも裏表はあると思う。

実際、私自身にも日頃、人前では見せない裏の顔はある。ただし、知っている人は少数だがいるし、それでも人並みの付き合いはあるので、多分容認されているのだろうと思う。

これまでけっこうなプロレスラーの記事を書いてきたが、書きながらもいささか躊躇うこともある。どう判断すべきか明らかでなく、明白な証拠がある訳でもない。

ただ、証言や噂が多過ぎて、ある程度事実だろうと推測せざるを得ない。そう考えるのは、人には裏表があること、それが当人の人格構成上、必要もしくは必然であることが多いからだ。

前回、新日本プロレスの若手道場のシゴキの鬼軍曹として知られた山本小鉄について書いた。散々、若手をシゴキ抜きながらも、その若手から慕われた稀有な人である。

そう、稀有なのです。そうでない人も確実に居たことも確かです。

その代表とも云って良いのが佐々木健介でしょう。プロレスラーとしての健介に、私はプロレス・ファンとして文句はありません。しかし、道場の指導役としての健介の悪評には眉を顰めざるを得ない。

現在はプロレスを離れ、元女子プロレスラーとして著名な北斗昌の旦那さんとしてTVなどに出演していることが多い。鬼嫁として知られる北斗さんのにシバかれながらも笑顔を絶やさない好漢も、佐々木健介の一面なのだと思います。

しかし、プロレスを離れる時も、引退興行さえ打ってもらえないほどに、プロレス関係者からの評判は悪い。その最大の原因は、道場での若手への理不尽なシゴキなのです。

元々プロレスのシゴキは、大相撲の世界でいう可愛がりを引き継いだものであり、必要悪としてプロレス関係者から容認されているものです。私も子供の頃に、その道場でのシゴキの一端を目にしています。

マジで震えるほどの迫力あるシゴキであり、見学しているだけなのに、こちらが痛くなるような錯覚を覚えたものです。この厳しいシゴキに耐えきれず、逃げ出してしまう若手はかなりの数にのぼるそうです。

つまりプロレスラーとしてリングに上がることが出来るのは、その過酷なシゴキを耐え抜いた猛者ばかり。またそのような強者でなければ、鍛え上げられた者だけにしか許されぬ過酷な格闘演技は無理でしょう。

その意味で、シゴキは必要悪です。しかし、健介のシゴキは度を過ぎたと言われています。元関取の安田忠夫などは、今でも健介を憎んでいるそうですし、IWGPのチャンプにまで登り詰めた真壁刀義は口にするのも嫌がります。

そして致命的であったのは、健介が道場の管理者であった頃、新日本プロレスの練習生であった外人レスラーの一人、クリス・ベノアの自伝でした。そこでベノアは、健介が練習で危ない技を仕鰍ッて若手を殺していると書いているのです。

これは実際に起こった事故として報道もされています。練習中の事故だとして片づけられていますが、当時の若手レスラーから健介が忌み嫌われているせいか、擁護する意見は稀でした。

たしか警察の検死もあったので、公式に健介が罪に問われたことはありません。ただ、それにしては、他のプロレスラーからの評判が悪すぎる。プロレスの試合中の事故死は、三澤を始め数件ありますが、技を仕鰍ッた側がこれほどまでに業界関係者から嫌われるケースを私は知りません。

私自身は意味のない、あるいは理不尽なシゴキは大嫌いです。ただし、厳しさの必要性は認めているので、それが本来の目的に適合するのならば、シゴキと云えども容認しています。

実際大学WV部での上級生時代、私は下級生から極道と言われるほどきつかったみたいです。それは、何とはなしに知っていたので、その分飯を奢ったり、飲みに連れまわしたりしてフォローしていたつもりです。

でも、あまりそのフォローは上手ではなかったと思います。ただ私には、私が悪役を買って出ていることを理解してくれる同期がいましたから、あいつらのフォローがあったからこそ、下級生はついてきてくれたのだと分かっています。

多分ですけど、佐々木健介には、かれの行き過ぎたシゴキをフォローしてくれる仲間がいなかったのだと想像しています。

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合意があろうとなかろうと

2021-07-26 09:55:00 | 社会・政治・一般
時代は変わっても、人の本性はそうそう変わるものではない。

「50歳の自分と、14歳の女性が合意の下で性交渉しても罰されるのはおかしい」と発言した立憲民主党の議員様である。

バカか、50歳ならば、合意以前に14歳を相手にする非常識さを疑え。現代社会では、非常識な振る舞いであることが、先進国ではほぼ共通の常識である。

そう、現代の先進国ならば・・・である。

実を云えば、この常識が地球上に成立したのは18世紀後半から19世紀にかけてである。分かりやすく云えば、産業革命後の常識である。

つまり、それ以前はそのような常識はなかった。人間は近代より前、おそらくは先史時代も含めて、第二次性徴が終わった女性は、立派な婚姻相手であった。

ちなみに男性はもう少し遅い。だいたいだが、16歳から18歳くらいが男性の婚姻適齢期であった。

これは社会の成り立ちが違うからだ。子供を産める年齢に達した女の子は、もはや立派な婚姻対象だとされた。なぜなら農業社会であろうと、漁業社会、遊牧社会であろうと、人の数=生産力だからだ。

家族や部族の人数が多ければ多いほど、その集団は豊かに暮らせる。それが近代以前の常識である。だから妊娠が可能となった少女は、もはや大人の女性として扱われた。おそらくだけど、旧人類たるネアンデルタールや直立歩行猿人も同様であったと推測できる。

一方、男性は家族や部族の働き手として一人前にならないと、婚姻は認められなかった。家族を養う器量がなければ、嫁も子供も持つことは許されなかった。だから、近代より前にはロリコン(幼女趣味)はいけないという概念はない。

しかし、産業革命が社会を一転させた。

産業革命により生産力の担い手は、ある程度知識がある者である必要があった。読み書き、計算が出来るような人材でないと、近代社会の働き手としては物足りなかった。

だからこそ、学校制度が編み出された。子供たちは半ば強制的に学校に通わされ、そこで勉強することで、近代社会の労働力として役立つように教育された。

それゆえに、男女の婚姻年齢は大幅に引き上げられた。女性も労働力としてある程度の学力が求められたが故に、十代前半での出産は好ましくなかった。近代社会は労働力の移動が頻繁にある社会であるがゆえに、家族の単位での異動が求められた。

すなわち夫と妻、そして子供である。近代前のように祖父母は必ずしも当てにされなくなっていた。こうして、女の子は婚姻対象から外された。

しかし、男性側の本能、すなわち性欲は変わらずに残った。それ故に、法律や社会常識で女の子との性交渉をタブーとする概念が編み出された。だが本能を抑えつけるのは難しい。

実際問題、私が子供の頃でさえ、小学校高学年になれば性交渉を自主的にやっている男女は確かにいた。中学生ともなれば、飛躍的に増える。ただし、大学進学志望者は男女を問わず、自主的に抑制していたと思う。

必然、大人になっても自身が妊娠する訳ではない男性は、本能的に若い女性を好み、性交渉を求めることを止められないものが少なくなかった。これは古今東西を問わない現実である。

以前にも書いたが、欧米でさえ20世紀中盤までは、女の子が性の対象として商品化されていた。もちろん、それはイケないことではあったが、裏で取引されていたのが現実である。しかし、メディアの発達と監視社会がそれを許さなくなった。

そこで欧米のロリコンはアフリカやアジアのその性欲を満たした。東南アジアだとかつてはフィリピンやタイ、現在だとカンボジアやラオスがその市場と化している。つまり、ロリコンを禁忌としている欧米でさえ、未だにその完全な抑制は出来ていない。数十万年に及ぶ性本能、恐るべしである。

しかし、その一方で女性の晩婚化は進む一方だ。なぜならソフト産業の発達により、これまで以上に女性の活躍の場が増えているからだ。以前は女性の姿は稀であったはずの建築現場や運送業界で活躍する女性は珍しくない。

そして、男性が長く独占していた軍隊でも、女性の活躍の場は増えるばかり。無人兵器であるドローンを操作など、戦場に出なくても女性が敵国を破壊し、敵兵を殺すことが出来るようになった。今後も増える一方だと断言できる。

欧米や日本は、ただでさえ高齢化と少子化が進行している。女性を第一線の戦力として活躍させる機会は増えるのは既定の路線であろう。ロリコンはもはや、社会の可能性を奪う害毒と化している。

立憲民主党の議員さん、このような現実をどこまで理解しているのやら。
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